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カテゴリ:カミサマの話
あえて「カミサマ」の話と、してみた。ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ♪
いや、そんなに威張って言う程のことでもないんだろうけど。 前から、「ネットにある情報は嘘」 「対面しなければ意志の疎通は100%無理」 そういう言葉をネット上にて拝見する。 確かに、いわゆる煽りや荒らしがいっぱいのサイトも 存在はしてる。 では、ネット上の文字全てが 悪意に満ちた嫌な印象を与えるかと言えば 決してそうではない。 世の中の全てに善も悪も存在してるかのように。 まあ…混沌としてるよね。 しかしながら「ネット上の文字なんて信用ならん」と 今だに思っている人が多いのは驚く。 「会わないとダメ」「対面しなければ」 そうじゃないだろう。 私は、書きかけた言葉を止める。 昔、日本に生まれた、ある宗教家は 信者さんから頼まれたら、頼まれた分だけ 「祈る対象としての本尊」を墨で書いて分け与えた。 中には、一度も会った事がない信者さんもいたと思う。 御供養の品物が届けられたら、手厚いお礼の手紙も書いた。 信者さんたちの代表に、 「この手紙は、あなたの住所へ宛てるけれども 周りにいる信者さんとも一緒にみてね♪ ヨロシク~」(現代語訳で言えばね☆) そう言って、遠く離れた所にいる信者さんたちに 思いを馳せ、文字に祈りを込めた。 その内容に感激した人がたくさんいたと思う。 実際、一度もその宗教家に会った事がない人で 「ああ~、この人は本当に、 苦しい人を救う気持ちに溢れてるんだな」 そう思い、その人に帰依する人がかなり多くいたと思う。 当時で言えば代官さんみたいな人に 宗旨替えをしなければ厳罰に処すと言われても 信仰を捨てない人達がいたことは 記録にも残っている。 その中の何人かは、本当に首を切られた。 その人達の名前や、宗教家の名前はどうでもいい。 文字が人の心を癒すように、励ますように 心を込めたことが通じたのではないか。 今で言う、テレビやビデオ、電子メール 便利なメディアは一つもない。 馬が手紙を運ぶような時代である。 行き来は大概、「文字」でしかなかったのだ。 それでも心を通わす事ができる。 その事実は大きいと私は思う。 「ネットで行き交う情報は嘘ばかり」 「ネット使う人は差別主義ばかり」 こういう人に 私は言いたい。 それはアナタに真偽を見抜く努力が足りないからだと。 ちょっと固い話で(m´・ω・`)m ゴメン… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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