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2023.10.15
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テーマ:読書(9588)
カテゴリ:本日読了
2023/10/15/日曜日/振り続ける雨



〈DATA〉 河出書房新社
著者 ジョゼ・サラマーゴ
訳者 雨沢泰

2023年7月20日  初版印刷
2023年7月20日  初版発行



〈私的読書メーター〉独特な文体故に始めは手こずる。しかし一人の存在が像を結ぶと、不思議なことに登場人物らの声色が聞こえ始めリアルな存在に変わるのだ。『白の闇』パンデミックから四年後の首都。市民は圧倒的な白票を政権に投じる。統治の正当性を失う危機に政権は市民の犠牲などはへとも思わぬ残虐な牙を剥く。その口から漏れるのが民主主義への暴挙とは。既視感を覚える。警察権力やマスコミはなるほどこう使うのかと得心させる内務大臣と首相の私利私欲権力闘争に背筋が寒くなる。その中で一人の警視が小さな物語を思い出す。遠吠えをしろ、と犬が、涙の犬が。〉


実は所々笑える。政権闘争喜劇とか探偵物ぱくりとか、サラマーゴの掌で大いに遊ぶ、だけでなく興味深く、読書後も何度も繰り返し考えさせられる。

こんな本は『八月の光』以来か。もっともフォークナーはあまり笑えなかったけれど。


ポルトガルの光、ともいえる作家。全作品が翻訳されているわけではないし、元々寡作だ。秋の夜長、読書の楽しみが続く。

世界の何処かにはこんな優れた作家が数えきれないくらいいるだろう。今年のノーベル文学賞は北欧の作家が受賞した。

彼のコメントで、地中海の海ではだめだ北の海でないと、みたいなインタビューが印象に残る。

ポルトガルは殆ど地中海には面さず大西洋に開いている。

その長い海岸線にナザレという名の小さな漁師町がある。その地の海の家みたいなバルで大西洋を眺めながらイワシの塩焼きを食べたとき、白ワインくらいは呑んだらうか、私のことだから。

最果て、の文字を白い雲で青い空に描きながら

その町の、海で夫を失った寡婦は頭から爪先まで黒一色の衣装に生涯身を包む。少なくとも私が二十代にそこを訪れた時には。

ところが、殆ど民族衣装と言ってよいそのデザインは若い娘も全く同じフォルムなのだった。膝が隠れる程度の短めギャザースカートには寡婦のものとは異なり派手な色と刺繍がみっちりと施されていた。


イベリア半島がゲルニカのきな臭くささを放った時代、サラマーゴもナザレのような村で塩焼きイワシを食べたかもしれない。
権力者たちのテーブルとはまるで違うその味を。


きっとあの警視も。
小説には乾いたビスケット程度の食の場面は出てくるが、私は一方的に大西洋のイワシを食べて成長したこの男をイメージする。

なんとなれば、この男が、『白い闇』で唯一目が見えていた眼科医の妻に招かれランチのテーブルを夫妻と囲んだ前後、彼は昔読んだ本の中の小さな言葉を思い出した、のだから。

