2023/03/19(日)08:43
『ラークライズ』
2023/03/19/日曜日/寒さが少し戻る昨日今日
〈DATA〉朔北社
/ 著者 フローラ・トンプソン
訳者 石田英子
2008年8月1日 第1刷発行
〈私的読書メーター〉
〈(午後の紅茶)のような味わい読書。著者は1876年オクスフォード州の小さな村で生まれ育った。細部まで克明に自身の幼少期を追想した、記録のような随筆のような小説。これが英国の高校生必読課題図書に挙げられているのだから、英国人の思想のようなものが感受させられる。ヴィクトリア女王在位50年の祝典の一方で、白煙を吐き機関車は国土を疾走する。古い殻をくっつけたまま、考え方や様式、価値観が変化する時代。廃れていく子どもの遊び、人びとの営みと共にあった歌、自然、職業、始まった義務教育。大戦前の幸福な田園の風景が鮮やか。〉
ーー鮮やかな田園風景
開け放たれた教会の扉から迷い込んで来る鳥や蝶
学校と家庭の2時間の道のりの丘や林、野原。
見つけたベリーもリンゴも植えられたカブも、もいで食べてしまう子どもの集団
男の子たちはコレクションのために野鳥の卵を獲り、空っぽになった巣を壊して道に捨てた。
中身は吸い取り食卓に供され母親たちは喜ぶ。
それらを母さん鳥はどんな悲しい思いをしてるだろうと、ひとりローラは胸が潰れる。
そんなローラには、学校や教会で受ける矯正のような教育が、往復の野山で野生に開放される子どもの姿として浮かび上がる。
ラークライズには、当時電気ガスはもちろん、水道も無かった。女たちは離れた井戸まで水を汲みに行き、ふた部屋あれば上等な、小さい家を清潔に磨き上げた。
1ダースもの子どもたちを産んだ小さい家々は、はちきれんばかり。まるでイングランドの丘のうさぎたちのように子沢山。
いつだったか。英国マスコミが日本の住宅をうさぎ小屋と皮肉ったのはその記憶を呼び覚ました所以ではないかしら。もっとも日本のうさぎ小屋には子どもは一人か二人か。
さて。この本では著者が経験した二つの大戦を知ることはできない。
ただ、魂の片割れのようだった2歳下の弟の戦死を記したメモリアルが、慣れ親しんだ教会の壁にあることが淡々と短く描かれるだけなのだけれど、読み手には返って余白が膨らむ。
何年か前、大津市の町屋の宿で朝ごはんを共にした、東北の役所で働くオックスフォード大卒と思われる英国人女性に、英国の国民的な詩は何ですか と聞いたことがあった。
彼女は少し考えて、それは第一次世界大戦で戦死した若者を歌った詩だと答え、一部朗唱した。
英国人であれば、みな暗唱できるそうだ。
なぜなら、それは英国史上最も無意味な大量の若者の死であり、最大の悲劇なのだという。
1ダースの子どもたちは女の子であれば12歳ともなるとお屋敷に奉公に上がった。農家を継がない、職人にもならない男の子たちも幾人かはそんな選択肢があった。
第一次世界大戦で若い人たちは命を落とし、お屋敷を支えるメードも馬丁も庭師も動物係も消えた。
お屋敷自体、財産が失われアメリカの金持ち娘の持参金をアテに生き残りを諮るような、そんな時代へ変化を歴史は伝える。
さて、ローラは問うのだ。
モノは無いし、苦労も子どもも多く大した教育も受けず、日々の糊口を凌ぐだけの暮らしだったが、決して不幸ではなかった。
貧乏は不幸では無い。
村人はみな屈強で健康だった。何よりも情が通い、文字通りコミュニティが生きていた。
幸せとは心の持ちよう ではないだろうかと。
当時珍しい自由主義で無神論者だった石工の父、賢明な母から受け継いだローラの繊細な気質と、みなに慕われたヴァイオリンを弾く、敬虔な祖父の人間味豊かなモデルロール、それらによって揺籃された著者の感受性は、今尚読み手の心に染み透る。