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2025.04.08
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カテゴリ:旅日記
2025/04/08/火曜日/朝から晴れ間





3/23(日)  毎日が未知なる旅の経験の積み重ね
本日は自分史上一度は訪ねたかったベストテンの
高千穂峡へ行く日


西熊本駅からはほぼ真東の、日向国高千穂峡。その道程の高千穂寄りにある幣立神社に参拝する。


九州に来られた事、懐かしい人に会えた事へ感謝。機会にも天気にも恵まれ、罹患した帯状疱疹T^Tも
何とか治り、当地に立てた喜びを一体誰に、何に伝えるのか。そんなとき。



地域のあちこちにお社が点在する有り難さ、手を合わせる場所に事欠かない。
古代の人は素晴らしい。
現代の都市計画では物はあってもモノがない。


ところでこの神社、神宮と入り口にあるが?
それに表記内容を読むとはてな?と思うことも幾つか。文章そのものも理解しづらい。



御神木が台風で倒れたそうだが、その事実のみを伝えるので十分。災害の年代表記がないのも不思議。教訓めいた内容が神話的に加味されたようでいささか抵抗を覚えた。


千木高知る」は、饒速日=徐福、の母の高木神を彷彿とさせる。

出雲口伝によれば、徐福来航はおよそ紀元前200年前後という。15000年?のご当地神木と重ねるのは無理があるけれど。

あるいは神木の樹齢が2300年くらい?






さて徐福、その前の上陸地出雲での失策から、北九州統一へと目標を変更し筑後平野で勢力を伸ばした。ハタ族は吉野ヶ里中心に拡大説したという。

この頃には北九州で徐福系もハタ族も出雲系も血が混ざり合う。


徐福は日本で王となる野望を果たせなかったが、370年ほど後、すなわち倭国動乱の192年に彼の子孫イツセ第一次物部東征を敢行する。


彼らモノノベは出雲系王朝の血を濃く引く、宗教的権威モモソ姫をくじくことはできなかった。
彼女こそ一番目のヒミコと言われる。


その時に徐福系の人びとは、ヤマトのあちこちを巡り開拓して棲みついた。


更に九州に残ったり、舞い戻ったモノノベは北九州の古い豪族の宇佐国と結びつき、第二次物部東征
3世紀前半に開始した。


この戦争をリードしたのが第二のヒミコ、宇佐神宮の姫巫女の豊姫だった⁈この時に出雲王国倒れる。


その期間、徐福は彼らの宗教的根源ともなったろう。モノノベは戦術を磨き、兵を鍛えて諦める事なく機会を待ち受けたのだろう。


やがて彼らは北九州を去りヤマト朝廷を築く。





漢字で書かれた日本書紀は大国、中国向けに編纂した国史であればこそ、日本の中枢である皇統が斉国王の血統らしい徐福の血脈を含むことは、たとえ遠い昔にしても記載できなかった説は道理だ。


記紀が徐福を消去した分、彼を租神として祀る物部一族には格段に配慮した物語構成なのだ。

出雲王国史は記紀から疎外されている。なので、ヒミコも書けず、豊姫に至っては月を奉斎する宗派の
宇佐神宮の姫巫女なので、ヒミコに比定不能。

月読命の影の薄さも頷ける。






祭神の多さ、そのカテゴリーの広さと神社に関わる人の思惑が雑多に混じり合いすぎている印象。




日向神話冊子をさっと目通しすると、薩摩と日向で天津神の天降りの場所を論争している様子。

出雲口伝に出会って私は古事記世界がかなりすっきりしたのだが。異端扱いなのは残念。




この地に幣を立てたのは、神武天皇の孫にあたる方と聞く。天津神と同時に地祇も祀った、という御由緒に温かさを感じた。

日子八井命の名からは、ヒコ=徐福系と八=出雲系の融合を覚える。



◼️高千穂神社

西熊本駅から南阿蘇を東へ東へと日向かう。
幣立神社からは1時間と掛からず高千穂神社

その間、道路沿いにみる地名がうるわしい。

御舟、山都、稲生野、高千穂、阿蘇、竹田、玉来




高千穂神社は先の幣立神社と比べると、明るくさっぱりとしている。高千穂峡からも歩ける距離ではあり、。

九州の神社はこれで二つ目。

天津神たちはこの地に天降りし、ヤマトを目指したと記紀にいうが、それならなぜ直接ヤマト近くの山に降りなかったのか不思議。


徐福が再び、3000余名の秦族の童男女や武人、熟練工らを連れて伊万里!の波多津上陸したとのは紀元前2世紀。

さぞや古代人の度肝を抜く光景だったろう。 しかも滑るような速さで押し寄せる構造船なのだ。
海人の磐船、アマノイワフネ

それから1800余年、秀吉が波多津から朝鮮出兵する歴史の振り子は実に感慨深い。

彼らの祖神饒速日(徐福)は、船で佐賀の波多津に渡った。天のアマではなく、海のアマから、である。



そんな渡来神たちが去っていった、

いわばウツロになったお社に変わらず地の神、精霊たちは善男善女の祈りに耳を傾けているだろう。




幣立神社も高千穂神社も皇祖神を打ち出しながら、
その内実がなぜか薄くしか感じられない。





もしこの場所に
邇邇芸が、(ましてそれはアマテラスの孫ではない)居たとしてもそれは長い時間ではないに違いない。


「地よりや生まれけむ、天よりや降りけむ」 なる古い神さびた空気は、私には出雲のものだ。



二つの神社にそれを感じた。
今旅では吉野ヶ里と徐福長寿館は訪ねなかった。






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最終更新日  2025.04.08 21:46:56
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