カテゴリ:荒川・多摩川水系
江戸期(1654年)江戸市中へ上水を引き、衛生面の向上、ひいては町の繁栄を支えた玉川上水。この玉川上水の起点が多摩川・羽村にある。水を取る堰の下流左岸に公園があり、功績者である玉川兄弟の銅像が設置されている。多摩川河口より上流40km地点である。 多摩川本流をせき止めて、水道の原水を玉川上水路へ導く羽村取水堰。この堰は、昔ながらの方法による水とりが行われている。コンクリート造りの固定堰の他に、左岸寄りに「投渡堰」が併設。投渡堰とは、堰の支柱桁に丸太や枝を渡すやり方。洪水時には流されるか、撤去して水門等の施設を守る。 川中の固定堰が常用水路で、投渡堰が非常用洪水吐きに早変わりする訳だ。第1水門より取り入れられた原水は、玉石積み擁壁の流入部を経て、500m下流の第3水門まで流れ、ゴミが除去される。この間の水路幅は運河のように広いが、第3水門を過ぎると小さな小川になる。 第3水門では、原水が3つに分けられる。(1)本来の玉川上水として流れる水。(2)多摩湖や狭山湖の補給水となり東松山浄水場へ行く水。(3)ポンプアップして3km上流の小作浄水場へ行く水。看板のフロー図を観ると朝霞浄水場で利根・荒川の水と連携している。首都圏の水ネットワークの起点でもある。 写真-1 多摩川本流に造られた羽村取水堰。川の中央部に固定堰、左岸側に投渡堰が見える。 写真-2 羽村投渡堰とその下流減勢の段差工を観る。 写真-3 第1水門を下流から観る。手前が旧水門、奥に見えるのが新水門。 写真-4 案内看板の「多摩川の原水の流れ図」。
写真-5 第3水門の左岸側の水門から勢いよく流出する。原水の行き先は多摩湖や狭山湖。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年05月17日 11時09分03秒
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