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カテゴリ:読書
立原正秋全集第一巻 立原正秋 角川書店
アラスジ:共に寝ても心は融合する事はない、男女の機微を描く『他人の自由』。立原版ユダの物語『血の畑』。他、作家として習作期の中短編12作を収録。 若い頃、一時、立原正秋を愛読していた頃がある。 10代の半ば、今にして思えば、穿った趣味に意気を揚げる稚気が、無頼の美意識に引き寄せられたのかもしれない。 とは言え、私がはまった頃でさえ、既に立原は過去の存在になりつつあった。 ふと懐かしくなり、家にある本を探す手間が面倒だったので図書館で借りる事にしたのだが、書架に立原の本は一冊もなかった。 書庫から出して貰ったのだが、この数年、誰も借り出した形跡はないようだ。 直木賞作家とは言え、流行作家の寿命は長くない。 一寸切なくなる。 検索してどれを読もうか迷ったので、取敢えず、全集の1巻から読んでみることにしたのだが…これが大失敗。 いや、失敗というと語弊があるかな。 私が読んでいたのは後期の数冊だったので、最初期の習作に近い頃の作風に戸惑い、かなり梃子摺ってしまったのだ。 立原正秋は、実は日本の国籍を有さない。 少年期に日本に渡り、以来、日本文学や伝統芸能に傾倒し、独自の美意識を貫いた作家である。 私が多く読んだ頃の作風は、男女の鬩ぎあう心の葛藤を、張り詰めた薄氷のような文章で描くものだったと思う。 生々しい、いや、生臭いと言っても良い程の男と女の営みを、しかしどこか潔癖さすら感じさせる視点で切り取っていたのが、印象的だった。 その意識の底には、絶対譲らない立原の美意識が、脈々と流れていた。 彼にとって、己の美意識は神に等しい、全てと言えるものだったのだろう。 それに、若い私は、惹きつけられたのだと思う。 今回読んだ初期の作品にも、その美意識の原型がある。 と言うより、立原正秋と言う孤独で無頼な魂そのものが、剥き出しのままで曝け出されているのだ。 その魂の峻烈さに、読者は拒まれているような心持にさせられる。 無駄を削ぎ落とした立原の文章ゆえ、読み難い訳ではないはずなのに、頁を繰る手が鈍る。 この原液の孤独が、希釈され、調合された末に、立原美学が花開いたかと思うと、大変興味深い。 書かれた当時の時代性もあり、かなり馴染みにくい作品が多かったのだが、中で、ユダに焦点を当てた『血の畑』が面白かった。 嵌っていたとは言え、中学生に立原本人の背景までは思い至らず、彼がキリスト教に屈折した感情を抱いていたとは知らなかった。 ユダの裏切りの意味を、美意識に求めた視点は、成る程と思わせる。 他の作中でだが「汚醜を高貴化していく」との表記があった。 これを体現させた人物として、ユダが造型されていると思った。 己のうちに絶対的な虚無を観、そのコインの裏表の存在としてキリストを捉えたユダ=立原が、何の罪悪感もなく裏切りを為すさまは、汚濁を突き抜けた美しさすらある。 私は全くの無宗教者だが、このユダの独白で綴られた作品には、共鳴するものがあった。 さて、懐かしの世界を求めて、意外な骨を噛み砕く羽目に苦労してしまった。この後、どうしよう。 本棚を漁って、郷愁に浸るか。 このまま、全集を借りて、読破してみるか…って20巻以上あるんじゃん!? いやはや、ムリ。 1巻読むのにこの体たらくだもん。 でもなぁ、うーん。 自らが築き上げた美の世界の虜囚だった、立原正秋。 もう一度、大人になった今、彼の美意識に絡め捕られるのも悪くないかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月26日 02時21分06秒
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