【180夜】『百科全書』ディドロ、ダランベール
【180夜】『百科全書』Encyclopedie,ou Dictionnaire raisonne des Sciences,des Arts et des Metiers 1751~1780ディドロ、ダランベール編 Diderot et d'Alembert 桑原武夫・訳 岩波文庫1971『百科全書』の編者のひとりドゥニ・ディドロは1713年10月5日、シャンパーニュ地方ラングルに生まれました。イエズス会の学校で教育を受け、20歳のときにパリへ出ます。最低限の貧乏生活を10年送り、32歳のときに最初の本格的な著作『哲学断層』を発表します。理神論を展開したため、この書物は発禁処分になりましたが、その後、彼はさらに思想を発展させ、3年後に無神論の『盲人書簡』を著して、3ヶ月間投獄されることになります。無神論が投獄されるほどの罪深い所業であるというのが現代人である私たちからはなかなか想像しにくいことなのですが、18世紀半ばにあってはそれが当然のことだったのです。無神論者にして合理主義者のディドロの最大の仕事が『百科全書』の編纂でした。モンテスキュー、ボルテール、ルソー、フリードリヒ・メルキオール・グリムなどの進歩的な学者が執筆者として参加し、彼らはのちに「百科全書派(アンシクロペディスト)」と呼ばれるようになります。ダランベールは数学分野の項目の編集をおこない、有名な序論を書きました。そこには、『百科全書』の目的として、人間の知識を体系的に示すとともに、科学技術の基本原理をふくめることが掲げられていました。ディドロは『百科全書』を聖職者の権威や固定観念、保守主義、半封建的な社会形態に対する強力な宣伝の武器として利用しました。『百科全書』はこうしたことから、後のフランス革命に思想的な影響を与えたといわれています。1751年から刊行がはじまった本書は教会とともに封建的国家権力からも敵視され、59年には既刊分は発売禁止、未完分は出版禁止となりました。しかし、ディドロはひそかに刊行をつづけました。『百科全書』はその後の百科事典の発展にも大きな影響を与えています。西洋世界の最も古い百科事典は紀元前四世紀、古代ギリシャでプラトンの弟子スペウシッポスによって編纂されたといわれています。現存する最古の百科事典はプリニウスの「博物誌」(後79頃)です。古代の地理、自然、歴史知識を集大成この百科事典は、その後1500年近くもひろく利用されました。古代からルネサンス期までの百科事典は読んで学ぶことを目的としたもので、著者個人の学問的蓄積をまとめた包括的な教科書でした。その後、近代に入って百科事典はレファレンス目的でつかわれるものとなり、アルファベット順の見出し語でテーマや情報をさすことになりました。『百科全書』のもととなった.チェンバーズの『百科事典』(1728)はクロスレファレンス(相互参照)を体系的に使用し、テーマ間の相互関連をしめしました。『百科全書』はこの形式を充実させ、さらには、大勢の専門家を編纂者や編集者として採用するという、現在の百科事典で広く用いられている形式の原型を作ったのです。【PCソフト】Microsoft エンカルタ 総合大百科 2006 CDーROM世界で最も売れているマルチメディア百科事典ソフトの決定版