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古刹

2022.01.01
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カテゴリ:古刹
2022/01/01/土曜日/晴天
古刹に関心を持ち始めて初めての初詣になる本日、京王聖蹟桜ヶ丘駅側の小野神社を訪ねる。

埼玉の氷川神社は大変な大宮だが、こちらは驚くほど小ぶりな神社だ。

しかしながら南北朝時代成立の『神道集』では「一之宮小野神社を筆頭に、二ノ宮小河神社、三之宮氷川神社、云々」と由緒書にあるので、ある時代まで小野神社の格は高かったようだ。

当時の武蔵六所の宮総社、現大国魂神社が隣接府中市に座していることからも理解される。当時は大国魂神社に比肩する規模のお社であった事だろうが、長い歴史の中、火災や多摩川氾濫などで今に至る。地名、多摩市〈一ノ宮〉に記憶が。

由緒書には、主神は天下春命アメノシタハルノミコト、とあるが、神社関係資料を見ると多摩川の水の女神を祀ったのが始まり、なども目にする。

この女神が瀬織津姫と呼ばれるミステリアスな姫神だ。そういえば荻原規子の『レッドデータガール』の主人公少女は高野山に住む巫女。彼女の、あまり姿を見せない母こそ瀬織津姫だったかも?

鳥居をくぐると立派な門がある。そこには龍神さまが彫られているではないか。天下春命と瀬織津姫の二柱の門でもあろうか。

今年の初詣に因んで今年はミステリアスな瀬織津姫を少し辿ってみようかしらん。

ところで当地は小野郷と古来呼ばれた土地。かつて琵琶湖西岸にいた小野氏一族のあるグループが、どんな経緯かここに植民したことなど妄想される。そこには暴れ川多摩川の鎮まりを願い、瀬織津姫が先来植民者によって祀られていた?

小野郷9社を兼務する社務所があり、御朱印をまとめて頂いた。帰宅後見るとなんと!小野神社の御朱印が欠けているではありませんか。これをどう卜する也?

尤も電話で事情を伝え、ご親切にも我が家に送って頂けることに。おみくじならば、遅れるが願いは叶う末吉としよう。






最終更新日  2022.01.01 21:58:31
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2021.12.19
カテゴリ:古刹
2021/12/12/日曜日/温かい晴

茅野市にある真言宗智山派のお寺

1649何、武田信玄の弟の甥、大和小兵衛の子の武田慶尊法印が諏訪藩2代目藩主から寺領賜り、高野山金剛頂院の法流で、要穴山胎蔵院長円寺と号したのがその始まり。

密教と修験道、山伏などの修行場でもあったろうか、本尊は金剛界大日如来。しかし、開山百年ばかりのちに火災で消失し火伏せのため山号を清龍山に変えたという。
いつの時代に宗派が移ったかは御縁起では説明がない。

1811年に大隈流建築家の鐘楼門が完成たあるが、門の上に鐘があり、いつでも誰でも自由につけるのが嬉しい。音は周囲に響き広がり荘厳のおももちがする。よい体験を頂いた。

一行寺楓が評判で近年高揚の季節はそれを目当てに訪れる人が多いという。

水琴窟や諏訪明神本地仏の秘仏薬師如来像など見所が多いが、何と言っても石工菊地道悦奉安の百体観音石仏のお顔のよさだろう。これが大政奉還の前年になされたこと、無事今日に伝わることを有難く思う。






最終更新日  2021.12.19 08:24:48
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2021.12.16
カテゴリ:古刹
2021/12/12/日曜日/快晴、温かい

地元では「おてなが様」と親しまれている手長神社のご祭神はテナズチノミコト、稲の徳をもつ奇稲田姫の母神にあたる。奇稲田姫は大蛇退治の素戔嗚と結ばれた姫君。

この系譜を見ると大国主命はテナズチノミコトから五代下がった国津神で、国譲りに異を唱え敗走したのち諏訪に辿り着いた建御名方神はその子に当たる。

このお社は諏訪大社よりずっと古くからここに鎮まる神様であったことが祀る祭神の大によりる想像される。

守矢神長官、ミシャクジ神、諏訪湖の龍神さまなどの古い背景を考えれば、出雲族に起きたことが諏訪地方の豪族にも起きたのではないかと思われる。或いは出雲族の分岐がご先祖さまとか。

ここには沢山の末社が祀られ、お社からは諏訪湖が望める、気持ちのよい場所だ。近くにはテナズチノミコトの夫、アシナズチの足長神社もある。上社と下社の真ん中あたりに御在所というのも面白い。






