今頃気づいて
振り返ってみると、この年教会にとって大きな決断をする時があった。課題を目の前にしているときは、何とかしなければと必死でいた。色々考えたつもりであったが現実となるとやはり、認識があまかったと思わされている。けれど教会でみんなと話し合った。一つの決断をした。願うことは、主の栄光がこの地に現されるようにと。この祈りの中で確かに神様はこの年大きな事をはじめられるかも?期待しつついたが、神様の考えておられることは人の思いとではどうみても考えられない。先日気が付いた、神様は私たちの願いを聞きみ手のわざを始められていると。大きな決断を成したとき主に期待していた「山は動く」と確かに動いていた。そのことを私は困難という面でしか見ていなかった。しかし、それは 主のみ手のわざであった。願い祈ることは信じる者に答えられる神様である。常に神様の側からこの地の出来事を一緒に見る者となりたい。