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テーマ:京都。(6229)
カテゴリ:旅日記
2025/10/02/木曜日/朝夕は秋らしく
あるべきやうは、の明恵上人の言葉はさすがに現代の思考からは乖離があるなぁと思いながら、市バス26号に乗る。 ![]() 円町エンマチに程近い御室オムロに所用があり、京都に出向いたが、円町のビジネスホテルはJRもバス停も至近、エアコンがうるさくてオフにしないと眠れなかった以外は清潔で便利でお得だった。 せっかくなので円町を中心に関心の向く所を探してみる。嵯峨野の竹林は外せない、というか、ここ3ヶ月ばかり竹林の空気が吸いたくてたまらぬ〜という焦燥感に駆られていたのだった。 所用は後から付いて来た。なんと。 どうせ観光客でごった返すのだから、寺は入れなくてもどうでもよろしい、明日の朝一番で竹林を目指す。円町からは何と!6分で嵯峨嵐山駅に着くのだ。 円町を中心に地図を眺めていると、木嶋坐天照御魂神社という社名が。天照大神アマテラスオオミカミではなくアマテルミタマ。男神だろうか? 予備知識もないまま、黒橋バス停から少し西南方向に歩くと鬱蒼とした樹木がやや荒れ気味に茂るままになっている区画が塀に囲まれている。 ![]() キジマニイマスと手前読みしたら、コノシマニマスだった。コノシマは此のシマ?島? やはり御祭神は天照大神ではなく、性の区別もない造化三神の初めの神、アメノミナカヌシと他4柱。 しかし延喜式内社にアメノミナカヌシを祀る神社は存在しない。この神に注目が集められるのは江戸時代後期の平田篤胤を待たなくてはならない。 ![]() 広隆寺創建と関わるのであれば、秦河勝の時代だろうか。秦氏の技である、機織り。美しい絹織物で宮廷人を綺羅綺羅しく艶やかに演出したことによる莫大な富の集積を想像する。 大いに勢力を得、平安京への道を築いた。 ![]() 蚕の社もある。道理。 ところで皇后の養蚕は明治になってからと始まったと聞く。そんな古式めいたことを近代化明治に新たなしきたりとしたのは何の謂れだろうか。 ![]() 元糺の森ならぬ元糺の池、もある。元は湧水だった。いつ枯れたのだろう?下鴨に撰した、とあるが泉が枯れて撰したのは、御祭神か禊神事か。 御祭神の空席をアメノミナカヌシが埋めたのか。 下鴨神社御祭神、賀茂建角身命カモタケツヌミノミコトが初めはコノシマニに鎮座していた? 撰した先で秦は鴨になった? しかし一般的には、下鴨神社の方が歴史は古いと言われている筈だ。興味は尽きない。 ![]() 社務所はあれど、お守り朱印などは無し。 観光神社となることを拒絶する姿は好ましい。 ![]() 枯れた池の中に現れる石製三柱鳥居 ![]() これとよく似た鳥居が露伴の蝸牛庵があった向島の三囲神社ミメグリジンジャにもあった。 三井の江戸での家社で、本拠地京都のこのしま神社の三柱鳥居を写した。その事実はこのしま神社には掲示がなく、三井家の歴史から伺える。 ![]() 神社敷地の西南にはお稲荷さまらしき祠が東面して 鎮まる。 ![]() 大国御霊も祀る。大国主命だとしたら出雲系への崇敬もあるのか、或いは供養祈祷をしているのか。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.10.02 09:08:07
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