令和最初の日 川尻八幡宮を奉湃しました。
R1.5.1令和最初の日 川尻八幡宮を奉湃しました。 川尻八幡宮は、応神天皇を御祭神として室町時代(1525)五月五日に創建されたそうです。(写真1) 社伝によれば舎人親王(四十代天武天皇の皇子)の子孫が奥州に降る途中、病で倒れ亡くなられたため、同行者がこれを悲しみこの地に手厚く葬りました。そして携えていた京都石清水八幡宮の御分霊を御神体として祠を建て、お祀りしたのが今の川尻八幡宮と伝えています。 昭和四年境内の北側からその頃と思われる石室が発掘され、二本の剣と三六個の矢じりや土器等が発掘されました。 川尻八幡宮古墳として守られています。(写真2,3) 『相模国風土記』によれば一の鳥居から神社の参道沿いには松の巨木が茂っていたそうですが、嘉永六年(1859)にペリーが浦賀に来航した時、江戸市中を防備する事となり参道の松を切って品川沖の台場建設にあてたと伝えられているそうです。