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2022/01/29(土)14:36

『日本人は何を捨ててきたのか』

本日読了(143)

2022/01/25/火曜日/朝は日差し 〈DATA〉 株式会社筑摩書房/鶴見俊輔 関川夏央 2011年8月10日初版第1刷発行 〈私的読書メーター) 〈対談?形式だし鶴見さんの語り口は平易ですすすと読めてしまう。しかしその中身は思索のための手掛かりが豊富で読者の関心に応じ、本の地点から幾らでも広がることができる。明治150年が巷間賑わしていた頃、そこに意識を当てた私の試み読書。それが関川さんと鶴見さんで語られているとは美味しい。天才的個人が作り上げた見事な樽としての明治国家という装置論。日露戦争が終わった1905年以降の下降、戦後変わったものといえば高文の私腹肥やす賄賂と氏は言うが更に公文書書換も加えなくてはならない。読みたい本ばかりか漫画も増えます。〉 母親の正義の恐ろしい効果に慄然としたのは河合隼雄『あなたが子どもだった頃』の鶴見俊輔の段。裸の自分をここまで晒す人間力というか、彼の言う敗北の力というものがこの対談にも連なる。 江戸末期に個人として立つ有能な人物が沢山登場した。この国の貧しさを知る彼らは篩ではない樽国家を作り上げ、ジャンブリーズと大洋に漕ぎ出した。しかし樽は「個人」を産まず、衰微は既に日露戦争後に始まったと氏はいう。 樽の持続効果ほぼ50年、その後の退廃と大敗の百年を経て、とうとう原発事故に繋がってしまった。 長州が欧州連合にこっぴどく負かされた下関戦争後、伊藤博文は急遽留学先の英国から帰国し、藩内で使えそうな洋食食材を探し集めて自ら調理し戦勝国側を饗応した。 鶴見氏のいう敗北力とはこれらの行為を指すらしい。日露戦争後、日本人はこれを無くしていると。そういえば、かの芥川龍之介が海軍機関学校の英語教師だった頃、学生らに「君たちは負けることを学んでいないから自分が教えてやろう」という面白い授業を展開していたとどこかで読んだ。 各国リーダーと対話など老人政治家のペルソナが思い浮かばない。中曽根氏のちゃんちゃんこ、その後彼らの友情?はつづいたのかどうか。少なくとも明治末から大正過ぎまでは魯迅や李登輝ら東アジアのリーダーが胸襟開いて付き合える大人がこの国にはいたのだった。 エネルギー➕あわよくば国防という戦略の原子力発電所の事故。防波堤の高さ不足や冷却装置電源予備など専門家のアドバイスが無視されたのであれば、あれは人災になる。 鶴見氏の言う樽は「東大、文科省、天皇制」であろう。鶴見氏が強く実感していた頃に比べれば随分様変わりしているだろうが、明治天皇や東郷平八郎、乃木希典、吉田松蔭の神社があるのが私には不思議。彼らはついこの前生きていた、ただの、失敗多い人間ではないなだろうか。罪は知らないが神ではないだろう。そこそ樽ではあるまいか。 あの敗戦時が千載一遇のチャンスであったものを、樽に詰めとけとばかりにGHQが外から手前味噌なタガを締めて、のうのうのうのうゆらゆらりん、未だ何処かの水際をちゃぷちゃぷ浮かんでるんだな我らは。 その樽を壊すのでもなく飛び出すのでもなく、樽の内側をしっかり見据えよと言った吉本隆明を鶴見氏は高く買うそうだが、今現在、見据え続ける余裕が我らにあるだろうか。 他にたいへん重要だと感じた、鶴見氏を生かし続ける己の内にある悪について。この悪という癌は年をとるほどに小さくなっているが、ぽっかり消えれば自身死んでしまう、と鶴見氏が感得するそんな悪の存在。悪が自分か自分が悪か。あるいは悪を収容する器は悪に染みるか。 デモーニッシュ。これに取り憑かれて初めて人生の深みも尊さも、いやさ信仰も芸術も度し難さも己のものとなって発酵するわけで、味わいそこにあり。 コロナウィルスもそのうちそうやって飼い慣らしていく?ネガティブケイパビリティについて。今日的現在的病をつらつらと考える今日この頃。

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