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清多夢くらぶ

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世界遺産

2017年05月11日
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カテゴリ:世界遺産
 熊野本宮大社はかつて、熊野川、音無川、岩田川の合流点にあった。その中洲が大斎原(おおゆのはら)と呼ばれた。当時、11000坪の境内に5棟12社の社殿、楼閣、神楽殿などあったという。その場所を示す高さ34mの巨大な黒い大鳥居が立っている。

 熊野詣の参拝者は、着物の裾を濡らして、川の水で水垢離を行い、身を清めて神域にはいった。振り返って現在は、参道入口まで車で乗りつけて、158段の石段を登り,手水で清めて参拝する。随分と楽な熊野詣である。御利益が薄い訳だ。

 明治22年の大水害で、多くの社殿が流失した。関係者は途方に暮れたことだろう。しかし信仰の力は凄い。水害を免れた4社を現在の本宮位置に、遷座してしまう。広大な大斎原の草原にぽつんと旧本殿跡の石洞が残っていた。

 熊野川は、少し前までは新宮川と呼ばれた。世界遺産の登録に合わせて、熊野川に改名したが、水系名は新宮川水系。奈良県内では十津川と呼んでいる。昔、木材を筏にして輸送に利用した熊野川。雨が多く木材で繁栄した地域だと思う・・。

 「大斎原」で、南紀旅景色シリーズを終わりとします。有難うございました。


写真-1 水田に映る大斎原の大鳥居。


写真-2 黒い大鳥居の下は桜の名所だが、時期は過ぎていた。


写真-3 旧熊野本宮大社本殿の跡を示す石祠。


写真-4 旧熊野本宮社殿図絵。まさに川の中の大社。


写真-5 大斎原の東側を流れる熊野川。


写真-6 毎年8月に行なわれる八咫の火祭り[パンフより] 。






Last updated  2017年05月11日 17時45分00秒
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2017年05月10日
カテゴリ:世界遺産
 二つの古社が鎮座する新宮市。熊野川河口に、熊野速玉大社と神倉神社がある。神々が山上に降臨したという神倉神社が「本宮」。後に現在の平地に遷されたのが熊野速玉大社。朱塗りの社殿が並ぶ秀麗な速玉の境内で参拝する。

 熊野速玉大社の主祭神は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)。その他に天照大神など十二神が祀られている。とても無覚えきれない・・。

 神倉山に鎮座する神倉神社は、創建が128年(景行天皇)と古い。断崖の上(標高120m)に建立され、覆い被るような巨石が御神体。巨石はゴトビキ岩(琴引岩)とも呼ばれる。間近で参拝するためには、急峻な538段の石段を登らなくてはならない。

 国の天然記念物「ナギの大樹」が参道を覆う。平重盛お手植えとされ、高さ20m×幹回り6m、推定樹齢千年の神木。ナギ(那木)は、「凪」に通じることから旅の安全祈願に、葉が丈夫で強いことから夫婦円満や健康のお守りになるという。


写真-1 熊野権現の鳥居をくぐり、参道に入る。


写真-2 参道を覆う「ナギの大樹」、推定樹齢1000年の神木。


写真-3 朱塗りの神門。扁額の文字は「全国熊野神社総本宮」。


写真-4 境内に入ると秀麗な社殿が並ぶ。


写真-5 扁額に「日本第一大霊験所根本熊野権現拝殿」とある。


写真-6 断崖の元社、神倉神社とゴトビキ岩。






Last updated  2017年05月10日 12時00分12秒
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2017年05月09日
カテゴリ:世界遺産
 熊野灘に面した有馬町に、花の窟神社がある。神々が眠る日本最古の神社とされる。熊野古道伊勢路沿いにあることから、世界遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」の一部として登録された。

 花の窟神社には社殿が無く、巨岩(磐座いわくら)が御神体。神々の母なるイザナミノミコトが火神「カグツチノミコト」を産み、焼かれたて亡くなった後の墓所とされる。巨岩の下部に「ほと穴」と呼ばれる岩陰が御陵だという。

