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2025.06.21
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テーマ:読書(9462)
カテゴリ:本日読了
2025/06/21日/土曜日/夏至、やや風あり







〈DATA〉

出版社 中央公論社
著者  柳宗玄

中公文庫
1994年6月25日   再販



〈私的読書メーター〉カッパドキアならぬカッパドキヤ、である。トルコ東部の峡谷に遺跡調査隊が乗り込んだのは敗戦からわずか21年のこと。当時の日本人のレジリエンス振りに頭が下がります。というか、敗戦前から台湾森林調査、ダム建設を始めとする東アジアでのインフラ構築や独立支援の一面はきちんと検証してほしい。先人の土台あればこそ自前の機材が用意でき、当地での研究成果を上げる事が可能だった筈。先駆け仏人レポートの誤りを指摘さえできた。著者は名前から判然できるように柳宗悦の息子さん。飾らぬ正直さ直情、手仕事への関心と愛着。血は水より濃し。〉


もうひと月ばかり前に読んだのに、日常の折々にふと、著者の60年前の、山藤章二似の近影画像とトルコ中央南部のカッパドキアの風景が目に浮かぶ。





トルコ旅の前に読む予定が帰国半年も過ぎてようやく読めたのである。




柳宗悦の息子さんたちはインダストリアルデザイナーの長男宗理さんと美術史家の次男宗玄さん、園芸家の三男宗民さんと、其々に父上の業績を継承されているのだなぁ。


戦後の日本近代デザインの画期、宗理氏のバタフライスツールはニューヨーク、パリ、ロンドン、ミュンヘンの美術館博物館でも所蔵されている。

デザイン学校で学んだ私には馴染みのフォルムだ。
用と美の具現という点で父譲り。


宗民さんの園芸家という生き方は、宗悦の民藝思想の根本が、野山に咲き乱れる多様な花々のハーモニーを根底点にする事と通底している。

何より園芸家は思索家、哲学者、という点で父譲り





ところが宗悦の霊的な系統を強く覚えたのは、
本書読後、著者の宗玄氏であるように感じた。

氏の筆致からは、以下のような気質、性分がまるで宗悦に生写しのように思われたのだ。


パイオニアであること。行動すること。
水平に眺め、垂直な直感に従うこと。
意地と矜持、頑固さ。
手仕事への愛着、収集癖なとなと。


そんな彼ならではのフィールドこそ、まだ手付かずに近い、迫害を逃れたキリスト教隠者の隠れ里、カッパドキアなのだった。




元々は東大法科で学びながら法曹界、まして官吏になる道を選択せず美学に身を投じて、ルオー研究の第一人者となった。


つまり、好きに生きた。
その姿勢は、スキを窺い流れる水の奔流の如し。


奔流に削られるのは、何も石灰質の奇岩ばかりではない。人間の姿、風貌、人生、膨大な時である。


村人や役人、はしっこい悪童らとのやりとり、滑稽でありながらも始源に近い暮らしの人間の勁い生命力を前にして、弱き文明人が一歩も引かず対峙する姿や、天晴れ、である。




◼️旅メモ

弾圧されたキリスト教徒、シナイ砂漠に逃れた。

エジプトの次にギョレメには10軒の修道院が並んでいた。
隠遁生活、隠者が一軒の中、30から40人が瞑想した。

撮影は禁止

カッパドキアを全部見たいなら1週間あっても足りない、500軒以上今でも残っている。

東ローマ帝国時代、隠遁生活者は税金を納めなくてよかった。それが一番の理


千年前ここはイスラム支配が始まる。

壁のフレスコは祝福されたので薬の目的で削られた

バルバラ教会、リンゴの教会、蛇の教会、二つの門

カッパドキアとは綺麗な馬の国、イラン古語。

イランの支配、税金を馬で収めた。

ヒッタイトで南北を下上という。

6000万年前火山活動始まった。
硬い石、一万年で1センチ侵食された。

妖精の煙突←トルコの人

ウチサールという洞窟マンションは初め城塞だった。


ムスタファさんのおじいさんは絨毯屋さん、トルコのパブロピカソ

ヘレケの絨毯は元々王族のもの、共和国になって庶民が買えるようになった。トルコ絨毯はアート、日本の帯や着物と同じ

200年前、クリシェルの街

トルコの赤河、緑河、その間からヒッタイトが生まれた。

パッシャバ将軍の葡萄畑、

むかしは隠者の谷と呼ばれた

地下都市地下一階は動物家畜、2500年前くらい前にはあった。東ローマ帝国時代に使われた
キリスト教徒トルコ人農民たちは戦争できないので避難所として使用された。

1923年キリスト教トルコ人はギリシャに

キズワリ赤い谷、レッドバレー

ウチサール、一番高い岩

カッパドキアの古語名エルデキュレル、大地母神の国の意味。日本公園がどこにもある。イスタンブールには4件の日本公園がある。


数秘術?チューリップの数字66、トルコ石も66

ペルガモン、カッパドキア、アララット山、
この三箇所でトルコ石がとられる。

他人の悪意から守るとトルコ人は考えているので、お守りとして身につける。最も価値あるトルコ石は透明

ギョレメの谷、ウチサールでは10世紀から戦争がなかった。洞窟マンションとして使われた。

鳩の谷では、野生の鳩が巣を作り、そのフンを肥料にした。一年に一度だけ採集をしたのは野生の鳩が人間の匂いを嫌うため

洞窟で暮らしていた人たちが道路沿いに家を建てはじめた。

塩湖、アング珍しい鳥、パートナーが亡くなると横で死ぬまで見ている。









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最終更新日  2025.06.21 13:54:14
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