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2025.03.09
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カテゴリ:映画➕アルファ
2025/03/09/日曜日/晴れる


かれこれ30年超えて、訪れている諏訪地方、八ヶ岳南麓の辺り



古いものに関心が芽生えたのはずっと最近のこと。


で、ミシャクジ信仰についても茅野の神長官守矢資料館を訪ねた時が初めて。




それだって当初は藤森照信作品を見るのが目的





氏のご実家はこの資料館すぐそばだそうで、幼い頃から資料館を中心にしたご当地は格好な遊び場所。






↓資料館。この異様な建築は、時を切り裂いて縄文へと風景を繋ぐような迫力を覚える。



江戸中期に菅江真澄が今の岡崎市辺りを出て、遂に蝦夷地に渡るまで、図入りの丁寧な記録を諏訪に残してなければ、殆ど歴史に埋没していたろう。


↓こちらは隣接する高すぎなお茶室



いわゆる 毛深い(=縄文的な)氏の作品にはウソが無い。生まれ育った環境が息づき、子ども時代の遊び基地が発展した↓空飛ぶお茶室も。





かつて諏訪湖はこの丘の足元まで広がる広大な湖だったと聞いた。かつての湖は今、住宅が並ぶ。



ヌナカワヒメの息子である建御名方命が諏訪大社に落ち着くまで、信濃を巡っていたとき(上田に近い生島足島神社↓には少し長く留まった?)





建御名方命の前に、ミシャクジを祀る神長官と大祝は既に存在していたか?




出雲由来の↑道祖神が多く見られる信濃だが、蛇の捉え方には出雲とは異なる印象を持つ。


出雲の、八百万の神々を稲佐の浜に迎える水蛇の物語は徐福の間諜、ホヒを祖神とする出雲国造果安の元、リメイクされた竜蛇神信仰出雲王族の祟りを恐れるオマージュ染みている。


諏訪では蛇のもつ再生の力がより強く出ている。




半地下の、縄文の竪穴式住居様な小屋に潜り、複数の長や神人らが春までそこで再生の祀り事を執り行う、そんなシーンが映画に出てくる。



その奥には大祝となる少年が簾の奥に坐す。
オオナムチとは大きな穴に棲む尊い蛇神さま、
のことという。



出雲と諏訪。今に顕れている二つの信仰はそれぞれの地で受け継いだもの、元よりあったもの、らが縒れて捻れて、〆縄のごとく。

諏訪大社には、下社と上社。
更に其々に春秋、前と本の宮。


ミヤは谷川健一によれば、ミャー、本来は租神を中心に部族の者らが祀りを行う広場の事で、この語源は今も沖縄で生きている。

列島では宮とか庭とか。
大神神社。その祭神はオオナムチ。御神体は三輪山


何も蛇神信仰が根っこにある。





ここでの御神体は守屋山

↑遥拝所?背景に守屋山


モリヤ
という響きが、ソロモン王が神殿を建てた山の名と同じであったり、大祝となる少年が、いわゆるイサクの犠牲と同じ所作で仮の犠牲になり、あわや、で赦され代わりの生贄が捧げられた。

古代イスラエルでは羊が、羊のいなかった和国では鹿或いは猪も混ざるが、同数の75頭



など共通点を指摘する人もいる。
その点を映画は取り上げていない。敢えて?




微妙なのが蛇の存在だ。創世記では蛇は悪魔的な存在として扱われる。古代イスラエルの信仰のオリジナルはどうであったろう。


蛇の扱いを巡って部族がわかれたのかも、と想像を逞しくする。蛇を悪魔に貶めることに反対派の10支族は紀元前720年前頃から東を目指した?




その一部はインド東北部に定住し、ユダヤの子孫であることを自覚しているのだとか。釈迦の教えが世界の宗教哲学の一大センターになっていた頃と重なるだろうか。

釈迦の母は蛇(=コブラ)をトーテムに持つナーガ族である。インド北東部に蛇信仰の集団があった。





そのインドでユダヤ子孫定住の千年ほども前になる
紀元前1500年頃、頗る野蛮な白色アーリア人が入植し武力で原住民を支配した。
(紀元後1600年にもすこぶる野蛮な英国人が…)


部族民が彼らの奴隷になる事が耐えられず、クナ国王は希望する者らを引き連れて遠い東の列島を目指し、先ず三内丸山で原住民と混ざりながらムラ作りをした。との説が『出雲王国と天皇』にある。


しかしアーリア人入植時期から推察するに、早くてもクナ族の出雲定着は紀元前1000年前後ではないだろうか。




ところで、コメは元々野生のものだが稲栽培をしたのは長江流域で紀元前5000年頃の事というのが最新の認識らしい。

インディカ米はまた別の歴史があると思われるが、日本で発見された最も古い米は紀元前500年
縄文後期の陸稲らしい。


クナ族はコメは携えて来たのかどうか。
言霊、音魂、稲魂。



ところで、諏訪盆地の中か外か失念したが、住民が古い祠から御神体を取り出す場面が映画にある。


現れたのは、蛇を表す渦巻紋様の彫られた石。

その時、画面にちらりと映るのは猿田彦命の記されたお札で、はっとした。


猿田彦はサイノカミ信仰の子神で、私にはガネーシャの様に感じられる。
父神はクナト神、母神は幸姫。

この三神こそ、(鼻の長い動物のいる国からやって来た)出雲神族の中心的租神


諏訪には普賢菩薩をご本尊にするお寺がいくつかある。普賢菩薩は象に単座していられる。





映画ではかつて明治政府による廃仏毀釈が烈火の如く列島の村々を襲った惨たらしい仏像の修復と、お坊さんが諏訪大社にもうでて失われていた神賀詞?を奉納する場面があった。


↓大黒様に集合した大国主命



この国の一番美しいところは全ての宗教を統合し、平和に共存するところ。

破壊されても、いく時代を経ても修復し、元の素直な姿に戻る心根。








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最終更新日  2025.03.09 15:23:26
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