 この神社の例大祭は「お綱かけ神事」と云う、岩窟上45mの高さから170mの大綱を松の御神木に渡す行事。隣接する国道42号の交通を止めて行う町あげてのイベントだ。無事、綱かけを終えると、「ほと穴」前で巫女の舞が奉納されるという。

 大綱から縄で編んだ三本の幡が吊下がっている。三神を意味する「三流の幡(みながれのはた)」だという。三神とは、宇宙を基本構成する太陽、月、暗黒それぞれの神である。そして、イザナミの7人の子である「7つの自然神」は、大綱に束ねられているという。


写真-1 国道42号から見た「花の窟神社」。


写真-2 巨岩の下へ続く参道。日本最古の神社との幡が並ぶ。


写真-3 イザナミノミコトが眠る墓所。


写真-4 墓所の上空を飾る「三流(みながれ)の幡」。


写真-5 伝統行事「お綱掛け神事」の説明看板。


写真-6 御神体に奉納される巫女の舞。小学4年生が選ばれる。






Last updated  2017年05月09日 07時00分09秒
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2017年05月06日
カテゴリ:世界遺産
 吉野熊野国立公園内の熊野市木本町に世界遺産・鬼ヶ城がある。国の名勝で天然記念物。鬼岩屋(おにのいわや)と呼ばれた千畳敷と断崖の中腹に作られた約1Kmの遊歩道からなる奇景だ。国道42号鬼ヶ城トンネル(延長570m)の迂回歩道ともなっている。

 鬼ヶ城は、志摩半島から続くリアス式海岸の最南部に位置する。熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が見られる。鷹のクチバシのように先端が尖がり、天井部分はハチの巣状の模様が際立つ。

 平安時代の鬼退治伝説が残っている。この岩場を根城にする海賊・多俄丸が暗躍していた。近くを航行する船人からは鬼と恐れられていた。時の征夷大将軍・坂上田村麻呂がこれを成敗した。つまり鬼退治の言い伝えだ。鬼にまつわる話は日本各地あり、風習・文化に関係している。

 鬼ヶ城は、伊勢参りした後に熊野詣をするための熊野古道伊勢路にあたる。主ルートは鬼ヶ城トンネル山上の松本峠越えであるが、修験者立は岩壁を蟹歩きで踏破したのだろう。この断崖を過ぎると、風光明媚な七里御浜が待っている。


写真-1 奇景・鬼ヶ城への東口遊歩道。


写真-2 鬼の棲みかとも呼ばれた千畳敷。海蝕と風食の岩場。


写真-3 断崖の途中に設けられた通路。


写真-4 来た通路を振り返る。崖の上に見晴し台らしきものが見えた。


写真-5 断崖から七里御浜と熊野山地を望む。


写真-6 鷹のクチバシのような奇岩。






Last updated  2017年05月06日 12時00分15秒
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2017年05月05日
カテゴリ:世界遺産
 八咫烏(やたがらす)が舞い降りたという熊野本宮大社。平安時代人が参拝した中心聖地。すべての熊野古道は、この大社に続いている。158段の石段を登ると神門が待っていた。250kgの大注連縄と対の八咫烏注連縄のくぐると境内である。

 広い境内に一直線に並ぶ4社殿。向かって左側から第一殿。右側が第一殿。参拝には順序がある。最初に第三殿のスサノオノ命(本地仏は阿弥陀如来)、次に第二殿のイザナギノ命、第一殿のイザナミ命、そして第四殿の天照大神(本地仏は十一面観音)。
 
 神門の直ぐ隣に拝殿がある。珍しい位置関係だ。その両脇に黒大理石の八咫烏彫刻が控えている。大筆書の「成」と「気」の文字が垂れ下がっている。今年の一文字は気。成は昨年のもの。

