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テーマ:読書(9771)
カテゴリ:本日読了
2025/11/25/火曜日/市ヶ谷決起から55年
![]() 出版社 翰林書房 著者 木谷真紀子 2007年12月5日 初版第一刷 〈私的読書メーター〉〈特殊で異様な幼少年期を過ごした三島にとって中学時代に出会った歌舞伎の目眩く艶やかさは、砂漠を彷徨う旅人が出会った聖烈な一杯の水、彼を生き延びさせたと想像する。「地獄篇」から最後作品「椿説弓張月」まで6作の戯曲が生まれた背景や原作への遡り、また当世事情や風俗、三島の状況などを丹念に収集網羅している。今現在浮遊する国立劇場の、その創立時に歌舞伎復興を期して魂を打ち込まんとした三島の息遣いが感じられる。曰く〈歌舞伎とは魑魅魍魎の世界、その美はまじものの美でなければならず、その醜さには悪魔的蟲惑〉そは沙翁である。〉 お能舞台はせいぜい年に一度 ほんとはもっと出かけたいのだが、何しろ他に やるべきことが多すぎる。 大好きな文楽に至っては、常設劇場が東京にはない!現状である。悲惨やなぁ〜日本文化 国立劇場がふらふらしていて、落ち着いて文楽を 楽しめる機会が得られず、勢い足が遠ざかる。 その問題の国立劇場。 この本からは今、封鎖中の国立劇場新設に寄せる 三島由紀夫の並々ならぬ熱情が感じられる。 今は昔。 それは圧倒的に歌舞伎に寄せられたものだけど、 読み進むほどに何やら歳月の過ぎ去った、熱の冷えた芝居の残り香を覚えて寂しい。 『三島由紀夫の来た夏』にしても、安部公房や寺山修司や唐十郎にしても、あの時代の芝居には何やらすごい勢いがあったのだなぁ。 そんな中で今一つ着火されていない芝居、歌舞伎にひとしお愛着を持っていた三島由紀夫が、ぞっこんだった女形の歌右衛門に照射し、歌舞伎ルネサンスを始めたのは戦前からの必然の流れだった。 彼のことだからもちろん山気ぷんぷん。 ステージのスペクタクルに斬新さは表れた。 それが先代の猿之助の舞台に昇華したのだろう。 私ですら、二、三回は彼の舞台を観た。 どちらかといえばその名を継いだ、不可思議な事件を犯した、あの猿之助が私は好みだったけれど。 考えてみれば、『国宝』の驚きのヒットは三島歌舞伎の花道をみる心持ちだ。 冒頭、主人公の父親の任侠世界の命の捨て所的な様式美。手を合わせるのは悪魔か鬼か。 歌舞伎世界の魑魅魍魎が割合に描けていた ではないか。 三島由紀夫が嫌ったという太宰治 しかし私には同心円の距離を持つ。 その名を聞いては何やら穏やかでいられなくなる 2人の作家だ。 1人は情死、1人はハラキリ 後世の人は何やら意味付けを盛んにしているけれど、やはり本当のところは当人にしか、いや当人にも判然とはしないのかもしれない。 ただ、『豊饒の海』で大神神社を取材したなら、 縄文まで駆け上がっても良かったろうに。 10代で欧州美術界に飛び込んだ岡本太郎が、日本のオリジナルを求めて沖縄の御嶽や縄文に辿り着いたこと、官僚から民俗学に進んだ柳田国男しかり、 歌人折口信夫しかり、である。 そういえば、歌舞伎演目のために沖縄の斎場御嶽にも取材したことを本書で知った。 三島が縄文に飛び込んでいたら、もっと豊かな水平線を見出したのではなかろうか、と嘆息。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.11.25 17:58:41
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