YOU DON’T KNOW (WHAT フノイ IS)・・・

2004/08/07(土)23:53

手の届く範囲。

日々のヒトリゴト。(78)

今日から甲子園が始まった。 毎日暑い。 そして、熱い。 高校生は球児ならずともいたるところで熱戦を繰り広げているし、 夏ならではの野外ライブも全国いたるところで行われている。 みんないろんなことに真剣だ。 最近の若者は、熱くなれないなんていわれて久しいけれど、 熱くなっている若者もしっかり存在しているじゃない。 温度に差があるかな、とか はまり方が深くないかな、と思うことはあるけれどもね。 夢。 はっきりと輪郭を持って思い描けるものと、 ぼんやりと憧れて終わってしまうものと。 紙一重のものとが、ある。 手を伸ばせば届く範囲の夢ならば、 可能な手段を試みて、つかめばいい。 背伸びすれば届くのであれば伸びてみればいい。 道具を使えば届くのであれば手にすればいい。 踏み台にあがれば届くのであればあがればいい。 人の助けを得れば届くのであれば乞えばいい。 それが不正でない限り、それが正論だろうと思う。 一見無理そうに思えても、挑戦してみたらいい。 背伸びしたら同時に背が伸びるかもしれないし、 その道具が特別製で思ったよりも高いところに手が届くかもしれないし、 踏み台も見た目以上に高いかもしれないし、 助けを乞うた人がスーパーマンだったかもしれない。 それが、運だ。 逆に、背伸びしてもすでにそれほど伸びないかもしれないし、 道具は最初から壊れているかもしれないし、 踏み台に乗った途端へこんでしまうかもしれないし、 助けてもらうどころか邪魔されるかもしれない。 そうしたら、夢には届かない。 その「届かない」ことを認めない人もいる。 まだ伸びる、 まだ高くなる。 幻想なのかもしれないのに、 それを信じている人も、中にはいる。 しかしそれが芽吹くこともまれにある。 だから、見極めが必要だ。 「手の届く範囲」 それがどこまでなのか。 背伸びしてつかんでも、その足がつりっぱなしだったら意味がない。 踏み台に乗ってつかんでも、踏まれた台が確かなものでなかったら、いつか転落し怪我をしてしまう。 さらに、伸びずに届く範囲で満足してしまう人もきっといる。 ここにいる。 手の届く範囲はとても狭い。 つかむために周りを蹴落とさなくてはいけない場合もある。 大きく環境を変化させなくてはいけない場合もある。 だから、夢って難しいのね。 明日は、乙女たちと後輩たちの本番。 夢は、肉眼でとらえられる範囲に来ている。 だけど、手は届くかどうか分からない。 どうやったら届くのか、それも分からない。 明日、手を伸ばす。 届かなかったらまた考えよう。 でも、届かなくてもそれが当たり前だと思ったら、ダメなのよ。 だから難しい。 私の手はいったいどこまで届くんだろう。 最近は手を伸ばすことも少なくなった。 少し抽象的な、暑い熱い夏の一日。

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