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清多夢くらぶ

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道、街道

2020年08月29日
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カテゴリ:道、街道
​​​​​​​ ​東武線運河駅から南西200mに駒形神社がある。「日光東往還」の古街道沿いに佇む。山崎宿まで約2.5kmの地点になる。また、西に2.5km進むと、江戸川を渡る「深井新田の渡し跡」に至る。​

 境内の天神社の脇に、椋の樹が立っている。言い伝えでは、八幡太郎義家が愛馬をつなぎ留めた木の末裔とされる。当神社の絵馬や石碑に馬の絵が描かれている。​

 境内の奥に、富士山を遠望できた場所に富士塚がある。今は建物が立ち並び西方向の視界が悪い。浅間大神と刻まれた富士山登記念碑のようだ。江戸時代、東葛地域でも盛んに富士講が行われていた。江戸川を下り、甲州街道から大月を経て、富士吉田口から入山したのだろうか。​

 当時の富士講に参加できるのは、裕福な家の人達だ。片道150kmの道程で、時間と資金そして信仰心が必要だった。流山は物流の拠点、商業で発展していた村であった。​​​​​
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写真-1 旧東往還に面している駒形神社。


写真-2 駒形神社の本堂。


写真-3 八幡太郎義家の愛馬をつなぎとめた椋の樹の末裔とされる。


写真-4 浅間大神を祀る富士塚と天神社。


写真-5 御神馬像と馬の動きを描いた石碑。






Last updated  2020年08月29日 06時00分07秒
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2020年08月06日
カテゴリ:道、街道
​​​​​ 大宮へ所用で出かけた際、春日部駅で途中下車する。駅の東エリア、古利根川に平行に伸びる「かすかべ大通り」を散歩する。江戸時代から昭和にかけてのレトロの建物が残っている。その大通りは、旧日光道中(街道)でもあった。​

 春日部は、粕壁(江戸時代)とも呼ぶ。江戸初期に日光街道と奥州街道の宿場駅として、「粕壁宿」が開設された。昔の人は長距離を歩いた。日本橋から一日歩き続けると、一泊目が粕壁宿となる。古利根川に通じ江戸と結ばれ、物資集散地として栄えた。​
 春日駅から続く道と大通りの交差点に、「ミセと蔵」の案内標識がたっている。中町と呼ばれたこの辺りは、江戸時代に米問屋や旅籠屋が多く並んだという。春日部大通りの中心部には、家具の「匠大塚」が構えていた。​​​
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写真-1 粕壁の「ミセと蔵」の案内碑が立つ公園橋。奥に古利根川が流れている。


写真-2 旧日光街道の道標が立つ「東屋田村本店」。


写真-3 土蔵造りの町屋が点在。


写真-4 かつては日光道中だった「かすかべ大通り」。


写真-5 レトロな建物と近代的な「匠大塚店」。


写真-6 粕壁宿の推定模型。






Last updated  2020年08月06日 06時00分06秒
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2017年10月06日
カテゴリ:道、街道
​​​​​​​​ ​おわら風の盆と風情ある町並みが特徴の越中八尾(えっちゅうやつお)。八尾町の中心街山の手を「諏訪町通り」が東西に走る。延長約500mではあるが、石畳の舗装と白壁・格子戸の家並みが美しい。1986年、「日本の道百選」に登録されている。​

 越中八尾は、富山市と飛騨高山地方とを結ぶ街道筋に位置する。その昔、街道の要衝だった。養蚕、和紙、薬草などの集積地として発展した町。江戸期、「富山藩の御納戸」とも称された。贅を凝らした曳山は、その遺産かも知れない。​

 日が暮れると、道路両脇に行燈ぼんぼりが灯る。電柱や派手な看板・広告板はない。行燈に照らされた石畳みと白壁のコントラストが良い。おわら町流しを見物する人が1時間前から屯していた。​

 諏訪町通りの中間辺りに、お寺がある。地元で、「せんのっさま」と呼ばれる専能寺。本堂の内陣は、華麗に装飾されている。地元の漆職人と和紙職人の技で仕上げられているようだ。華やかさと豪華さは、曳山の装飾に通じるものがある。​​​​​​
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写真-1 街道の風情漂う越中八尾の諏訪町通り。派手な看板、電柱がない・・。