最終更新日  2021.12.16 08:04:22
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2021.12.15
カテゴリ:古刹
2021/12/12/日曜日/快晴

中々に重々しい寺名、縁起によればそれに相応しい歴史があるようだ。

大同元年、806年坂上田村麻呂開山その後空海により真言宗学問所となったという。

ところで、この大同年間という時代は日本各地に爆発的な勢いで寺社が置かれた時代。田村麻呂を祀る、アテルイ石碑の京都清水寺もやはりこの時代の開山。

都を遠く離れた諏訪地域に仏教を学ぶ場所がほぼ同年に用意されたことの背景には諏訪大社の存在があると思われる。

四つの宮を持つ諏訪大社は、更にこの地に古くから勢力のあった集団がいたことも連想される。

神仏習合された時代には宮には神宮寺が置かれた。
紹隆寺は諏訪大社の別当社務所の位置付けで、諏訪大明神の本地垂迹、普賢菩薩蔵が祀られている。

廃仏毀釈の維新時には村の人たちがこの本地を隠し守ったからこそ、今ここに鎮座されてお目にかかることができる。

高島藩主諏訪氏の護仏、聖天さま(←何やら最近やたらと聖天さまが…)秘蔵されていたり、伝運慶の小柄な不動明王蔵も宝物殿にある。

石の景観が面白い庭もあり、見所は満載。諏訪大社に来た時は少し足を伸ばしたい。






最終更新日  2021.12.15 08:04:03
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2021.12.14
テーマ:●桜・好き(840)
カテゴリ:古刹
2021/12/13/日曜日/快晴
大津山実相寺

武川町高山の神代桜は樹齢1800年から2000年ともいわれるエドヒガンザクラだそうだ。初めてその樹を、こんな季節に見るというか会いにというか立ち寄ってみると、山中にぽつんとある訳ではなく、お寺の境内にあるのだった。

しかも境内には立派な桜がまだまだ沢山あった。山門に入ると大きな枝垂桜のトンネルが。多分春には美しく招き入れてくれる筈。

大津山実相寺、おおつざんしょうこくじ、と読むそうだ。1375年、同村大津にあった真言宗の寺を法義の上譲り受け日蓮宗に改宗、大津山実相寺と号したというから開山646年の歴史をもつ。

縁起によれば、武田信玄の永代祈願所として山高城址の今の場所に移ってから今年で459年。桜はこの場所でその4倍もの歳月を過ごし来て尚毎年忘れず花をつけている。

春には桜と共演するように黄水仙がたくさん咲いてそれは美しいと、毎年観ているお寺のお内儀さんが特別に晴々しい面持ちで教えてくださる。

大正時代に天然記念物指定になったが、熱狂的ブームはそんな古い話ではない。1日に百台の観光バスがやって来たこともあるという。コロナで今年は桜祭りも中止だった様子。近在の方がこんな静かなお花見は久しぶりとおっしゃったとか。

年降りた神代桜の幹と斜めに伸びた枝は何処からか落ちて来て蹲る年老いたドラゴンのようにも見える。

空想で桜満開の境内の様子を描いてみたが少し痛々しく、この神代桜にはもうお休みしてもらい、次の担い手にバトンタッチさせてあげてほしいと感じた。

境内には日本三大桜始め、名物の小桜が植樹されているらしい。これから五百年千年、弥栄いやはえ、やさか。






最終更新日  2021.12.14 12:06:00
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2021.12.06
カテゴリ:古刹
2021/12/03/金曜日/温かい日

創建853年は、東京ではかなり古いお寺。
宗派が天台宗→日蓮宗→天台宗と変化している。日暮里感応寺(現在は天王寺)もまた幕府により法華宗が禁じられた。

釈迦堂は都内の木造建築としては最古参に属する。正確な年号は不明だが、鎌倉時代初期のものという。

ところで建立当時の棟梁が天井裏の高い所の材に「我が手よし、人みよ」と記したことが発見された当初は大騒ぎとなったらしい。そして戦後の大規模な改修時に、その任を負った棟梁は…

