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カテゴリ:旅日記
2025/04/19/土曜日/暑くなるらしい
![]() 3/24 別府から日田の皿山へ 年長の従姉妹たちや夫の叔母を訪ね、ついでに北九州巡りをした今回の旅。 ![]() かねてより小鹿田焼の里を訪ねる、という目的も一方にあった。 ツレは既に中学生の頃からこの地に憧れていたという。秘境の里、たらという本を読んだ影響らしい。 ![]() ↑里にはまだ残雪があった。突然の大雨にも溶けず。 私が小鹿田焼を意識したのは『皿と紙ひこうき』石井睦美さんのジュブナイル小説に出会ったことがきっかけ。大岡信の詩の引用も強く印象に残る。 その内元々好きだった民藝について柳宗悦を調べたり読んだり展覧会などに出かけたことでますます皿山への思いが募った。 ここは私には民藝の旅先、でもある。 ↓小鹿田焼陶芸館展示より ![]() ↑飛び鉋、打ち掛け、流し掛け、打ち刷毛目 柳宗悦が小鹿田焼を見たのは久留米市の店先だったときく。当時は日田ものと呼ばれたそうな。その素朴な生活雑器に強く惹かれた彼は皿山を訪れる。 そこでは彼が愛してやまない朝鮮の、無名性の、古い陶工の技法の姿がそのまま皿山に、小鹿田焼に残され、彼は二つを重ね見た。 ![]() ↑櫛描き、右下 小鹿田焼は元々日田の代官が小石原焼きの陶工柳瀬三右衛門を小鹿田に招いてその技術を伝授したのが始まり。 資本金を黒木十兵衛が用意し、土地を坂本家が提供しおよそ300年前に開かれた。 なので福岡の小石原焼きと大分の小鹿田焼は兄弟窯とも言われる。陶器は皿山で窯が開かれた300年ほど昔のまま、何一つ変わらず伝えられている姿を発見する。 柳宗悦が発見するまで近在の人以外には全く知られることのない隠れ里であった。 ↓濱田庄司、参考館で見かけたバーナード・リーチ作品も展示されている ![]() 秋草紋様に見られるような左の壺。線が多すぎ? しかし、全体を見れば ![]() いい。切り取り画像ではダメなんだなぁ。 館内にはさすがに良品が並んでいる。 里の窯元の店にはそもそも品物が少なく、安いけれども発送できなかったようなB級焼き物が多い。 おそらくここまで買いに来る人は少ないのだろう。 ![]() ↑指描き、左下? 陶芸館では小鹿田焼がどのように焼き上がるか、 その一部始終を30分くらいのビデオで見られる。 半農半陶のこの里は貧しかった。一子相伝といえども、かつては教える暇がなく、村外の窯へ丁稚奉公して、焼き物の基本を学んでいたという。 ![]() 土をこね蹴ロクロを回すのは男の仕事だが、 一月弱掛けて、唐臼で粉砕された原土を撹拌したりフルイにかける力仕事、水仕事は女の受け持ちだ。 家の庭先にその道具や仕掛けが見られる。 ![]() 現在9軒ほどある窯元はみな家族労働、家内制手工業でやっている。 ![]() 鍋島秘窯ではモニュメントの唐臼が、ここでは生きて活躍している。毎日水の動力で働いている。 ![]() 小さな籠もり里のあちこちで、ぎぃー、ドンという音は絶え間なく響く。 ![]() 気がつけば雨は上がり青空がのぞく。 ![]() あるべきものだけがある、 自然と人が溶け込んで共に支え合っている。 みな手仕事を生業としている。 ![]() ↑300年前、皿山に招かれた柳瀬さん、資本金を出した黒木さん、土地を提供した坂本さんが以来ずっと焼き物を続けている。黒木家当主は11代目とか。 ![]() ゆっくり歩いて、焼き物を眺め、陶芸館で過ごして、お昼も食べた。 ![]() 一日にほんの少しバス便もある。 ![]() 私たちはそれぞれに焼き物を求めた。 ![]() ↓坂本庸一窯で買い損ねた平皿。惜しい! ![]() ↑下。中型の壺は抱えて飛行機に。ギリギリ座席下に収まる。右下壺、小品、塩入れとして使用中。 これらは柳瀬元寿窯で。 6時までにはガソリン満タンにして佐賀駅のレンタカーに戻らねばならない。 途中休憩を兼ねて八女茶の茶園で↓ ![]() 漫喫の北九州旅 惜しむらくは柳川に寄れなかったこと。次回訪問の機会があれば、天草でゆっくりも加えたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.04.19 14:30:15
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