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2024/11/03/日曜日/晴れる。
田中一村。 小さな画集が我が家にあって、いつかは奄美で、と願っていたのだが、上野に来てしまった。 観たい展覧会もいつの間にか終了、ということがママある。そんな訳でとりあえず予約を入れたのだったが、ようやく金曜日に行くことができた。 館内は平日午前に関わらず、団塊世代と思われる年代の方がたで混み合っている。 意外に修学旅行生の姿も。 女性のおしゃべりグループとリュック姿で前を横切る男性に閉口しながら、主に心惹かれるもの、観たいものを中心に立ち止まる。 これだけの規模の回顧展は初めてであるらしく、初公開作品も幾つも見られた。出品は311点、足かけ60年にに及ぶ。 一村は恐ろしく早熟な画才の人だった。 ピカソの幼年時代と共通している。 一村の父親は彫刻家、ピカソの父親は宮廷画家。 いわば職業技芸家の親元で英才教育を早くから強いられた。そしてそれに二人とも過分に応えることができた。 何の屈託もなく描けた少年期を経て 、描けてしまうことへの幻滅をかこつ青年期の葛藤が両者にはあるように感じられるのだ。。 様式美から芸術へ、工人から一つの魂へ。 そんな道程が二人から伺えるのだ。 芸術という新領域が革命的に振動したヨーロッパと異なり、日本画の世界は師匠の筆を継承することが重んじられた近代。没個性。 その違いが二人の絵師にはあったろう。 一村の道はより険しい。 一人は金も名誉もほしいままに、一人は貧しさの中に。もちろんどちらが幸福であったかは他人には知れぬこと、だ。 自分がこれは!と思うものが周囲から評価されないもどかしさ。 カメラに新しい表現スタイルを見出して、当時の日本最南端、奄美に赴く。 彼の被写体である姉の美しさ。 彼女の死に顔のスケッチ。 姉は一村のミューズならん。 染色工場で賃労働をしながら画材を買い寄せ、自身の表現を極めていった。 奄美で見出した彼の芸術の上に、私はなぜか「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ理論の実践を見る思いがした。 まるでカメラアイが捉えたようなスケッチの連続、 それら奄美の自然のアイコンのモンタージュ。 確かな、を超える超絶技巧な筆使いが、見るものをして呼び起こす感情。 一つの到達点「閻魔大王えの手土産」 コノ デモーニッシュ コソ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.03 09:16:38
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