このエピソードは大変面白い。たまたまお寺のブログで見つけたのだが、まるで小説のようで幸田露伴あたりが書きそうにも思ったことだった。

さて都下最古の木造建築は東村山市、正福寺の千体地蔵堂(都下唯一の国法木造建築)で1407年建立という。

↓この造形美は尋常ならざる風景
力強く、かつ優美さも備えている、屋根の反りと深さ。
円融寺の仁王門

↑釈迦堂は右下の画像。私は釈迦堂よりも仁王門に強く惹かれる。寺務所が見当たらず、縁起を尋ねることが叶わない。


円融寺から目黒駅方面へ歩くとその真ん中辺りにある、この公園。

わたしたち夫婦の仲人をしてくれたご夫妻が、その昔この公園隣接の官舎に住んでいた。ご夫妻を懐かしく思い出しながら初めて園内を歩いた。

自然のまま、というのでもなく、作庭したというのでもなく、植物樹木か何かの研究施設があるわけでもなく、ただ起伏のある、樹木のある大きな空き地のように存在している。

その無作為さが人をして気張らせず心地よいのだろう。ジョギングする人、おしゃべりする人、子どもが遊び、老人が憩い、野鳥も集う。
大きからず小さからずほどほどの良さ。






最終更新日  2021.12.06 07:25:53
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2021.12.04
カテゴリ:古刹
2021/11/30/火曜日/日差しは暑い

⚫️虎ノ門金毘羅宮

なんとまあビルの狭間に鎮座まします。四百年の風景の変容にさぞや驚かれている事だろう。
幾星霜、庶民の心の拠り所として今に至っても参詣者は途絶える事なく。

ご祭神は大物主神と崇徳天皇
丸亀藩藩主が藩内に鎮座していた金毘羅さまを江戸屋敷に分霊したのが始まり。当初は芝にあったものが1679年、今の虎ノ門の場所に遷宮したという

御朱印は定額ではなく自分で志を納める式、というのは初めての体験。この社の豊かさから来るおおらかさ哉

境内には百度石が据えられている。港区内には珍しいものらしい。祈り願い参る、それが堅固なモノに形となる。

金毘羅離宮は火消しと関わりが深く、関東大震災の火災の中、宮の上には叢雲立ち上がり、白髭の翁が火の粉を払う姿を宮司たちが認めた逸話もある。

⚫️愛宕山神社

愛宕山は自然の造形としては都内で一番高い山!なのだそうです。目もくらむような急な階段は「出世の石段」。

馬で駆け上がり駆け降り将軍に梅を献じた逸話はこの石段であるか。その馬乗り名人武士が、先述の、この社に程近い金毘羅宮の丸亀藩士、曲垣平九郎とはよくできた話。

そしてまた、このご祭神は火伏せの神、火産霊命であれば金毘羅さんと同じく火消しにご縁がある。いい男たちのお社ね

境内末社にある太郎坊神社のご祭神は猿田彦神で、旅の神と聞く。第二次世界大戦時の大空襲でお山は灰塵に期すも、太郎坊神社のみ無傷だったとか。拝し奉る。

⚫️天徳寺
浄土宗のお寺

門は開かれていたので、中に入れさせて頂く。
商売繁盛?なにぎわう寺社もあれば、ひっそり佇むところもあり、そういう古刹に惹かれるのだけれど。

果たしてよいお顔の観音さまが庭隅に。






最終更新日  2021.12.04 08:53:26
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2021.11.27
カテゴリ:古刹
2021/11/26/金曜日/日差し暑い
❶石濱神社

日暮里駅前バス停から亀戸行きバスで20分余り
橋場二丁目下車、進行方向へ3分ほど歩いた左手の小さな公園が石浜城址公園。

石浜城は江戸重長が12世紀頃に開き、南北朝時代には足利氏と新田氏の合戦地にもなったという。その後16世紀後半千葉氏と共に滅んでしまう。

石濱神社の歴史は古い。724年、勅願によりご祭神二柱が鎮座。房州への交通の要所でもあり関東武将の寄進篤く、大社として発展した。それも今は昔の物語

ここの富士塚に風情あり。業平の「名にし負はば…」の歌碑は江戸時代末に遡る。浅草名所七福神の寿老神を祀る。

さて、城址公園とその交差点の隅田川に係るのが白鬚橋。橋からスカイツリー。先週の京都滋賀旅で、計画的していたのに寄れなかった白鬚神社。

そこで、本日分枝の、墨東通り南下、左手の白鬚神社へ。
主祭神が猿田彦大神というのは興味深い。白鬚を吉備真備と見る本を何かで読んだ記憶がふと

向島、隅田川、墨客文人に愛されたこの辺りは、関東大震災と東京大空襲で壊滅的な思いを味わった。戦争の悲惨な展示が近所のすみだ郷土資料館に。

これから先、この地が本日のお天気のように穏やかでありますよう。






最終更新日  2021.11.27 07:28:29
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2021.11.22
テーマ:紅葉の名所(310)
カテゴリ:古刹
2021/11/21/日曜日/晴れ後曇り

