運命占術との出会い

【私と運命占術との出会い】

運命占術研究42年。昭和36年に一冊の運命学の本に出会ったのが、運命占術研究のスタート。当時、神戸の親戚のやっている町工場の旋盤工見習いとして、汗と油まみれで働いていたが、たまたま、休日に元町か三宮の商店街の古書店に入って、ふと手にしたのが、永杜鷹堂著の『姓名の眞理』(昭和30年・清教社発行)であった。それは、易学(現証の哲学)、相学(相貌倫理学)、四柱(稟性法象学)、姓名(撰名象数学)の四部門で構成されていた。全般的に哲学・倫理を下敷きとして書かれており、それまでは運命学とか占術についてはズブの素人であったので、新しい世界を発見したようで、即、購入して、貪り読んだ。此の書ではじめて四柱推命についてどういう占術か知り得たのである。当時では考えられない程、命式の出し方が平易に説かれていた。蔵干の出し方も分かり易く書かれていたので、あまり苦労することなく命式を作成することができた。ただ、残念なのは変通星や吉凶神殺などの解説は省かれており、此の著者が主宰する運命占術の「連山塾」に入らねば教えてもらえないのであった。易や相学の部門も理解し易く興味を持った。
姓名術の方は、林文嶺という人の直弟子であっただけに、友人の熊崎健翁の姓名判断とは意見や解釈の相違で、よく喧嘩して、母に叱られたこともしばしばあったらしい。歳月の流れとともに、文嶺流の姓名術は消え、熊崎式姓名判断が勝ち残ったのである。さて、何度か書店に出向いては、運命占術関係の書籍を買い込んでみたが、阿部泰山全集の推命書には太刀打ちできず投げ出してしまった。


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