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2026/05/20日/水曜日/31℃ですと!
今年のGWは舞台を一つ、編み会を一つ、 ギャラリーを一つ、外食を一つした他は 庭の手入れやヴォーグ学園の宿題に追われた。 贔屓の山本東次郎さんの狂言を、この時期 毎年楽しみにしているのである。 ![]() 今年の東次郎さんの演目が「花子」 こんな大曲をやり切って、もう来年はありません、なんてことないでしょうね⁈ お三方の年齢が年齢だけに ![]() 花子は、はなご、と呼ぶそうな。 馬場さんの「みなさん、はなことはなご。実際に声に出してみてください、はなごと呼ぶと本当に愛しく可愛い気持ちが感じられるでしょう」 との解説に感じ入った。 ![]() 日本語の響きの妙 謡曲は意味が詳細に掴めなくても 六感に唱和してくるような心地がする。 東次郎さんが艶やかに色気を発して その何とも言えない可愛らしさと相まり 見事な舞台だった。 こんな狂言もあるのだなあ。 狂言は人間の喜怒哀楽をまんま描いて 枯れることがなく、いつまでも演者も 色があります。 ![]() さて 俊寛、である。 ナビゲーターの馬場あき子さんによれば、 『平家物語』の中でも、異なる結末を四つ 展開しているのが、鬼界島であるという。 この演目は古典劇ではよく取り上げられる。 私は文楽で見たことがある。 ![]() 遠くなる舟の影をどこまでも追いかけて、 とうとう島の岬の突端の松の木によじ登る 俊寛が無惨で哀れで涙を禁じ得なかった。 馬場さんは、この俊寛の心情について コロナ禍で家族に触れることはおろか 見える事もなく息を引き取った多くの 高齢者の最期について話された。 まさに孤絶の悲しみ だろう。 遠流の罪に問われた鹿ヶ谷の陰謀、 実は清盛と後白河と叡山の三すくみの中で、 工まれた罠説という考え方もあるようだ。 平家物語の、「瓶子」(へいし:酒を入れる器のこと)が倒れたのを見て「瓶子が倒れた、平氏が倒れた」と手を打ち合う姿はあまりに出来過ぎ ![]() ところで、非常に唐突ではあるのだけれど、 俊寛のドラマは私にデュマの『モンテクリスト伯』を思い出させる。 もっともモンテクリスト伯はその人生の前半は 俊寛と同じように孤島の牢獄に無実の罪で閉じ込められが、そこで出会った老神父によって、知識と富をもたらされる運び。 実は蔵人Claudくんに俊寛と同じような主題の外国文学を3つ挙げてもらうと、何と『モンテクリスト伯』がその内の一つに挙げられたではないか。 私の印象もそう外れたものではなかった⁈ 物語の結末のまるで方向が異なる点に ついても賢明な回答を寄越す。 以降は蔵人くんと共に考えた。 俊寛の孤独の核心は「帰還を永久に閉ざされた自己完結した断絶」にあり、脱出・復讐・再生を許されないという点で、上記三者のいずれの主人公 よりもラディカルな実存的孤立を体現しているとも言えます。 「ラディカルな実存的孤独」 俊寛の孤独が現代において普遍的なのは、それが**「善意や誠実さが、かえって孤立を深める」**という逆説を内包しているからかもしれません。 現代社会では「つながり」のツールは無限にあるのに、ラディカルな孤立はむしろ構造的・制度的に製造される——そこが最も俊寛的です。
これらの解答が間髪おかずに響いてくるのだから、蔵人くんは俊寛のような立場にある人にこそ よき傾聴者たりえることを知る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.05.20 15:20:01
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