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洋風建築

2022.01.15
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カテゴリ:洋風建築
2022/01/12/水曜日/寒いけれどうららかな晴

私はこの画家を知らなかった。碌山ともつながる中村屋に出入りしていた夭折の人。彼を支援するパトロンがいて、下落合にアトリエを持った。
アトリエの天窓のあしらい、アトリエの空間並びにそれにつながる居間への内法寸法、漆喰壁の肌合、全てのスケール、素晴らしい雰囲気に満たされる。

誰の設計か、中村彝自身のものか。だとしたら素晴らしいセンスの持ち主だ。

ここで暮らしたい!
そんなふうに思える空間は少ないが、このアトリエには魅せられる。どこか禁欲的で精神の休まる、そんな印象が深い。

そしてとても音楽的なのだ。
チェロやバイオリン、弦楽器が似合う。

外壁の焼き杉板?下見張りとこの屋根瓦。
冬薔薇が痩せた姿をフリーズさせ、まるで音符のように南面土台に並んでいる。

37歳で逝ったが、その少し前、髑髏を持つ自画像が描かれている。大原美術館が所蔵している。まるでグレコのような。清浄な世界へと昇っていくような。

これも、彼の一つの絵である、と思う。






最終更新日  2022.01.15 09:26:59
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2022.01.14
カテゴリ:洋風建築
2022/01/13/木曜日/寒い晴れの日

30歳でパリで客死した。
その時まで2度もパリに滞在した。

ユトリロやセザンヌの影響の感じられるタブローを残している。当時の日本人画家の中では一番パリに触れた人、のように感じる。

アイスブルーのグラデーションが彼には似合う。

学生時代に結婚し、アトリエ付き住居を構えた。
↓竣工した頃の魔界が記念館に置かれている。
妻の米子も画家で、彼女の絵からは苦悩のようなものはやって来ない。↑右上が米子の作品。

住居部分は失われ、アトリエだけが修復再現された。↑親密な、ヌックのような空間のある小部屋は祐三自身が建てた空間で、素人の手ながら関東大震災にもびくともしなかったそうだ。

在学中に土地を買い、家が建てられ、就職することなく家族と共にパリで学び暮らした。

しかし2度目滞在で精神を病み、衰弱死する。それから2週間ばかりして一人娘も可愛い盛りに命を落とした。

米子は二人の遺骨を抱いて帰国、まもなく日中戦争、太平洋戦争、大空室、敗戦と続いた日々を生き抜いた上での、あの花の絵、なのだ。






最終更新日  2022.01.14 08:20:12
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2021.11.30
テーマ:住宅コラム(1648)
カテゴリ:洋風建築
2021/11/20/土曜日/暑いくらい晴れ

短い京都滞在だったが、上賀茂神社→駒井家住宅→清水寺の夜間開放→二の丸庭園→法事のお寺→三千院と巡る。

その中でこの時期丁度駒井家住宅が開放されていて早くから予約を入れておいた。

京大遺伝学の駒井博士の旧居で、日本トラスト協会が管理している。建築はかのヴォーリーズ。
博士の奥さまとヴォーリーズの万喜子夫人が神戸のミッションスクール同窓の縁で建築依頼となったと想像される、とのこと。

外観の洋風の中に和室を落とし込む工夫しては成城学園の旧居山田家住宅と等しい仕掛け

玄関はこじんまりとして右に和室、正面がホール。ホール左右はサンルームとダイニング。ダイニング並びに南面縄の広がるキッチン。
当時の日本の住宅の配置とは全く異なる。廊下のスペースは殆どなく、合理的な動線

玄関から階段に進む手前の巾木に引出しを仕込む、ちょっとしたユーモア。この家が夫婦二人で切り盛りする生活設計である事を表す。

門を入ると直ぐに玄関、郵便受けは玄関ドアに並ぶ。これは我が家と同じ。小さな住宅の工夫か

キッチンにつながる勝手口のデザインが何となくサンフランシスコ辺りの住宅を思い出させる。

室内ドアのノブは透明クリスタル、屋外は紫と分けている。
小さな住宅でも階段は豊かな、贅沢な少しだけドラマチックなデザイン。そもそも階段とはそういうものなのだろう。

水回りを改修すれば直ぐにでも住めそうな、プランニングのまこと合理的な住宅だ。
そうそう、2階天井ウラ収納庫のステップ収納の仕組みはつい最近の住宅メーカーなんかのオリジナル

