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2011年09月21日
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テーマ:洪水対策(2)
カテゴリ:荒川・多摩川水系
 荒川放水路と岩淵水門は、荒ぶる洪水から首都東京を防御するために造られた。明治43年の大水害がきっかけ。水門下流から東京湾に向け、幅500m×延長22kmの放水路を約20年かけ完成させた。浚渫土量が2,100万m3を超える国家的治水事業だ。以後、岩淵水門が起点となり旧河川が隅田川となる。

 岩淵水門(青門)から旧岩淵水門(赤門)を見通すことが出来る。旧岩淵水門の完成は、大正5年(1916年)から8年を要する難工事であった。役割は、荒川が暴走した際に水門を閉めて、洪水を放水路へ流し、隅田川を守ることだ。赤門が老朽化と地盤沈下のため、新水門の青門が昭和57年に造られたのだ。

 荒川放水路を大き目に造ったおかげで、水門を閉じたのは過去4回だと言う。岩淵水門は、高さが33mを超え、ゲート(幅20m×高16.2m)が重いので、巻き上げ室が大きい。従って、頭でっかちの昔風ロボットが並んでいるようにも見える。普段の水門は、船が航行できるように開かれている。

 荒川を鎮める治水対策は、流域の特徴を生かし3フレーズが用意された。(1)上流域はダムを活用。(2)中流域は調整池に呼込む。(3)下流域は放水路を開削。しかし、岩淵水門が起点であるため欠点にもなる。つまり、大きな水門だけに故障・事故と人間の油断で、水門が閉じない事態が。一抹の不安が残る。

岩渕水門 赤門と青門

写真-1 岩淵水門(青門)を通して、旧岩淵水門(赤門)を観る。青門の下流は隅田川。

旧岩淵水門の赤門 

写真-2 旧岩淵水門。現役を退き、近代化産業遺産として存置。最右岸の水門は、後年改造された。

隅田川と荒川土手

写真-3 堤防で隅田川と荒川とが分断されている。遠くに川口市のビル群が見える。

岩淵水門のゲート装置室

写真-4 堰柱とゲート巻上げ室は、三つ目のロボットのようだ。ゲート規模は、幅20m×高16.2m×214ton

   






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Last updated  2011年09月21日 09時10分33秒
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