困ったモンだ

2006/01/15(日)05:56

お正月映像編2 (往生際悪しw)

映画(18)

4.『愛を下さい、ぞおーん』 「里見八犬伝」 主演・滝沢秀明 菅野美穂/仲間由紀恵 アラスジ:室町時代、暴虐な安房の国主が里見義実に討ち果たされる処から物語は始まる。暴君を唆していた悪婦・玉梓は女ながらに処刑され、里見家を呪って怨霊となる。里見の娘・伏姫は玉梓の呪いによって犬の仔を身篭るが、畜生道に堕ちたのではない事を証明するために自らの命を絶つ。その時、伏姫が身に着けていた水晶の玉八つが弾け、何処へか飛び散る。津図浦々に現れるであろう、伏姫の未生の子供の元へと。姫の清らかな心が生んだのは、八人の剣士だった。彼らは、玉梓の怨霊に苦しめられる安房の国を救う運命の勇士。八人の犬士/剣士を召喚する為に、伏姫の婚約者だったゝ大法師は奔走する。だが、8人それぞれに重い定めを背負い、玉梓の怨霊の妨害によって幾多の困難に晒されるのであった。大軍に囲まれる里見軍、八犬士は間に合うのか!? “仁義礼っ智忠っ信孝悌♪いざとなったら玉を出せぇ~力の溢れる不思議なぁ玉ぁをぉ~♪” この歌を覚えている貴方、お仲間おなかま。 今は亡き坂本九氏の主題歌と、ジュサブローの手による妖艶な人形たち。 人形劇・里見八犬伝は、幼い頃の私に大きな影響を与えた番組でした。 「たまぁーずさのおんりょぉー」 これは怖かった、ホントーに怖かった。 妹なんぞは、玉梓を見た日は、夜魘されてましたよw でも、おどろおどろした中にもある不思議な美に魅せられて、目が離せなかった。 この世ならぬものの誘惑。 それに初めて触れたのが、ジュサブローの人形だったのかもしれない。 物語の面白さと言うものに目覚めたのも、この番組からだったと思う。 まだ漢字も覚束ない頃でしたので、児童版の南総里見八犬伝を買って貰って、夢中で読んだ記憶があります。 (でも、長じてからは本格的に原典を読んだりしてない怠け者w) こういう方、多いんではないでしょうか。 そう言った懐かし派が、挙って観たであろうお正月特番の「里見八犬伝」。 主演が今を時めくタッキーで、ヒロインは綾瀬はるか嬢。 脇は、渡部達郎・長塚京三(大好きっす)・佐野史郎・金八センセェ(エ?)など、達者で老練な役者を配し。 肝になる黒白二人の美女に、仲間ちゃんと菅野ちゃん。 流石、お正月の目玉番組、豪華なり。 役者陣の豪華さに驕る事無く、それなりにそつの無い出来だったかと思いました。 そりゃ、矛盾や粗はありますが、あの膨大かつ混迷したお話を、よく2日間でまとめたもんだと感心しました。 八犬伝初心者には、判りやすくて良かったのでは。(あれが正しいお話だと思われても何ですが) 基本のラインは、原典に沿っています。 エピソードの端折りや結合は、構成上致し方ないし、それほど無理が無い展開なので許容範囲。 でーすーがっ やっぱり、八房が出てこないのは寂しい。戌年だから八犬伝だったろうに。 でもリアル八房を出しちゃうと、呪いで犬の仔を身篭ると言うのが生臭くなってしまいますし。TV的には無理だったかな。 それにしても、犬に絡むエピソードを全部切ってしまったのも戌年企画としては勿体無い。 それと、神女となった伏姫の出番も少なかった。 神秘的な仲間ちゃんのお姿、期待してたんですが、思ったより少なくてガッカリ。 (ラストの姿には満足) このドラマの功労者は何と言っても、玉梓演じる菅野美穂ですな。 狂気を孕んだ女人は、彼女お得意の役柄。 艶やかな花には、滴らんばかりの蜜毒。 非常に良かったです。 処で、この八犬伝に出てくる八文字には、「愛」がありませんよね。 これがキリスト教圏のお話ならば、必ず上げられるキーワードだと思うんですが。 日本的な観念において、「愛」って定着しないみたい。 曖昧模糊とした「愛」より、高次の「慈悲」や「仁」が定着しているのは、個人より集団感情が優先される民族ゆえ。 事実、剣士たちは、個人的な情より、それぞれの義や信を優先させた行動に出る。 八犬士の霊的な母である伏姫が象徴するものも、「慈悲」であり「理」(ことわり)であるように思われます。 信乃を一心に慕う浜路は、「愛」より「恋」に身を焦がす乙女だし。 結局のところ、登場人物の中で最も「愛」を希求していたのって、玉梓だったんではないでしょうか。 一人の女、一人の人間として認め愛される事を求めた反逆。 結果的にそれがマイナスの渦巻きとなっての悪行だった訳ですが、玉梓の怨念には、そんな側面もあったかと思います。 少なくとも今回のドラマにおいては、そういった含みを感じさせるものだったのではないでしょうか。 この辺は、極めて現代的な感覚だと思いました。 色事や情はあっても、「愛」の概念に欠けた江戸時代の馬琴には無い感覚でしょうね。 建前(義や信)を前面に押し出す男性原理バリバリな封建的世界観に措いて、個人的な感情をむき出しに生きること自体が悪。 個人の感情に揺れ動く女は、それだけで悪。 況してや、確固たる権威で固められた男性社会に意義を申し立てる玉梓は、領主を篭絡して民を苦しめたと言う実際の行為以上に、許し難い悪だった訳です。 竜を狩る者もまた竜と化す、と言います。 “個”を主張し愛される事を求めた玉梓もまた、倒すべき男性原理に取り込まれていく。 そして、最後に彼女を救うのは、全てを許す“慈悲の心”。 「愛が欲しい、自分を認めて欲しい」と叫び続けた魂は、自分自身を許した時に、初めて解放されたのではないか。 演じたのがあの菅野美穂だった為か、そんな陳腐な現代的解釈をしながら観てしまいました。 ともあれ、彼女の演技には拍手。 妙椿として閨に侍った時の、「私は美しいか」と呟くシーンなんか、引き込まれましたよ。 伏姫に抱かれ浄化されて涙する姿は、仲間ちゃんともども、神々しい美しさでした。 あ、肝心の主人公たるタッキー・信乃は、んー、悪くは無かったんじゃないかな。 何分、八犬士もいるんで、印象が散漫になっちゃってね。 屋根の上の立ち回り等、綺麗で良かったです。 綺麗と言えば、ワダエミの衣装も、今回の目玉の一つ。 時代検証的には疑問はありますが、八犬伝って或る種のヒロイックファンタジーでもあるので、幻想的な美々しさもありでしょう。 全体的に光の使い方が綺麗で、お正月らしい豪華絢爛さでした。 でも、やっぱり“いざとなったら玉を出せっ♪”が一番良かったなぁ。 と、懐古ババアは思ってしまったっす。ごみぇんw

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