2005/01/20(木)22:17
まったく。
文部科学省の方はこんなことを言っているらしい。
「文科省、総合学習見直しを検討・国語など基礎教科重視」
小中学校で総合学習の時間が導入されたのは3年前。
「ゆとり教育」「生きる力」などがキーワードとなって、
詰め込みだけではない教育を目指そうという方向性になっていたはずだ。
しかし、こんな短期間での見直しとは…
‘舌の根の乾かぬうちに’という言葉を思い出してしまう。
だったら最初っからゆとりとか言うな!
実際に現場の(長年の経験のある)教員の立場から言わせると
現在高校に送り込まれてくる生徒の能力は以前より劣るという。
教科の学習は何も暗記一辺倒、詰め込み重視と一概にいえない。
その中ではぐくまれているものもたくさんある。
これまでは教科を通して身につけてきた能力を身につける機会がなく、
総合学習では体験で目先の楽しさを味わって終わり、というものも多いため、
じっくり考えたり、個人で表現したりする能力が低い生徒が多いように思う。
本当の「生きる力」が身についているとは言いがたい。
「生きる力」の育成が目的の総合学習を経験しているにもかかわらず、
生活上の基本的なことにすら対応できない子もいるのが現状だ。
(もっとも、生活に関する教育をするのは学校でなく家庭であるが
家庭の教育力も落ちているといわれて久しいしな…)
あ~もう!
「ゆとり」を打ち出す以前にも体験学習はなかったとは言えないし、
その反面教科の学習もしっかり出来ていたと思う。
現在は、中位層の生徒が下位層に落ち込むという現象が起きているそうだ。
上位層に大きく変動はないが、格差が激しいという。
以前中学の授業を拝見する機会があったが、
その現状を体現しているような内容だった。
学力のある子どもは伸びる。
しかし、あれではわからない子はとことん分からないだろう。
そのような授業を行わざるを得ないのはコマ数の減少が原因だ。
丁寧に進めたいという気持ちと、
実際の時間数との間で生じるジレンマ。
そして、生徒の学力の低下を肌で感じるこわさ。
もちろん学校でする勉強がすべてではないし、
学校になんて行かなくていいと思う人も中にはいるだろう。
しかし、せっかく「学校」という機関が存在しており、
生徒たちは膨大な時間をそこで過ごすことになるのだから、
その時間を無駄にせずにしっかりと自分を向上させる場を設けてやるべきだ。
あ~あ。
だけど実際この業界風当たり厳しいっす。
そして対応も厳しいっす。
質の向上を言うんだったら、
質の向上をさせる準備をするだけの時間をください。
予算削減による人員削減と、
次々と打ち出される新しい政策による負担増…
自分の信念はどこまで貫くことが出来るのか。
長いものには巻かれなくちゃいけなくて、
自分のすることにはある程度誇りを持ちたいけれど、
このまま行ったら一部を除いて泥仕合をするような状態に陥るぞ。
「この国には何でもある、ただ、『希望』だけがない。」
やっぱり、そんな状態になってしまっているんだろうなあ。
そんな、ニュースと『希望の国のエクソダス』再読で考えたこと。
頼むよ、ホント。