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テーマ:京都。(6229)
カテゴリ:旅日記
2025/10/04/土曜日/秋雨
コノシマニマスアマテルミタマ神社、通称はコノシマ神社、を辞してほぼ真西、広隆寺の弥勒菩薩さまに会いに行く。 ![]() 久しぶりに訪れると、かつては吹きさらしの粗末な納屋のような場所に陳列されていたと記憶する、仏様方が、豪奢な宝物館に安置されておられた。 私はかつて、を愛する。 弥勒菩薩像が、ここに来訪したヤスパースというドイツ哲学者から、人間実存の最高の姿と称された紹介も掲げられていたことも記憶に鮮やかだ。 この菩薩を愛してやまない若者が菩薩に抱きついて指を折られた逸話などを父が万感込めて話してくれたことも懐かしい。 ![]() 真言 オンマイタレイヤソワカ 御マイトレーヤだろうか。オンはアウムだろうか。 マイトレーヤとは弥勒菩薩の原語と思われる。 ソワカ?よく聞くけど何だろう。検索。 成就されますように、の意だという。 一切の穢れを払うこのふくよかな微笑の先にある深い思考の姿。有難い。オンマイタレイヤソワカ。 ![]() ↑聖徳太子と大日如来の扁額も。 地名太秦には秦の字があるように、ここは渡来人 秦氏の開拓した土地だ。 コノシマ神社との由来を寺務所で尋ねるとなんと!電話で上の方に繋いでくださった。女性だった。 その方は神社との由来と聞いて、大酒神社との習合を説明して下さるが、私はコノシマ神社の案内板で、この神社がユダヤ由来であると表記されていたことについて尋ねたのだった。両社は秦氏建立だ。 お寺では、そのような記載は現存しうる過去からの資料に全く触れられてない、ときっぱり仰った。 清々しい認識で、寺の持つ清潔さが伺われた。 通りすがりの観光客の一人にすぎない私にさえ、 丁寧な対応である。 それでも気になる蛇塚古墳。 地図を見てほー。 コノシマ神社、大酒神社、広隆寺は東西一直線に 並び蛇塚古墳のウシトラすなわち鬼門に広隆寺が配置されてある。 ![]() 小住宅の並ぶ細道に忽然と現れる。 ![]() 剥き出しになった石舞台らしき大岩の構造物。 ![]() 鍵穴の穴だけを残して周囲は丸く細道で縁取られ ![]() 日本で4番目の大きさの石舞台古墳であった事が記される。7世紀に五つの指に入ろうかという豪族の墓なのである。 ![]() わずか40年前、人家は今よりは大きい規格で、かつての前方後円墳に沿って配置されていた。 今を生きているものに利用されるが道理。 朝刊の斉藤美奈子、旅する文学コラムは京都編 「古都特有の閉塞感と排他性」 それそれ! これこそ文化骨頂の羊水にして揺籃。 その典型をこの地に垣間見る。 ![]() 岩を割いて、樹木は空へ 最寄り駅まで歩いて12分。 2駅目が円町。良い場所にホテルを得たもの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.10.04 09:39:32
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