ヴォーリーズ設計の住宅が具に見られる希少なケース。

ところで南面する和風建築の家は京大工学部、藤井コウジ←うろ覚え、の設計によるという。現在オーナーは米国人だとか。京都のよい建物でそのようなケースが増えているそうな。






最終更新日  2021.11.30 08:49:31
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2021.11.17
テーマ:住宅コラム(1648)
カテゴリ:洋風建築
2021/11/16/火曜日/薄曇り、朝初めて寒し

午前に成城みつ池緑地にある洋館を訪ねた。駅から12.3分くらい、国分寺崖線方向へ進むとこんもりした樹木が見えてくる。

アメリカで成功した楢崎定吉が1937年頃建築したものという。当初は今の何倍もある敷地だった様子で、館内のビデオで確認できる。

この洋館を1961年に山田耕雨氏が購入し、しばらくは別棟のアトリエで作画したという。門弟たちも多く、ここで画業に励んだ由。

↑2階に山田耕雨氏の作品2点が展示されていた。左の福禄寿と見えるお顔は山田氏に似ているそうで、自画像かも。

2階にある唯一の客間和室の壁色は実に独特。自然光で見ると濃茶だが、光が当たると紫色に。

水回りとオープンテラス以外は手を加えることなく当時の姿をかなり留めている。

半世紀ほどを経て、区に寄贈され修理後に一般公開された。
あまり知られていないのか、本日の見学は私ひとり。

当時のデザインに戻された上げ下げ窓からは富士山も見えたとか!今は鬱蒼とした樹木で見晴らしは期待できない。

この緑地下の湧水辺りでは夏に蛍も見られるそうで、もう少しすると紅葉も美しいそうだ。

これが無料なのだから、世田谷区は本当にお金持ちなのだなぁ。受付の猪俣邸ポストカードが気になる。尋ねるとすぐ近所だとのこと。戦前の立派な数寄屋住宅で有名な建築家云々

え、もしや吉田五十八ではないでしょうか?と聞き返すと名前を忘れてしまったとか

これはこれは、へんしも早うと気が急く

ー続く







最終更新日  2021.11.17 07:11:54
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2021.08.30
テーマ:洋館の記憶(33)
カテゴリ:洋風建築
2021/08/13/金曜日/大雨小雨

歴史教科書にも登場したジョサイア・コンドル。彼は三菱財閥お抱え建築士となり予算度外視のお屋敷を設計した。かねてより訪ねたいと思いつつようやく出かけることができた。

庭園と名がつく割には工事中ということもあってかさほど感心する庭ではないし、思ったより狭い。何しろ清澄白河庭園も岩崎家の、のイメージが先行したので。

けれども調べてみると、矢張り元はかなり広大でテニスコートや温室や厩舎もあり、日本建築住居の方ももっと広かったようだ。



もっと充実したこのお屋敷に岩崎3代目の久彌は50年暮らしたという。久彌はアメリカで学びそのライフスタイルが身に付いていたことだろうが、コンドルは英国出身なので細部仕上げなどは英国仕込だろうか。

洋館外壁の色はどことなくエディンバラのストーンカラーに近いような蜂蜜色。



左2枚は撞球室。洋館ホールから地下通路を通り、雨に濡れることなくビリヤードが楽しめる。校倉作りの、スイスのシャーレのような佇まい。私的にはこんな小屋?に住めたらなぁと。

室内で一番美しく目を引いたのは玄関ホールの暖炉を飾る緑色のタイルと窓飾り金物とテラス床のモザイクタイル。このモザイクタイルは英国王室御用達ミルトン社製で、当時住宅に用いられることは英国でも稀だったとのこと。

撞球室といえば、同志社大学の古い男子寮アーモストだったか、そこにも居間に面し一番明るいところに撞球室があったと記憶する。大学設立に当たり新島の呼びかけに応じて岩崎弥之助、久彌二人で八千円、渋沢栄一五千円の当時としては破格の寄付をしている。






最終更新日  2021.08.30 20:49:45
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2021.08.28
カテゴリ:洋風建築
2021/08/27/金曜日/猛暑日

蔵づくりの街並みでつとに有名だけど、擬洋風な雰囲気がなんとなし台南の街を散歩してるみたいで、いい。



日本家屋に洋風応接間の、旧岩崎邸サンプリング、ダウンサイジングな住宅、とても好いです。左下住宅はアプローチ正面の背の高い棕櫚が岩崎邸への憧れを映すなあ。



立派な洋風建築も川越の街並みに溶け込んでいる。






最終更新日  2021.08.28 15:53:21
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