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2011年10月31日
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カテゴリ:山や滝、湖沼

 印旛沼は下総台地の浸食谷の出口に、利根川の流れで運ばれて来た土砂で造られた堰止め湖。元の形状はW字形の沼だった。現在は、北印旛沼と西印旛沼に分かれ、延長4.3kmの捷水路(しょうすいろ)で繋がり、結ばれている。そして、約900haの干拓面積を得ることができたという。

 印旛沼を巡る水の流れは少し複雑である。通常は北印旛沼から長門川(ながとがわ)を流下して利根川に出る。しかし利根川が増水して水位が高くなると、印旛水門を締め西印旛沼から新川・花見川を通じて東京湾へ排水される。花見川上流には大和田排水機場(排水能力120m3/秒)がある。

 印旛沼の治水は苦難の歴史。江戸時代3回挑戦していずれも失敗。洪水、疫病、財政面で中止に追い込まれた。第1回目は享保の掘割[染谷源右衛門]、2回目は天明の掘割[田沼意次]、第3回目は天保の掘割[水野忠邦]。印旛放水路が完結するのは、天保普請から120年を経た昭和42年だった。

 工事のポイントは、大規模な捷水路掘削、超軟弱土「ケトウ土」(化灯土)の処置、更には利根川出水対策。捷水路掘削では、ナウマン像の化石がほぼ完全な一個体で発見された。山田橋から見る掘割は渓谷である。現在風で再検討すれば、トンネル工法またはシールド工法が採用されるのではないか。

  [追記] 震災の関係で、延期していた台湾旅行に出かけます。

北印旛沼   

写真-1 広さ6.3km2の北印旛沼を眺める。北約60km遠方に筑波山が霞む。

長門川出入り口の印旛水門 

写真-2 利根川と長門川を締め切る印旛水門。横には、印旛排水機場(排水能力92m3/秒)がある。

市井橋としょう水路

写真-3 山田橋から捷水路・北印旛沼を眺める。赤い市井橋は捷水路4.3kmの中間付近。下道路は震災の影響で交通止め。

山田橋とナウマン像化石  

写真-4 山田橋の下流では、ナウマン像の化石が捷水路掘削中に発見された(昭和41年)。






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Last updated  2019年01月14日 10時17分50秒
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