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テーマ:読書(9356)
カテゴリ:本日読了
2025/05/11/日曜日/間も無くウエサク満月
![]() 〈DATA〉 出版社 講談社 著者 吉川永青 2021年6月23日 第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈タイトルから風土記の、作者なりの新しい視点の物語かなと期待し読む。結論から言えば、これは記紀に描かれた神武東征をベースにしたジュブナイルなラノベだった。記紀に触れたことのない、しかも年代を限れば楽しく読める?歴史は常に勝者によって記録されるという「汚れちまった」私の如きには今更感のみ募る。『日本書紀』ナガスネ彦、『古事記』富美ナガスネヒコがとんでもない悪人に描かれている点も気になる。彼を奉斎する神社の宮司の話を目にし、神武東征以来、氏子に大切にされた敗者への共感あれば大人も読める小説になるかも?〉 【 この本の主たる登場人物とその設定 】 ❶主人公ヒコホホデミ 日向の里長ウガヤフキアエズの四男で後の神武天皇 「我が父は日の神が胤、母は海神が血筋」 祖父の名をもらった。 不思議な老人塩土シホツツの話を聞き、豊葦原を目指す決意をする。 ❷イツセ ホホデミ含む四兄弟の長兄 イナヒ 次兄 ミケイリノ 三兄 ❸ニニギ 四兄弟の曾祖父、日向を開拓したという設定で、 ❹ニギハヤヒの弟としている。 ❺名草戸畔ナクサトベ 女盗賊と描かれる。ホホデミの矢で死ぬ設定。 ❻長髄彦 「ニギハヤヒ様の拓かれし里、豊葦原の使い、富美彦である。今の長、❼ウマシマデ様に最も近しき僕だ。」結局、ウマシマデによりその首級がホホデミにもたらされる。 ❽タカクラジ、実はウマシマデの兄、天香山アマノカグヤマ。初めからホホデミの側に付き、宝剣布都御霊フツノミタマをホホデミに捧げる。 ❾イクタマエ、カゴヤマの命を受けホホデミ一行を案内することになった風変わりな男。八咫烏と命名される。 ⑩磐余イワレ里長、磯城那岐シキナギことオトシキ。里長エシキはその兵によって首を落とされ、軍兵ごとホホデミに与する。 三輪山は真金を作るタタラ工人の集まる所として神扱いされる、そこの主が事代主、その娘は五十鈴媛で、やがてホホデミの妻になる。 これら設定だけで、私としてはえええ!なのだ。 記紀では❶ヒコホホデミはウガヤフキアエズの父。 物語最初で、主人公ホホデミは祖父の名をもらった、と明かされている。 祖父と孫の同名は、ホホデミ=神武天皇が、127歳没の長寿トリックの種明かし?神話上の存在を戯作上の生きた人物に造形する為に、かな? 小説の示す、天降りした天孫の子孫が日向で土地に根付き、開墾し、里を築いた設定に違和感を覚えるのは、日向三代の三代目、ウガヤフキアエズの名が示す、とりあえずここに宮を置く、的な名前。 日向滞在は物部東征の兵糧確保や造船のための数年程度の滞在ではなかろうか。 三代は吉野ヶ里にこそあり。 今春、高千穂を含む北九州を車で巡って感じたのが、佐賀平野の豊かさだ。北と南に海を置き、海幸山幸の豊かな、温泉のわく、災害の少ない土地柄。 大陸から上陸した集団は先住の邑を打ち壊し、逐一領土を広げたろう。吉野ヶ里は環濠集落、即ち武装された、それまでにない集落だ。 勢力を伸ばせば、北九州で大きな権威を持つ、先住部族の娘と婚姻関係を結び、その恩恵に預かった。 出雲口伝では徐福は出雲王族や宗像三女神とも縁を結んで、その子孫がヤマト連合国の覇者となっていく過程を伝える。 考古学の発見からも理解できるように、大陸から渡来した敗戦国の王族グループが吉野ヶ里で大きな集団となり、子孫たちが有明海から出航、兵を集めながら薩摩を経由して日向からいよいよ和国覇者を目指すストーリーは、私の腑に落ちるのだ。 中国風の律令制が根付くまで、日本は母系社会であり、中国の男性優位社会とは異なる文化を育んだ。 祭祀には女性の姫巫女、即ちヒミコが携わり、政治よりも神の道に人民は重きを置いてきた。 その古い姿が戦後まで沖縄の久高島では残っていた。イザイホーの最後の日に、自分の奥さんである神女に合掌し、感謝の念を湛える夫の佇まいは胸を打つものがある。 殿上から下々すべからく女性を尊ぶ姿こそ本来の日本ではなかったか。 それがイザナキ、イザナミのキミのマツリゴト さて。アマテラスが葦原中国=ヤマトを実行支配するのは自分の孫のニニギであるぞ、と出雲に僕を遣わし大国主に迫った日本神話。 これ、あまりではない? 国土を葦原の瑞穂の国に成した大国主代々の貢献を労う言葉の一つもなく、よい国だから譲れと力で奪いに来る。そんな存在が神であろうか。 ニニギの父のオシホミミは、しかもアマテラスではなく、ウケイによってスサノオが産んだ⁉︎もたらした男神であったのを、私の勾玉を齧って産んだのだから、アテクシの子よーと、私したアマテラス! 母の情愛なく、ワタシだけがあることに戦慄する。 お能の隅田川でもご覧じろう。と言いたい。 神話から見えるアマテラスは、神でも女性でもない、ヨソから来訪した存在、しかも和国覇権に執着する姿が見える。孫らはアマ(海)からフネで来た。 私はアマテラスはいなかったと考える。 少なくとも記紀におけるアマテラスは。 少なくとも物部が和国の主権を握るに都合の良い アマテラスは。 いるとしたら久高島に最後まで残った神女である。 数多の妻であり母である。 大和姫が背負って流浪したのはそういう光なのだ。 さて。記紀ではナガスネヒコはホホデミらが東征する前に河内にいた天孫ニギハヤヒに仕えた挙句、ニギハヤヒに殺害されたとある。 小説ではその孫のウマシマデの比定 しかし『先代旧事本紀』ではニギハヤヒはナガスネヒコの妹を娶とり、娘とタカクラジをなしたとあり、タカクラジがナガスネヒコ殺害を実行したとあるようだ。 とすると、本書は『先代旧事本紀』の説も取りこんでいることが分かる。 シホツツがホホデミに明かしたように、曽祖父ニニギの兄がヤマトに近い場所で豪族として存在していたのである。 ではなぜ用意周到に武人や槍、矢羽、刀、兵糧などを用意して東征したのか。神族ではないのか。 その考察においても、物部東征が百年を隔て2度あった説の出雲口伝はやはり腑に落ちるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.05.11 12:23:33
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