 熊野権現造りの社殿は、江戸期の建造物。明治24年(1891年)に熊野川沿いの大斎原から移築したという。檜皮葺きの社殿が並ぶ様は、荘厳静寂な空間を創り出す。この後再び、熊野本宮大社を訪れることができるだろうか。伊勢は7度、熊野は3度と人は言うが・・。


写真-1 熊野本宮大社の神門。八咫烏注連縄が目を引く。


写真-2 黒い八咫烏と拝殿。


写真-3 第一殿(夫須美大神)と第二殿(速玉大神)。


写真-4 第三殿(家津美御子大神)と第四殿(天照大神)。



写真-5 奉納幡なびく石段の参道。






Last updated  2017年05月05日 06時30分05秒
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2017年05月02日
カテゴリ:世界遺産
 紀伊田辺駅の近くに、勝利の神様が居るという闘鶏神社がある。創建が419年とされ大変古く歴史ある社だ。明治維新の頃、新熊野権現から闘鶏神社に改名したという。

 壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍が伝説となっている。武蔵坊弁慶の父といわれる湛僧が、源平のどちらかにつくかを悩み、紅白7羽の鶏を闘わせて占ったという伝承がある。

 田辺は、熊野三山への参拝道における中辺路と大辺路との分岐点にあたる。多くの参拝者が宿泊たし町。2016年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」に追加登録された。

 弁慶は田辺一帯を統治していた熊野別当の子との伝承がある。田辺市では、毎年10月弁慶まつりが開催される。祭りのハイライトは、弁慶ゲタ踊りだという。田辺市のゆるキャラは、可愛い弁慶姿の「たなべぇ」・・。


写真-1 2016年に世界遺産に追加登録された闘鶏神社。


写真-2 闘鶏神社の拝殿。


写真-3  6棟が並ぶ社殿は国の重要文化財指定。


写真-4 闘鶏と湛僧と弁慶の像。



写真-5 闘鶏神社の御朱印帳。






Last updated  2017年05月03日 09時35分16秒
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2017年05月01日
カテゴリ:世界遺産
 熊野古道・中辺路のハイライト的な道を歩く。国道311号・道の駅「熊野古道なかへち」から箸折峠を越えて、近露地区に降りる1.3kmコース。雨中の行軍となる。雨合羽・傘そして杖を持ち、語り部のお話を聞きつつ歩く。杖は下り坂で必須のアイテムだ。

 七つの熊野古道のうち、中辺路は、和歌山県田辺から峠を越えて、熊野本宮、新宮、那智山へ向かうメインルート。道沿に設けられた王子社では、奉納や歌会などが行われたという。

 箸折峠(標高382m)の小山の上に立つ「牛馬童子像」は、花山法皇が熊野御幸に訪れ、経典を納めた場所とされる。牛と馬にまたがった石像は、花山法皇の旅姿を現わしているとか・・。

 日置川左岸の近露王子跡(ちかつゆおうじ)を観て、宮田川近くの滝尻王子社へバスで移動する。滝尻王子は、数ある王子社のなかでも格式が高く、霊域の入口とされた重要ポイント。鳥居と社殿があった。その後、近くの熊野古道館へ向かい休息する。中辺路ハイクを終えた。


写真-1 熊野古道・中辺路を「雨中の集団」が往く。


写真-2 箸折峠の牛馬王子像で語り部のお話を聞く。


写真-3 箸折峠を降りると日置川が流れる近露集落。


写真-4 近露王子社の跡。


写真-5 滝尻王子近くの中辺路の様子。






Last updated  2017年05月01日 07時00分19秒
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2017年04月29日
カテゴリ:世界遺産
  那智川の河口、紀勢本線・那智駅の直ぐ近くに、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)がある。本堂・境内は普通のお寺規模である。しかし、「紀伊山地の霊場」を構成する重要な寺。補陀洛渡海は、那智参拝曼荼羅図に描かれているように、熊野信仰の重要な儀礼だった・・。

