パール・やまぐちの運命占術と秘術の前世探査開運法の公開、比治山陸軍墓地案内

N様は「風とともに去りぬ」の作者と魂で

    これが“人生の道標”として活かす秘術・前世探査開運法だ!

〓N・A様の魂のルーツの一つは、『嵐とともに去りぬ』の作者だった!〓

N・A様  生年月日:1970年 岡山県倉敷市生まれ。

 いつものように、ひと風呂浴びて体をきれいにしたところで香を焚き、心が落ち着いたところで、N・A様の生年月日とお名前をしっかりと脳にインプットし瞑想し、過去に遡ってN・A様の魂のルーツである歴史上の人物探査に。ほどなくして幽体離脱!
 時空を遡って四次元・五次元の異次元の世界にタイムワープし、また歴史の真っ只中に魂を跳ばし探査を続けたところ、N・A様の魂のルーツと遍歴の過程で登場する魂、それに系列魂を探し当てることができました。覚醒して時計を見ると瞑想に入ってから35分程を経過していました。
 普通ですと少なくても10人ぐらいは判明するのですが、あまりにも数が少ないので、まだ探し当てていないのではないか、もしかして漏れがあったのではないかを確認するために、再度、探査し直しましたので、覚醒後の疲労感がいつもより大きく一眠りしたいとこですが、忘れないうちに速記で書き留めることに。
 その結果、漏れはなく、最初の探査の通りでした。すなわち、N・A様は魂のルーツが2人、ダイレクトに繋がる人物が併せて2人、遍歴の過程で登場する人物が1人の計5人です。と言っても、後醍醐天皇とは遍歴の過程で登場する魂は一人もなく、N・A様の魂とダイレクトにつながっていますので、先ず、後醍醐天皇についての生涯をしっかりと熟知するようにしてください。当然、系列魂の7人の人物像についても詳しく覚えることが必要です。

 ところでN・A様は5人の歴史上の人物の分魂・分身にあたり、夫々の人物から生き方や気質、才能、性格などの影響を受け継いでいることになります。それらの人物とご両親から受け継いだ遺伝子が一つになってN・A様の人格を形成しているということです。

 ここで分魂や系列魂、兄弟・姉妹魂について、ちょっと説明しておきます。人は誰でも神の分け御霊であり仏性を備えていますが、この分け御霊と似たようなものであると思ってください。樹木で喩えますと、幹に幾つもの枝が伸び、枝には葉っぱがつき実が生っていますね。それと同じことで、N・A様の場合は、幹が2本(魂のルーツ)あり、そのうちの一本の幹から枝が一つ(遍歴の過程で登場する人物にあたる)が伸びていることになります。
 また、それとは別に、N・A様には2本の幹(ダイレクト)があるということです。この4本の幹や枝を大きくし、葉っぱをつけ実を実らせるのは、ひとえに土壌の良し悪しにかかっています。ここで言う土壌とは、N・A様の日々の生活態度や言動、表情、思考・感情、努力、それに食事の摂取等を指し、これらにより、幹や枝への養分の供給が変わってくるということです。
 
 人は皆、夫々、10人前後の歴史上の人物から分魂を受け継ぎ、生き方や才能、気質などの影響を受けていますが、それを大きく花開かせるのも蕾みのままで終わらせるのも、N・A様の日頃の努力や周囲に与える顔の表情、言動、思考・感情、食事の仕方でN・A様の人生模様を作り出していきます。

 N・A様がどのような宿命を持って此の世に生まれてきているかは、N・A様の出生地(東経・緯度)と生年月日、それに名前の3つで看ることができます。それと言いますのも、生年月日時には、N・A様が生まれる前に、自分の守護天使と相談して作成した“人生の青写真”が織り込まれていますので、出生地と生年月日と名前の3つを総合的に看ていくと、炙り出しのように西尾章様の運命因子が次々と浮かび上がってくるのです。
 運命因子には、当然、良い作用をするものもあれば悪い作用をするものもあります。その悪い運命因子を少しでも小さくし、反対に、良い運命因子を伸ばしていく優れた開運方法として、前世を手がかりとした『秘術・前世探査開運法』が役に立つのです。
 

