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テーマ:読書(8435)
カテゴリ:本日読了
2024/08/13/火曜日/残暑むごく
〈DATA〉 出版社 河田書房新社 訳者 古川日出男 2024年1月10日 初版印刷 2024年1月20日 初版発行 2016年10月刊行、池澤夏樹個人編集 日本文学全集09より、十一の巻、十二の巻、灌頂の巻、全集版あとがきを収録。文庫化にあたり、一部加筆修正の上、書き下ろし『後白河抄・四』を加筆。 〈私的読書メーター〉〈読み終わったなあ、と感慨わく。源平合戦がどのようにして繰り広げられたのか。ひととおり学びつつの実感は、上に立つものはすべからく責任を負ったのだ、ということ。琵琶法師の語るところに信を置くならば、重衡は決して自らの采配で南都を灰塵にさせたのではない。こちらには院宣という錦の御旗、懲らしめにいざいざと駆けつければ、前線で戦う興奮の坩堝はたちまちの火だるま。天竺渡の尊い御宝やお経は灰となった。そうやって末法時代の扉が開いたのだ。奢れる平家どころか義仲も義経も、結局は鎌倉殿にくじかれる、同じ血族の。諸行無常。〉 平家物語は通しで初めて読む。 したがって比較のしようがないのだけど、私は古川日出男訳をとても好ましく感じた。 文字ながら、語りの勢いを味わった。 登場人物の個性は今の世でもいそうに思われるのだけれど、千年前の人はより己れの運命に潔い。 その因業を引き受けるにあたっては、今生ばかりか前世の分まで受容し来世を祈る。そんな姿に仏教思想の広がりを覚える。 元々仏教は日本では国の鎮護を期待され、エリートや権力者のための思想哲学に近いものだった。 日本国が東海の粟島と認識されていた言葉も平家物語には出てくるので、案外グローバルな時代背景なのだと気づくのである。 何しろ平清盛は宋との交易を通じて世界に目が開かれていたし、まさかの皇位が転がり込んだ風変わりな後白河は今様に傾いた風狂もの。自分の趣味において身分制度は無かった。 そんなコンビが、それまでにないほどの日本国を東西に割っての大騒乱の根本に配在されていた。 帝が二人立って間も無く、一人は壇ノ浦に神器と共に沈み、一人は上皇の院宣の元に神器も無しに御簾の内にいたのである。 如何なることぞ。 これはヤオヨロズカミの宣託ではなく人為の政争に他ならぬ世のはじまり、はじまり。 いやいや、そもそもの初めから、あだ恐ろしい肉親殺しの皇位奪い合いは五王の時代のその前からも。 それがいつの間にやら仏の慈悲にすがり、和歌を寄せ合い、恋愛ごとに心みだされ袖を涙しとどに濡らす王朝のまつり事が趨勢で、野蛮は鳴りを顰めていたに。 那須与一は、天晴れ、的を射る。 東西、白赤、船縁たたいてやんややんやの大騒ぎ そこで平家の公達船上で舞を披露しその技を讃える 那須与一、義経の命令で公達を射る。 喉を射られて平家の公達、どうと波に沈む 義経の異様なまでの王朝ルール無視の下達 さすがの荒くれ坂東武者の中にも鼻白らむ者もいた しかし、琵琶法師の語りは幾度も義経は情け深い、を繰り返す。そのエピソードの一つ、 首を打たれる恐怖に怯える内大臣宗盛御歳三十九と心弱くなった父を気遣う息子、右衛門の督清宗十七。 彼らに善知識を授けるため、義経は大原の本性房湛豪かんごうという僧を遣わす。身分に相応しい対応をしているのだ、若き義経は。 本性房湛豪が往生際の悪い宗盛に諭す説話が心をうつのだ、21世紀に生きる私においてさえ。 さて、あまりにも酷い時間が平家一門の上に流れ、どこまでも追討の手は止まず、一門の血、ことごとく絶える。 義仲義経頼朝が去る。 壇ノ浦で身を投げた安徳帝生母にして清盛の娘、建礼門院は身を投げたところを源氏の者に熊手でその髪を絡め取られ、京に送り届けられる。 彼女がたどり着いた大原の庵を後白河法皇が訪ねる そこで語られる建礼門院の見た六道とは 正に彼女一代の夢幻の生涯、それがひそかに空しくなって、平家物語も閉じられる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.13 17:06:25
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