 那智駅から那智湾を望むことができる。その東方には熊野灘が広がっている。井上靖の小説にも描かれている補陀洛渡海。那智の浜から補陀洛を目指して、船出した上人は多い。

 中世日本では、遥か南洋上に補陀洛(観音浄土)が存在すると信じられていた。そこを目指すことを補陀洛渡海と呼んだ。25名の渡海上人がいたことを記念碑は、記録している。

 四方に鳥居を持つ渡海船。船上の室は扉が無く人が入ると、出入口を板で嵌め込み、釘で固定された。伴船で沖に曳航され、綱切島で綱を切り落とされた。小船は熊野灘を漂流して、太平洋の彼方に消えて行く。そんな儀式があったことを伝えるお寺・・。

写真-1 補陀洛山寺・本堂にて住職の講話を聴く。


写真-2 世界遺産の構成資産であることを示す石碑。


写真-3 納屋に復元された渡海船が展示されている。


写真-4 渡海上人25名を記録した補陀洛渡海記念碑。


写真-5 那智参拝曼荼羅図に渡海船が描かれている。






Last updated  2017年04月30日 10時00分04秒
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2017年04月27日
カテゴリ:世界遺産
 高さ133mの断崖から流れ落ちる。1段の滝としては、日本一を誇る那智の滝。青岸渡寺(せいがんとじ)から那智の滝を眺めると、三重塔とのツーショットとなる。更に、名残の桜がわずかに見えた。

 那智山青岸渡寺は、那智大社に隣接し、那智山の霊場として栄えた寺院。その昔、インドから渡来した裸形上人が那智の滝で修行した際、如意輪観音像を見出し安置した庵が青岸渡寺の始まりとされる。

 戦国時代に焼失するまでは、如意輪堂と呼ばれていた。その後、豊臣秀吉が天正18年(1590年)に再建する。桃山時代の建築様式を残す本堂は、南紀最古の建築物で、国の重要文化財。

 那智の滝を見上げる展望広場の中心に鳥居がたっている。滝そのものが那智大社別宮で、飛瀧神社の御神体である。滝の飛沫に触れると、延命長寿の霊験があるとの伝説がある。立ち入りが禁止されているので、滝の飛沫かかるほどの距離に近づけない現世である。


写真-1 朱塗りの三重塔と那智の滝。


写真-2 惜桜の奥に那智の滝がある。


写真-3 熊野山青岸渡寺の本堂。西国三十三霊場1番札所。


写真-4 飛瀧神社の御神体が那智の滝。



写真-5 杉木立の間から名瀑を観る。






Last updated  2017年04月27日 06時27分39秒
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2017年04月25日
カテゴリ:世界遺産
 467段の石段参道を登ると山上は、朱塗りの別世界である。熊野の神々を祀る境内が広がる。玉垣内には、五殿が一直線に並ぶ。壮麗な熊野那智大社の眺めだ。

 社殿は、仁徳天皇時代(317年)現在の場所に創建された。平重盛が造営奉行となり装いを改めたとされる。その後那智大社は、戦火や台風被害を受けるが、豊臣秀吉、徳川吉宗らが寺院の修復・改築に尽力した。

 境内に巨大なクスノキが立っている。樹齢800年以上の御神木で、平重盛お手植えと伝えられている。また、「樟霊社(しょうれいしゃ)」と呼ばれる。幹に開いた洞窟があり、樟霊社の胎内くぐりを体験できる。

 拝殿左手に御縣彦社(みあがたひこしゃ)に 八咫烏(やたがらす)が祀られている。八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマーク。その昔、神武東征のおり、道案内をしたという足三本の鳥。太陽の中に住み霊力を持つ八咫烏は、熊野の神様の使いとして崇められている。


写真-1 熊野那智大社、一の鳥居と参道


写真-2 山上の境内と二の鳥居。


写真-3 熊野那智大社の拝殿を正面から見る。


写真-4 樹齢800年以上の御神木のクスノキ。


写真-5 御縣彦社と八咫烏像。


写真-6 参道の途中から眺めた山並み。






Last updated  2017年04月25日 18時00分09秒
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