困ったモンだ

2005/08/25(木)23:41

matizo jetcoaster『屈辱ポンチ』町田康

読書(77)

屈辱ポンチ 町田康 文藝春秋 アラスジ:売れない中年パンクロッカー岡倉は、行きがかり上、友人・浜崎に頼まれて見ず知らずの男・跋丸への嫌がらせをする事になった。浜崎は姿を消し、助っ人として付けられた男・帆一も要領を得ない間が抜けたヤツで…。意味不明な嫌がらせ騒動を描く、狂騒曲的作品の『屈辱ポンチ』と、映画化もされた『けものがれ、俺らの猿と』の2篇を収録。 “町田康”より、まだ“町田町蔵”のイメージが強いと言う事を告白すると、年がばれそうだ。 パンクにはトンと縁の無い身ではあったが、それでも名前くらいは知っていた。 それ位、あの頃の町蔵さんは伝説のヒトだったのだろう。 舞台でピーしたとか、ピーしたとか、ピーしたとかw 漏れ聞えてくる話は、過激なものばかりだったが、実際の処はどんなのだったのかねぇ。 一度だけ、音楽関係ではないサブカル誌に載っていたインタビューを読んだ事があったが、過激、と言うより“サービス精神が空回りしちゃった、あらゆる意味で過剰なにぃちゃん”と言う感じだったのを覚えている。 具体的に何を語っていたかまでは覚えていないが、インタビュアーに逆に畳み掛ける様に言葉を発していたのが印象的だった。 そう、今の彼の小説の文体そのままに。 町田の小説は、殆ど読んだことが無かった。 先頃新聞に掲載されていた『告白』は、中々面白そうだったのだが、途中で挫折。 しかし、この『屈辱ポンチ』は面白くて一気に読了。 好き嫌いは判れるだろうが、このリズム感ある文章は悪くないと思う。 誰が書いても同じ様な薄味金太郎飴な文体ばかりが売れる昨今、この個性は貴重であろう。 確かに、独特の癖はあるものの、意外に読み易い。 まるで自分が言葉を発しているような気分になり、作品の中に吸い寄せられていくのがわかる。 が。 これがまぁ、全く以って、理屈では図れない不条理な世界なのだ。 表題作の『屈辱ポンチ』はまだしも、『けものがれ』の方は、結局何がナンだか狐につままれたような心持ちの侭、作品から放り出される。 主人公であるしょぼくれた脚本家・佐志が巻き込まれた騒動とは? 奇怪な肉食虫が涌き出た理由は? 八方塞な、しかし妙に笑える状況に置かれたままで、小説が終わってしまった佐志のその後の運命は? そもそも、何処までが本当だったのかすら、疑問が残る。 或いは、全部が、昏迷する佐志が見た幻想だったのかもしれない。 これに比べれば、『屈辱ポンチ』の方はまだ判りやすい。 理由は判らぬまま友人の頼みと報酬につられて、訳の判らぬ“復讐”に精を出す中年男の姿は、一抹の哀愁を漂わせつつも可笑しい。 嫌がらせの数々はテンポよく繰り出され独創的であるものの、空回りし続ける。 それはそうだ。 復讐と言うより、自分達が遊びを愉しんでいるような“嫌がらせ”なのだから、悪意で相手を傷つける事は出来まい。 『屈辱ポンチ』の岡倉も、『けものがれ』の佐志も、やっている事は滅茶苦茶なのだが、守っている一線が何処かにあって、変に律儀で常識から逸脱しきっていない。 この主人公像は、町蔵のインタビューで感じた姿に似ている。 この2作から何かを読み取ったかと問われれば返答に窮するが、町田ワールドを堪能出来たとは思う。 機会があれば、また手に取ってみたい。 それにしても、『けものがれ、俺らの猿と』ってどう言うタイトルやねん。

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