判明したN・A様の魂のルーツをお教えします。
 一人は天智天皇、後一人は後醍醐天皇です。遍歴の過程で登場する魂は津田梅子。そして、N・A様の魂とダイレクトに結びついている人物は河井継之助とマーガレット・ミッチェルの二人です。

N・A様の魂のルーツ 其の1

【天智天皇】 626年~671年

◇政治にあくなき執念と行動力を発揮した天皇◇

第38代天皇。舒明天皇の皇子。母は皇極天皇。中大兄皇子(葛城皇子)。
中臣鎌足と結び、大化の改新で蘇我本宗家を滅ぼす。東アジア情勢をにらみ新しい国家を建設しようとする。その事業は弟の天武天皇や、娘の持統天皇に受け継がれる。
「大和三山の歌」や、鏡王女との贈答歌が有名。
後世の百人一首の最初の歌{秋の田の・・・」も忘れられない。

→ わたつみの豊旗雲に入り日見し今夜 の月夜さやに照りこそ

→ 香久山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし

→ 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
            反歌
→ 香久山と耳成山と闘(あ)ひし時立ちて見に来し印南国原

→ 妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを

→ 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ

天智天皇に至る遍歴の過程で登場する魂

〓津田梅子 1864年~1929年 

◇のちの津田塾大を創設した女子教育家◇

農学者津田仙の次女として、東京で生まれました。明治4年彼女が7才の時、日本の女子教育の向上のために、明治政府の欧米諸国との不平等条約改正を目指す岩倉具視を全権大使とする使節団と共に渡米しました。
彼女は、11年もアメリカで生活し、自由な教育を受けて男女平等の思想を教えられて帰国しました。しかし、男尊女卑を何とも思わずに黙々と親、夫、子に従っている日本女性の姿を見て驚き落胆して、日本女性の考え方を変えなければならない、将来女性のための教育をしようと決心したのでした。そして、将来新しい女子教育の指導者としてやって行くためには自分が受けた教育だけでは十分ではないと考えた彼女は再度アメリカへ渡り、ブリンマー・カレッジに入学し生物学、教育学などを学んだのです。
帰国後は、華族女学校教授をつとめ、女子高等師範学校教授を兼任しました。その後、新しい女子教育のために自分の学校を作ろうと決心し、寄付金を集めはじめました。そして、彼女の魅力的な人柄に引かれ、学校設立の主旨に賛同した多くの人々、特にアメリカのキリスト教関係者が多額の寄付をしてくれたのです。そのおかげで彼女は明治33年に「女子英学塾」という学校を設立することができました。 
その学校の教育方針は、熱意・忍耐・勤勉など精神面の重視、個性を尊重した少人数教育、広い視野を持つ人間の育成でした。
大正6年に体調を崩して聖路加病院に入院、退院はしましたが、その後、塾長を辞任し、以後晩年の10年間は御殿山で余生をおくりました。
彼女の作った学校が、今日本で最も有名な女子大学の一つである「津田塾大学(つだじゅくだいがく)」になったのです。
梅子はブリンマー・カレッジに在学中に寄付を集めて、2、3年に1人日本人女子学生をアメリカに送るための「日本婦人米国奨学金」という奨学金を設立した。この奨学金のおかげでアメリカで勉強して梅子が作った学校で教えた女性が数多くいたそうです。
津田仙(津田梅子の父)は、蘭学を学び、アメリカに留学、明治維新の前にちょんまげを切ってしまう改革派の人物でした。
また、日本における西洋農学の先駆者で、明治になって彼の努力で林檎の栽培が普及したと云われています。
彼は進歩的な思想を持っていて、日本女性をアメリカで教育を受けさせて日本の女子教育を向上
させなくてはいけないという政府の方針に同意して、娘をアメリカに送ったのでした。
梅子はワシントンDCの郊外にあるジョージタウンに住んでいるランマン夫妻の家で生活しました。 ランマン夫妻は敬虔なキリスト教徒で子供がいず、わが子のように可愛がってくれました。初め英語が全く分からずつらい思いをしましたが、慣れるに従って聡明さを発揮し、学校で優秀な成績を取るようになりました。
僅か8才の時にキリスト教の洗礼を受け、以後敬虔なクリスチャンとして一生を送りました。しかし、日本に戻った彼女は、アメリカではすべて英語だったため、日本語を完全に忘れてしまい、家族に日本語で話せず、帰国当時は父親が通訳をしたほどで、日本語の学習が梅子の一生の課題になったといわれています。

