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2025.02.27
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テーマ:憧れの出雲旅(8)
カテゴリ:旅日記
2025/02/27/木曜日/温かい


1/1 終わりなき世のめでたさや
有名な唱歌一月一日は第80代国造の作詞


大晦日の深夜は11時頃から並んで、大社を退出したのが翌1時半頃。

参拝に並んでいるのはイベント命、みたいな若いグループが多くいた。さすがに幼い人は見かけず。


そして朝の大社は素晴らしいお天気だ。




す元旦は表参道より




明治神宮川崎大師に比べれば穏やかな混み具合
しかし車はほとんど動かない様子。

大社隣接の空港リムジンバスは三が日はパスした方が無難と駅でアドバイスされる。JR出雲駅前発に急遽変更。一畑電車乗車券も前もって買うべし。

乗車前には長い列ができていた。一人旅では並びながらのチケット購入はできない。


大きな松の並木道をゆく



今日はどことなく明るい大社


大国主命は瑞垣、更に玉垣と二重の囲いの中、西を向いて鎮座されている。

何故、稲佐の浜の方、国譲り会議が催された方に顔を向けているのか。出雲王族は朝日を拝礼する風習があったのに、何故わざわざ東でなく西向き?





お正月5日間は八足門が開かれ、楼門前で参拝できる。大国主命のお側に、より近づける。




大国主命の背中側、南面して立つ二つのお社は
命のお妃と兄弟に殺された命を蘇生したカミムスヒノカミを祀る。


ニ柱はこの場所を和らげているように感じる。
背中は何者かが罹りやすい。そこを埋めて下さるのでいささか安心する。


↓出雲大社参詣案内



ところが御本殿の真北の上座、❼に素戔嗚尊素鵞社八雲山の気脈である大岩の上に、恐るべき重さで鎮まっているではないか。





↓稲佐の浜の砂が頂ける場所辺りの磐座




古事記がいうように、大国主命と息子らが国譲り協議をするとしたら、稲佐の浜側のちっぽけな立石の場所ではなく、このくらいの規模でなければ協議内容と釣り合わない。





出雲口伝
では、王の大己貴命と副王の事代主は謀殺されており、ホアカリ(彦火明)とその斥候ホヒ(天穂日命)と息子タケヒナドリの内、前者は大陸に逃げ、後者親子は奴ヤッコの身分に落とされ、自由な外出は禁じられたという。


王と副王を殺害しながら、この対応は頗る寛大だ。出雲王族とはそのような王国だったのだろう。
或いはホアカリのように既に出雲族との縁戚が
複雑に進んでいたか。


↓出雲大社参詣案内



イザナギの禊からアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神が生まれた、と私たちは覚え聞かされた。


出雲大社案内には天照大御神の二人の子神の内、

①天忍穂耳命瓊瓊杵尊→皇室
②天穂日命→→→出雲国造第84代千家尊祐
に繋がると記されている。

月読は途切れている。

スサノオはといえば
→大国主神→①味鋤高彦根神②事代主神が続く。


しかし、大国主の父神がスサノオであることは、
大社の配置を見る限り違和感がある。
何というか、親としての哀れみがないというか。
むしろ大国主を威圧しているような塩梅。

身内なのに何故玉垣の内にいないのか。



案内を読んではあ、と膝を打つのは、神と記されているのはアマテラス、大国主、その子に比定される味鋤高彦根と事代主の4人だけ。

アマテラスは除くとしても3人の神扱いが興味深い。




記紀が排除した古い神代の
複数の民族、トーテム、家紋、神話が出雲口伝からは見えてくる。

異なる時代、目的、ルートで芦原の中津国に入り混じったパッチワークのような私たちのご先祖さま





南インド辺りから北と南回りで、縄文末期にいち早くたどり着いたグループが源日本人である縄文人と混ざりながら拡大した。


そこへ弥生から古墳時代に掛けて、かなりまとまったグループが大陸や半島から政権や王国を奪われるなどの政変を逃れていわば難民として辿り着いた。


先発と後発のグループ間の闘争や内紛は宗教戦争帯びていた。厩戸皇子が、このクニは仏教で心を統一してやっていきます、と宣言。

まとまりかけたのも束の間、物部、蘇我ら強大豪族は歴史の中に消えていった。太子と蘇我で文字化させた国記・天皇記は焼失。はて誰がそうしたか。

やがて覇権を握った大海人皇子


大海人皇子は帝になるや国史編纂に邁進する。

豪族らの口伝を集めては、抜群な暗記力の持ち主、稗田阿礼に語らせ、パッチワーク民族のパッチワーク神話を大きな物語に創作した……





その物語は未だ機能している。
夢から覚めるのはいつ?





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最終更新日  2025.02.27 17:07:56
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