常滑から熱田神宮へ
2024/04/06/土曜日/訪は先週のこの日3/30 午後遅めの熱田神宮鳥居が直角に見える、というのも面白い。杜に入って直ぐ、左にある別宮八幡宮と上知我麻神社←何とも古事なひびき←が鎮座している鳥居と正門が、東面、南面している場所樹木に覆われ隠れる清潔で簡素なところ、それが清々しく嬉しい日本の神社ご祭神の熱田大神は、草薙剣の御霊代とされる天照大神、と御由緒書きにある。自分なりに考えると、やはりご祭神は草薙剣であろうけれど、剣はうつわなり。魂はいづくぞ。ということになりて、倭建命ではなく素戔嗚でもなく天照大神となる次第か。さて、上古。倭姫が霊剣である草薙剣を抱えてその鎮まるところを求め、大神神社から室生寺に至る道には一時的なお宿りもあった。天照大神が夢枕にたち、ここが宜しいとようやく落ち着いた先の伊勢神宮。ここに本来奉納されていた剣であれば天照大神の御霊と共にお祀りする、という運びなのだろう。しかし古代。三種の神器は天皇が代々保持するものではなく、時の政務を司る有力者の合議で次代の天皇が選ばれた後、その証としてこれら三種が一時的に天皇に預けられた、とものの本で読んだことがある。世襲を目論み、二代に渡り天皇に即位した、諡号皇極帝だったと記憶する。どさくさに紛れ彼女は神器のそれまでの扱いを変更してしまった。やまとしうるはし、の衰微始まりぬ。今、鏡は伊勢に。勾玉は皇居に、剣は熱田に。参道をゆくと左手にそれは立派な経年の大クスがあり、空海お手植えとのことだがそれは如何?↓熱田神宮の歴史絵巻が参道で眺められて、歴史がよく理解できる仕組み本宮前で掃除をしていた方に、ここに本当に草薙剣はあるのですか?などと尋ねてしまう。穏やかに応えてくださるには、さてどうでしょうか。剣そのものを見たことのある方はただの一人もありません、この神社でもっとも尊い方でも、儀式の折に布に包まれた剣城を運ぶことができるだけなのです。とのことだった。では、まごころでそうある、と知るのですねと重ねて尋ねるとまごころ、そうです。というお返事で会話を終えた。江戸時代。剣の箱を新調する時に大禰宜らが目にして流罪、謎の死の『薔薇の名前』事件もよく知られる。何故、倭建命は形代とも頼むべき剣を我が身から離して、交わってはならぬときの夜須姫の元に預けたか。我が太刀はや、との声が切ない。ほどよい大きさの くさなき広場は花ざかり日本が世界がどうか安寧でありますようさてさて、神宮側のひつまぶしで有名なお店、2時間待ちの時間の頃合いをみて店内へ。一人前があまりの量で、大喰らいの私も食べ切ったとはいえ、デザートなど何も受け付けない様に。しかし、本当に美味しい!あんまり美味しいを繰り返したので、後ろに控える店員さんが、感に耐えない感じでありがとうございます!と言われてしまう次回はお嫁ちゃん名付けのレディースセットに致します。ひつまぶしが半分より小さめでうまき卵のセットらしい。値段もその分可愛らしい。