写真-2 白壁・格子戸の家並みと石畳が続く通り。


写真-3 行燈とぼんぼりが灯る。おわら町流しの準備が整う。


写真-4 曳山展示館の豪華な曳山。八尾町人の財力を彷彿させる。


写真-5 諏訪町通り傍の専能寺。


写真-6 専能寺本堂の内陣の装飾。






Last updated  2017年10月06日 12時00分27秒
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2017年04月01日
カテゴリ:道、街道
 信号機そばのモクレンが見頃になっていた。流山街道のモクレンと呼んでいる。純白の大きな花びらが青空に良く映える。大きく開いてはいない分、白さが際立つ。信号待ちのドライバーも、しばし眺めてから発進する。そんな町の光景・・。

 モクレンの足元に、紫色の雑草が一面に生えている。姫踊子草(ヒメオドリコソウ)と思われる。土から頭を出したばかりで、幼稚園児のように見えた。ワイワイ・ガヤガヤとの声が聞こえてきそうだ。

 モクレンの原産地は、中国雲南省辺りとされる。和名は木蓮または木蘭。花形を観て、ハスを連想するか、ランと感じるかで付いた名前だという。落下する前に大きく開いた様は、ハスを思わせる。水に浮かぶ蓮、空中の枝に宿る木蓮。一般に、モクランとは呼ばなくなった。


写真-1 県道沿いのモクレンが見頃。


写真-2 地面の紫は、ヒメオドリコソウの「子ども」。


写真-3 姫踊子草を見まもる木蓮。


写真-4 南側を向くモクレン花。


写真-5 青空に広がる純白の木蓮。






Last updated  2017年04月01日 16時59分11秒
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2017年03月19日
カテゴリ:道、街道
 三郷IC/JCTから東北方向に伸びる常磐自動車道路。江戸川を渡ると流山インターがある。晴れた日の午前中、江戸川橋からは富士が見える。富士見橋のひとつである。

 江戸川橋は1975年に完成したが、自動車を通すのに10年かかっている。柏市と流山市を縦断するため、道路建設の反対運動があつたため。流山ICから柏ICまでの区間は、半地下部を自動車が走る。道路スラブの上に盛土がなされて公園や緑地となり、周辺住民に利用されている。

 全長300kmの常磐道は、東日本大震災と福島第一原発事故を受け、4年に渡り寸断されていた。全線開通は、2015年3月1日。震災直後、災害救助、震災復旧のための車両で一日中渋滞していたことを思い出す。

 「くしの歯作戦」、「道路啓開」との言葉・用語が生まれ、消えつつある。大災害では道路の確保は急務である。人命救助や医療チームの現着が優先されるが、先ず空路が想定される。その後、機動的な道路が救援・復旧の速度を決めてゆく・・。

写真-1 金網越しの常磐自動車道。正面に富士見える。


写真-2 常磐道江戸川橋と流山インター。


写真-3 江戸川を渡る常磐道・上流側。


写真-4 下流より常磐道江戸川橋を見る。


写真-5 流山-馬坂を登る。






Last updated  2017年03月19日 16時25分17秒
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2017年01月31日
カテゴリ:道、街道
 真新しいアスファルトの黒道(こくどう)を歩いた。圏央道坂東(ばんどう)IC開通前のウォーキングである。好天にも恵まれて「陸の孤島」と云われた旧岩井市に12,300人が集まった。筑波山は、春霞の中に浮かんでいた。道路の頭上には横断橋が見当たらず、開放的な盛土区間道路が続く。

 来る2月26日に、圏央道・境古河IC-つくば中央IC間28.5kmが開通する予定。この接続部が繋がると、圏央道総延長300kmの約9割で環状となる。未開通区間は、端部の神奈川県藤沢ICと千葉県大栄JCT以南となる。

 関東首都圏の「3環状」の長い事業も終盤に入っている。3環状とは、中央環状線、外環道および圏央道である。2017年度中には、市川市を通る外環道16kmが開通するという。ますます利便性が増すが、メンテに人とコストが嵩むことになりそうだ。

