カテゴリ:江戸・東京
大嘗宮を見るためには、セキュリティーチェックを受けて坂下門から入苑する。乾通りの通り抜けとは異なり、宮内庁庁舎前を右折して、中の門を経て本丸広場へ上る。大嘗宮を見学した後は、二の丸庭園を経由して大手門から退苑した。 坂下門は、正月の一般参賀や桜と紅葉時期に皇居通り抜け際にも使用される入口。江戸時代、大奥のあった西の丸の通用門だった。坂下門外の変があったのは、桜田門外の変から2年後の1862年2月とされる。時の老中安藤信正が尊攘派の浪士に襲われ負傷している。彼は幕末、奥羽越列藩同盟に加わり、降伏・謹慎する。 富士見櫓を見上げるのは初め・・。通常は本丸広場から側面を観ることになる。三重櫓の富士見櫓は、明暦の大火(1657年)で焼失した天守閣の代用となった建物。この櫓からは両国の花火や品川の海が見えたという。 大手門は、1606年に造られた江戸城の玄関。桝形形式の城門の警備は、鉄砲30丁、弓10、長柄20という厳重なものだったとか。大火、震災、空襲などその都度消失するも、昭和42年に再建される。
写真-1 富士見櫓の南西面を見上げる。 写真-2 その昔、西の丸(大奥)の通用門だった坂下門。 写真-3 富士見櫓南東面、天守閣の佇まい。 写真-4 東御苑の出入口の大手門。 写真-5 巽櫓と桔梗濠。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2019年12月02日 06時00分11秒
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