白州正子さんの近江の随筆で読み、いつか訪ねたいと考えていた天台宗教林坊。
今回京都への用件の機会を捉え、偶々のライトアップ公開に当たり、当地夕方到着でも拝観が叶った。

西国三十二番観音正寺の元塔中で603年、聖徳太子開基伝の由緒ある寺院だという。ご本尊は太子自作の石仏という。

しかし太子のいた飛鳥からこの地までは馬の騎乗を得意とされた太子でもかなりの日数が掛かるものを何故ここで説法されたか?

同じ近江八幡市の西にある加茂神社は日本初の放牧地に736年創建された吉備真備ゆかりの神社、と案内パンフレットにあるのが目に入る。

当時ここらが牧の地であれば、太子は良い駒を求め来た折に地元の有力者や学者に大陸の進んだ仏典などを教え伝えたのでは無いだろうか、と想像する。

近江商人発祥の五箇荘の北、観音正寺の東には石馬寺があり、教林坊は別名、石の寺と言うのも何か繋がりを忍ばせる。

さて、その教林坊は昭和50年頃から無人となり庭は地元の人びとの手入れがされていたが建物は荒れて「お化け寺」と呼ばれていたという。

そこへ青年住職がやって来て大工並みに働き、復興されていく顛末をお寺に置いてあった「仏教タイムス」で知った。

今や壮年のご住職、アイデアは枯れず益々発展している様子。確か宗派に拘らず観音さま胎内への永代納骨、これ素晴らしいなぁ。新しいがもう少し近在なら志納して、多宝納骨塔再建の一助を担いたいと思った次第。


十一面観音さまはお寺ホームページより。拝観時、屋内撮影禁止の指定は無いけれど、殆どの方が外部以外での撮影するはされていなかった。
事情の分からない外国の方が盛んに撮影していたけれど、察することを期待するのは難しく思う。

公開は春は4〜5月の土、日、祝日のみ
秋は11/1〜12/10毎日の9:30〜16:30
11/15〜12/5の紅葉ライトアップ時のみ19:00まで






最終更新日  2021.11.22 22:52:44
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2021.10.16
カテゴリ:古刹
2021/10/13/水曜日/小雨、薄寒い雨

新宿でレッスンの日。駅に戻るとこの猫ちゃん


その引きがあったでしょうか、何となく雨の中豪徳寺へ。



招き猫の、という枕詞のある豪徳寺は玉電じゃない、東急世田谷線の宮の坂駅が最寄り。寺務所前では看板猫のお出迎え、その座り姿のこんもりぶりと意外な脚長



初めて境内に入ったと思う。古刹の名に相応しい風景のお寺。曹洞宗、彦根藩城主の江戸菩提寺になる前は1480年創立の弘徳院という歴史をもつ。



お寺で請えば「招福猫児」←まねきねこ由来が頂ける。それによると創建当時は雲水が2、3人修行する程度の貧寺。時の和尚が猫を愛し、自分の食事を割いて可愛がっていた。

ある日、和尚が猫に「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」とまあ、冗談半分にか言い聞かせた。何事もなく日が過ぎたある夏の日、門の辺りが騒がしい。

鷹狩と思しき武将数名が言うに、通りがかりの門前に猫がうずくまりいて彼らに招くようにしきりと手を振る様子を怪しんだと。和尚は招き入れて渋茶など出していたところ、雷鳴と大雨にわかになり、そこで和尚は静かに三世因果の説法をした。武将はその仏縁を喜んだ。

その武将こそ江州彦根藩主、井伊直孝で以来井伊家菩提寺となり宗派も臨済宗から曹洞宗へ、寺名も大谿山豪徳寺となり一大伽藍となった。

和尚、猫の恩に報い猫の墓を建てるよう言い残す。後年猫の姿形を創り、崇め祀らばその霊験あらたか、知らぬ人はなかりけり、と。

井伊家13代藩主にして大老、井伊直弼の墓もここに懇ろに祀られて塀に沿った細い道からも垣間見える。

歴史ある寺の側にはたいてい元地主神社があるのが日本人の宗教特性のように感じ受ける。矢張り直ぐ側には世田谷八幡宮がある。この鎮座は、豪雨でこの地に2週間ばかり留まった源義家が帰路に戦勝を感謝して、現大分県の宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが由来という。








最終更新日  2021.10.16 07:50:31
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