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テーマ:静岡県(14)
カテゴリ:open to public
2024/09/02/月曜日/久しぶり晴れ
↓大社に即した細い道の右手角 三嶋大社参拝の後は、ほど近い三嶋和食ひいらぎさんで鰻を頂く。 三島は鰻処らしいので、鰻好きには嬉しいなぁ。 立派な肝吸いと美味しいお菜、お漬物が付いた鰻重が3800円!特筆すべきかな。 ご飯も美味しい。量が私にジャストであるのも嬉しい。鰻のおむすびなども買い、さて三嶋暦師の館へ、再び大社を通り抜けて向かう。 ↓歩道にはこんなサインが。 三嶋大社から5分ばかり、三嶋暦師の館に着く。 暦師、などという職業が独立してあったのだなぁ。 何となく神社と一体なものかと想像していた。 当たらずとも遠からず。 暦師コヨミシ、である河合家は三嶋大社の社家に連なる。元は奈良時代に山城国の加茂から当地へ移住して来たという。 ということは河合家というのも、加茂一族、即ち秦氏であろうか。 京は下鴨神社の南、糺の森には河合神社がある。 そこから直ぐの御所東にある梨木神社が梨木香歩さんのペンネームになったのは、縁深い河合隼雄氏によるものだったとか、何とか。 おまけに梨木神社の対面に紫式部の住まいがあったのもよくできている。 もとい。 元々暦を日本に持ち帰ったのは吉備真備である。この人は岡山の今の倉敷市辺りが出身らしいが、これもまた不思議の人だ。 話によると、遣唐使として渡った唐の国で囚われ命の危ういところ、習い知らない囲碁に勝ち、唐から多くの学問、書物を持ち帰ったといわれる。 その一場面が三嶋大社正殿の南東に彫刻されているらしく帰り道に確認した。 太陰太陽暦という昔ながらの和暦では、月の満ち欠けに従うため、3年に一度13ヶ月の年がある。 昔の和暦は潮の満ち引き、農業、女性生理に呼応していると思う。そういえば、月のカレンダーがブームとなって久しい。 宿曜や陰陽、納音と、私など知り得ない学問と連動しており、宇宙の法則、鼓動にも連なるようで、暦というものは大変奥が深い。 館では、地元NPOの方が丁寧に説明くださる。またここのHPがとても充実している。 庶民にも読めるように、いち早く平仮名を用いた三嶋歴はくずしの姿も美しく、李朝渡りの皿や壺の文様に似ていたために、見た目から三島焼とも呼ばれ、茶人に好まれたという。 確かに茶碗の紋様と暦が絶妙だ。 ↓窯の名ではなく何処とか何時を問わず、三島焼きで通ずる分類が面白いではないか。 棕櫚の間の、床にかかる書は山本玄峰氏による↓ 漢詩からの引用は読んで字の如し、水面に映った月。その水を掬い上げると手の中に月があるのだよ、を意味するとか。壮大。 この、山本玄峰という三島の龍沢寺住持がまたすごい方なのである。 玉音放送の、あの、「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の文言や、象徴天皇なる仕組みを拵えた人であり、敗戦時首相のブレーンだったとか。 白隠上人にもつながる。 ↓安政の大地震で館は全壊し、建直した館は竣工直前に火事で消失したらしい。そんな不幸を見て韮山代官江川氏が裾野市の関所の廃屋を移築させて河合氏の館に充てたという。幕末の頃である。 三島由紀夫のペンネーム、三島はそんなこんなを沢山包摂しているのだった。 ↓槙の木の生垣はなぜか懐かしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.02 20:32:18
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