 ウォーキングする道路面は、まだ車線等のペインティングされていない場所も見受けられた。チョークの細い線を辿って歩く子どもの姿があった。黒道をマイウェイしている。「君の心の決めたままに・・」。


写真-1 圏央道坂東IC開通前のウォーキングのイベント。


写真-2 筑波側の折り返し点から東側・常総IC方面を見る。


写真-3 折り返し点から西側・境古河IC方面を見る。2t軽トラックトイレが並ぶ。

写真-4 春霞に浮かぶ筑波山。


写真-5 人と違う黒道を進む・マイウェイな子・・。






Last updated  2017年01月31日 18時00分05秒
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2016年06月13日
カテゴリ:道、街道

 古河市は、茨城県の最西端に位置する歴史深い町である。人口は、平成の合併で約16万人規模。筑波山から見ると古河と水戸は、反対方向に対峙している。即ち、筑波山の西33kmに古河市、筑波山の東36kmに水戸市がある。

 明治・大正期、レンガ焼造りの生産拠点に隣接していたため、赤レンガ造りの建物が多く残っている。美術館に有効利用するなど保存されている。江戸期、幕府譜代大名が古河藩約8万石で治めていた。また、日光街道の9番目の宿として栄えた処である。

 室町期、古河は関東の政治・文化の中心地の一つであった。鎌倉公方から分かれた「古河公方」が5代・130年間(1455年-1582)続いた特異な場所だ。なお古河公方とは、足利尊氏が創設した室町幕府の出先機関(東国)の長官的存在。

 東武線で春日部(日光街道4番目の宿)から新古河駅まで約30(26km)。そこから渡良瀬川に架かる三国橋(国道354)を渡るとJR古河駅に到る。その途中に古い蔵造り屋敷とレンガ造りの町並みが見られる。赤レンガ使用をした小学校の門が保存整備されていた。赤レンガのまちを象徴する門である。

1.第1小学校通り.JPG

 写真-1  古河第一小学校の通り。

2.第1小学校正門.JPG

 写真-2  赤レンガ建造物が保存されている第一小学校旧門。

3.篆刻美術館.JPG 

 写真-3  大正時代の石蔵を改修した「篆刻(てんこく)美術館」。

りたつう士。

4.まちかど美術館.JPG 

写真-4  平成の赤レンガ風建物「古河街角美術館」。

5.旧日光街道の常夜灯.JPG

 写真-5  旧日光街道沿いに4つある常夜灯の一つ。







Last updated  2016年06月13日 18時56分54秒
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2016年01月04日
カテゴリ:道、街道

 奈良井宿の西を流れる川をひと跨ぎする木製の太鼓橋がある。平成3年に架けられた橋長33mの「奈良井・木曾の大橋」だ。天然木の木曾ヒノキをふんだんに使用した贅沢な橋で、道の駅のシンボル。国道19号道の駅とふれあい公園を結ぶ人道橋である。

 中山道(69宿)のうち木曾路とは、急峻な木曾谷を通る街道を主に呼ぶ。「木曾路は、すべて山のなか・・」との文節がある。木曾路には江戸時代11の宿があり、奈良井宿は江戸からみると2番目の宿。奈良井宿から先が、木曾路本番の路。現在は、トンネルで容易に通過できる時代・・。

 木曾ヒノキは、戦国時代に砦や築城に大量に伐採された。江戸期に入り、幕府が管理して森林を育成・管理してきた。その後、国営の営林署が管轄して林業が盛んとなる。

 切り倒した樹木の運搬は、木曾営林鉄道が担った。レール延長は数百kmにも及んだという。その原動力として活躍した車両が公園の隅にオブジェのように置かれていた。風雪に耐える小さな機関車である。

