|
テーマ:読書(9276)
カテゴリ:本日読了
2025/04/14/月曜日/爽やかな日
![]() 〈DATA〉 出版社 河田書房新社 著者 藤井耕一郎 2015年10月20日 初版印刷 2015年10月30日 初版発行 〈私的読書メーター〉〈うーん謎が謎をよぶ。「出雲口伝」のサルタヒコ由来の方が私にはすんなりと胎に落ちます。著者はあとがきで「日本の古代史は、戦後に文献資料としての神話をばっさりと切り捨ててしまったこともあり…まず最初に嘘か真か判然としない記紀に出てくる物語と神々をゼロの状態から説明」、通説を理解してもらった上で改めてその説をひっくり返す手続きの煩雑さを述べている。さもありなん、だが記紀に見られる描写からサルタヒコ=銅鐸とみなすのは?津軽の砂沢遺跡の早い時期の水田稲作やムナカタ神社の存在を思い出させてくれた点、ありがたい。〉 記紀にいわく サルタヒコは高天原と葦原中国の中間ヤチマタにいて、天降るニニギら一向を睨みで退けた。 サルタヒコのいる場所は境界の神=クナト神=サイノカミ=道祖神であることを匂わせる。 市川団十郎の荒技みたいな?睨みは大矛にしるされていたという。邪眼紋 往生する神々に向かい、アマテラスはアマノウヅメを遣わす。睨みで負けたことがないおまえならサルタヒコを退けられる、と。 アマノウヅメはサルタヒコを打ち負かすが、その手法は日本書紀に 乳房を露わにして衣装の紐を陰部まで垂らし、笑って相手と向き合った とあり、今の世なら猥褻物陳列罪に問われる一手(^^) 人類学か何かの本で読んだが、言葉の通じない古代人部族らは敵意がないことを示すためにお互い陰部を見せ合う慣習が広くあったという件。 その考察からみれば、アメノウヅメは相当古い存在。つまり新興の天津神グループとは相容れないのではなかろうか。 故に元よりいたサルタヒコと結ばれた。 本書にはそのことにからんで 本居宣長『古事記伝』にはウズメの女陰開示について、和泉式部が貴船神社に祈願したとき、老巫女がさまざまな作法をして…女陰を出し三遍回った後、式部に同じように舞いなさいと伝えたことが紹介されている。 少なくとも平安時代まで、邪を祓うこんな作法があったわけだ。和泉式部には出来ても紫式部はムリだろうと思いながら貴船神社を訪ねるのも一興。 そんな話の賑わいは イチキシマヒメは下北半島の恐山でイタコになった説でピークに達して巻を閉じる。 千に一つくらいそれがあるとする私の実感は、京都でも弘前でもお水を頂きに寄ったイチキシマヒメを祀る神社へ向かう道でなぜか雨に降られることだ。 弘前ではバケツの底が抜けたような土砂降りで驚いた。思わずイチキシマヒメさま、そのくらいで、 と呟いたことだった。雨もまたメッセージ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.04.14 15:37:51
コメント(0) | コメントを書く
[本日読了] カテゴリの最新記事
|