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カテゴリ:読書
最後の記憶 綾辻行人 角川書店
アラスジ:森吾の母・千鶴は、若くして恍惚の人となる。単なるアルツハイマーではなく、極めて稀な「箕浦=レマート症候群、通称・白髪痴呆」に罹患したのだ。急激な痴呆の進行と白髪化、時空列を遡りながら記憶は消滅して行き、死に到る。遺伝性の疑いのあるこの病に、森吾は恐れ戦く。そして、若き頃の母が見せた不可解な行動も思い出すのだった。と同時に、幼い自分も垣間見た異形の者達の事も。遺伝の可能性を探る内に、母の出生の秘密を知り、そして…。本格派ミステリの旗手による、切ないホラー小説。 最初の頁をめくった時、「あ、綾辻らしいな」と思った。 そして、最後の頁を閉じた時、「あぁ、綾辻だったな」と。 デビュー来、文体も比較的変わらない人だが、世界観もあまり変わっていない。 ミステリとホラーのあわいに。 狂気と恐怖のあわいに。 その時々でシーソーが傾く事はあれど、綾辻は黄昏の住人である。 この『最後の記憶』も、謎解きの要素を鏤めつつ恐怖を描いている。 尤も、“恐怖”と言っても、直截な怖さはない。 いや、ホラーの分類に入れるのもどうかと思うほど、淡淡としている。 血みどろも妖かしの存在も出てくるのに、ホラーのゴシックなイメージからは程遠い。 この小説の怖さは阿鼻叫喚型ではなく、底からジワリと滲み出てくる怖さだ。 記憶を失う事は、怖い。 己の存在が、ぽっかりと消滅してしまうから。 日々、記憶を削ぎ落として生きているような気がする者としては、この手の恐怖は切実に怖い。 しかも、失われた記憶の分だけ、原体験ばかりが肥大して行くとしたら。 己の生き様に尽いても問い質されるようで、考えるだに恐ろしい。 この小説の中では、母・千鶴に残された最後の記憶は、掛け値無しの恐怖の光景だ。 主人公・森吾は、病の水脈を辿るうちに、母の恐怖の原体験にまで到る。 この恐怖体験がこの小説のミソなのだが。 この体験の部分、ホラーたらしめんとして逆にファンタジーじみた風合いを醸し出してしまったと思う。 この辺りが、評価の別れる処だと思う。 “如何にも綾辻らしいな”と思う反面、“綾辻なら、もう一歩踏み込んでも”と思ったり。 敢えて、謎を謎のままで終わらせてしまったので、余韻はあるものの、食い足りなさも残る。 食い足りないと言えば、登場人物も。 綾辻ワールドではお馴染みの『唯ユイ』の名を授けられた、森吾の幼馴染みがもう少しインパクトある動きをしてくれると思ったのだが。 もっと大きな役割を与えられると思ったのに、本当にただの狂言廻しで終わってしまったのは残念。 唯の名前に期待し過ぎたのかな。 名前と言えば、箕浦=レマート症候群。(架空の病名です) 実際あっても不思議なさそうなネーミングだが、“箕浦”ってあの孤島の鬼の箕浦だよなぁ。で、白髪痴呆。判り易いお遊びだけれど、一寸笑った。 (レマートは、多分、綾辻が学んだラベリング学の学者の名だと思う) 結局のところ、この作品は読み手の判断に任せるしかない。 何を以って恐怖とするかは、それこそ千差万別、人それぞれだから。 私は、それほど悪くはないと思った。 ホラーではなく、幻想譚、若しくは或る種の“母恋い物”として読めば。 そう、これは母を恋うる物語なのだ。 そう思って読むと、ラストは切なく美しい。 不可解は不可解として残されるが、この切なさで全て洗い流される。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月19日 00時21分05秒
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