1.R19道の駅 木曾の大橋.JPG

写真-1  ふれあい公園より奈良井・木曾の大橋を観る。

2.奈良井川一跨ぎ.JPG 

 写真-2  奈良井川をひと跨ぎする木製太鼓橋。スパンは33m。

3.木曾の大橋.JPG 

写真-3  階段は20段。20世紀に因んでいる。

4.林業を遺物.JPG

 写真-4  木曾森林鉄道で使用していた機関車と客車。

5.木曾路の案内.JPG 

写真-5  木曾路・奈良井宿の案内版。







Last updated  2016年01月04日 11時44分57秒
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2016年01月02日
カテゴリ:道、街道

 かつて中山道・木曾十一宿の中で、最も賑わいをみせた奈良井宿。「奈良井千軒」とも呼ばれ、人口2000人を超えたことがあった。中山道六十九次の34番目の宿場である。

 北から京・大阪へ向かう旅人は、難所の鳥居峠を前にして身体を休めたのが奈良井宿。千本格子の町並みが約1000m続き、日本最長の宿場町。江戸時代の宿場を肌で感じ町並み。実際の生活をしっかりと営んでいる。国の重要伝統的建造物群保存地区として、未来へ引き継がれる。

 千本格子には独特の風情がある。内からは、街道を往く旅人の姿・荷など見える。また外からは、部屋の内部までは見えないものの、人の気配や店内の様子を察知することが出来る。平和と治安が良くなければ成り立たない町並みであった。

 浮世絵「奈良井宿 名産店之図」(渓斎英泉)に「お六櫛」を商う様子が描かれている。お六櫛は、「みねばり」の木櫛とお六という娘が由来する縁起品。毎日使うものでもある。当時旅したひとは、この櫛を想いびとのために所望したのであろう。異国を旅する時、ふと遠き人を想うことは良くある・・。

1.奈良井宿松本側.JPG

 写真-1  中山道34番の宿、奈良井宿。松本側の入口、JR中央本線・奈良井駅傍。

2.旧中山道.JPG

写真-2  千本格子と出梁造りが続く町並みと木曾路。

3.出梁造り町並み.JPG

 写真-3  永年、奈良井宿の問屋をつとめてきた手塚家(国重文財)

4.奈良井宿名古屋側.JPG

写真-4  鳥居峠口側を眺める。

5.英泉 奈良井宿.jpg

写真-5  渓斎英泉の「奈良井宿 名産店之図」に描かれたお六櫛。 







Last updated  2016年01月02日 18時20分49秒
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2015年11月27日
カテゴリ:道、街道

ランコースのひとつに柏の葉公園がある。江戸川土手ランが主体ではあるが、桜咲く頃と紅葉の秋(とき)に、柏の葉公園へ足を運ぶ。公園の東外周道路には約1kmのケヤキ並木がある。歩道が広く、落葉を踏んでランすると気持よい・・。

 公園の外周歩道一周は、約3km。自宅からスタートし、柏の葉を一周して戻ると9kmほどになる。歩度良い距離である。しかし、柏の葉スマートシテイーが開発された以来、車両が急激に増えた。足が遠のいた要因のひとつである。

 公園の北側、道路を挟んで東大柏キャンパスが広がっている。祝う横断看板が設置されている。「祝  梶田隆章、宇宙線研究所長 ノーベル物理学賞受賞・・」。2008年から東大宇宙線研究所長を務めていたようだ。ニュートリノに質量があることを示したというが、小生には難解分野だ・・。

 東大柏キャンパスが設立されて早15年を過ぎた。最初に移転してきたのが、宇宙線研究所と物性研究所だったと思う。現在、教職員・学生を併せて、3000名を超えるキャンパスとなった。宇宙線研究所にも150名以上がいるという。以外と大きい研究室なのだと最認識させられた。

1.柏の葉公園中央口.JPG

写真-1  柏の葉公園中央口付近の紅葉。

2.公園北路のケヤキ並木.JPG 

写真-2  公園北側のケヤキ並木。

3.落葉を踏ラン.JPG 

 写真-3  早めの午前中、落葉踏ラン楽しむ。

4.園内から東大柏キャンパスを.JPG

 写真-4  北エントランスと東大柏キャンパスの建物。

5.ノーベル賞受賞を祝う.JPG

 写真-5  宇宙線研究所が脚光を浴びた。







Last updated  2015年11月27日 14時04分18秒
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