キリスト者にとって食卓を共にするとは、家族になる、ということ。
イエスは魚を漁るように弟子を集め、もっとも愛されたヨハネも漁師だった。

そのランチは最後の昼餐かもしれない、にしても。


物語後半、枯れた泉を流し続ける乙女の像の前で、二人の人間が全き精神となり、その精神が触れ合う美しい場面。

サラマーゴは詩人。

社会主義者で無宗教とのことだけれども塩焼きのイワシ以上に、よく摂取し栄養としたのは、キリスト教の本質的な純なところではないだろうか。



さて。
市民に民主主義を教えるべく謀議を尽くす閣僚会議の最中に、先ず司法大臣が辞任を求め席を去る。

曰く

白票の投票はもう一つの病と同じくらい破壊的な盲目の表れなのだ。あるいは見える目(=正気)の、、、

白票の投票は、それを行使した側からすれば、見える目の表れとして評価できるかもしれない、、

実際、いまほど司法大臣らしい、あるいは正義(ジャスティス)の大臣らしいときはなかったと思いますよ。


そして文化大臣も退席した、のだ。

政治が権力者に従う時、司法と文化はその社会から消えることを意味する、ように著者は見ている。

そして司法大臣を首相が兼任し、公共事業大臣に文化大臣を兼任させる。

すごい皮肉とパンチが効いている。


ここ日本でも法は首相の内閣府が握り、どのようにも成形可能な粘土法だ。文化なんぞ公共事業紐付き程度の所業に貶められているではないか。


13人?いる閣僚の中で正気を保ったのが二人。
七つの新聞社の内、政府発表の垂れ流しをしない社は二つ。
首都市民の87パーセントが白票。


政権の見えるところ、閣僚の13分の2程度は正気。
正気故にその席を離れる。敗北

報道が未だ生きているなら、7分の2が正気。
検閲を知恵でかわしても、バレたら記事掲載紙は没収の上、罰金。敗北

無記名投票なので個人名は見えない。しかし市民の多数が正気である。勝利


瞬く間にキオスクから消えた新聞の、警視による政府の内実スクープ生地はどんどんコピーされ、街角で手から手へ、ビルの屋上からばらまかれる。
87パーセントの市民は真実を目にする。

政権には見えない正気が8割を超えたら、確実に世の中は変わるだろう。
一方、真実を伝えるジャーナリズムが日本では壊滅状態という認識をみなが持っているかさえ怪しい。

そんな感懐を持ちながら進む読書ではある。



警視の物語

部下に何故警視になれたかを話す場面

しかるべき場所に友人がいたり、ちょっとした便宜をはかったりするだけで、人の望みは達成されるものなんだ。

おおお。露木氏、栗生氏の処世術に他ならぬ。
人間性とか適正とか仕事が出来るできないは問われない、官僚機構はそんな建て付けでございます。

人間的なあまりに人間的な。


警視は言う。

きみは医者の妻が有罪だと断定的に言っていたが
いまは無実だと聖なる福音書に誓いそうじゃないか。
福音書には誓うかもしれませんが、内務大臣の前では絶対に誓いません。
わかるよ、きみには家族もいれば、キャリアもある、人生がね。
そうです、警視、お好みならそこに勇気の欠如を加えてもかまいません。


あゝ我ら凡夫の生きる道、極まる。
勇気が足りない、のよ。


警視が思い出した小さな言葉

私たちは生まれる。
そしてその瞬間、まるで自分の人生の契約に署名したかのようだ。しかし、いつか自分にたずねるときが来るかもしれない。
いったい誰がわたしのために署名したのかと。


この問い。誰が署名したのか。

全き人間となった警視は、迷い逡巡しながら良心を生きる決意をする。

無実の人間を罪人に仕立てよと言う上司、内務大臣の命令に警視は背く。

契約に署名したのは自分自身だという答えを、その行為によって導き出す。

ここにサラマーゴの人間への希望を見る。

例え命を失うことになっても、自らの署名、その名を汚さない意志。夥しい凡夫の中から、このような人生を掴み取る人が必ず出てくる、という希望

たった一人、パンデミックから免れた女性がいたように。彼女が見た極限の人間、獣以下の姿に、流す涙を舐めてくれた犬が傍にいた、ように。


ところが。
サラマーゴはスパイスの一捻りを忘れない。

エピローグのような物語最後で一転、無知蒙昧な臆病者小市民としての我々は描写される。


そのとき、目の見えない男がたずねた。
何か音がしたかい。
銃声が三発したよ、ともう一人が答えた。
でも、犬の遠吠えもしたよな。
鳴きやんだ、たぶんそれが三発目だったのさ。
よかったよ、おれは犬どもの遠吠えが大嫌いなんだ。


遠吠えが止むとき、
遠吠えを嫌うとき、
目の見えない事実に気づかないとき
私たちはすっかり隷属している









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最終更新日  2023.10.15 09:39:42
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