N・A様の魂のルーツ 其の2

【後醍醐天皇】 1288年~1339年 

◆天皇親政に不屈のバイタリティーを発揮した英明な君子◆

第96代に数えられる天皇。後宇多天皇第2皇子。名は尊治。1318年即位。院政を廃して天皇親政を行い、正中の変、元弘の変を経て鎌倉幕府を滅ぼし、建武新政を行った。しかし新政に失敗、足利尊氏に背かれて吉野に移って南朝を樹立したが、退勢挽回ならず、悲運のうちに没する。

N・A様と同じ後醍醐天皇を魂のルーツとする人物:7人

→ ハインリッヒ・マルシュナー 1795年~1861年 
『聖堂騎士とユダヤ女』により名声を得たドイツの歌劇作曲家で、戦慄的ロマン派の巨匠。

→ 川手文治郎 1814年~1883年 
女性尊重や万人平等の教えを説いた金光教の教祖。

→ ウィルヘルム・ヴント 1832年~1920年 
ドイツの心理学者&哲学者で『生理的心理学綱要』により実験心理学を確立。

→ ガブリエル・リップマン 1845年~1921年 
毛管電位計を作るとともに天然色写真の実験に成功したフランスの物理学者でノーベル賞受賞者。

→ アレクサンドル・G・シーボルト 1846年~1911年 
父と再度訪日したのちに日本政府に奉職し、日本の外交交渉に貢献したドイツの外交官。

→ 伊井蓉峰 1871年~1932年 
大正期の新派三頭目と呼ばれた俳優。

→ ガブリエル・ピエルネ 1863年~1937年 バレエ曲『スダリーズと牧羊神』のフランスの作曲家で指揮者。

N・A様の兄弟魂:1人
菅原文太 1933年~  俳優。


ダイレクトにつながる魂のルーツ

【河井継之助】  年~1868年 

◇幕末期の越後長岡藩家老で、官軍相手に北陸戦争を引き起こし華々しく果てる◇

江戸末期の越後長岡藩士。名は秋義、号は蒼龍窟。佐久間象山・斎藤拙堂・古賀謹一郎らに師事し、長崎に遊学して開国論を唱える。藩主牧野忠雅より三代に歴任し、大政奉還・戊辰戦争に際しては藩のために奔走する。その間、民政に意を用い、財政改革を行う。明治元年(1868)歿、42才。

【マーガレット・ミッチェル】 1900年~1949年  
◇名作『風とともに去りぬ』で知られるアメリカの小説家◇

1900年アメリカジョージア州生まれ。
 「アトランタ・ジャーナル」紙で記者として働き、25才で結婚する。主婦生活のあいまに書いた「風と共に去りぬ」は、彼女が36才の時に日の目を見て世界的なベストセラーとなる。マーガレット・ミッチェルの作品は他に、16才の時に記していた中編小説一冊だけである。「風と共に去りぬ」以降は望まれながらも、再びペンを取ることはなかった。49才の若さで交通事故で死亡。

以上ですが、如何でしたか?

 お教えしたN・A様の魂のルーツと遍歴の過程で登場する魂、それに、ダイレクトにつながる魂たちの人物像について、詳しくは図書館を利用して人物事典などでお調べいただくか、古書店や古本屋でお探しください。大概の古書店には月刊誌「歴史読本」という雑誌のバックナンバーが揃えてあり、日本史に登場する数多くの人物や歴代の天皇の記事などが詳しく載っていますし、「歴史読本・別冊」では、代々の天皇の特集版も出ています。

 尚、科学的見地から“生まれ変わり”“前世”などを分かりやすく説いた、飯田史彦福島大学経済学部教授著『生きがいの創造』シリーズをご覧になることをお奨めします。「経済学」や「企業論」の著書を沢山出しておられ、経済界からの講演で引っ張りだこですが、こういった“生まれ変わり”などの講演も精力的にこなしておられます。彼の生きがいシリーズに『生きがいのマネージメント』『生きがいの人生論』『生きがいの教室』など何冊も刊行されていますが、最新刊の『生きがいの本質』(PHP出版)もお読みになってください。この最新本には著者の肉声のCDも付いています。


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