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清多夢くらぶ

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土木遺産、歴史遺構

2021年09月16日
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​​​​​​ 札幌市内に宿泊すると、時間に余裕があれば、「​​赤れんが庁舎​​」を訪れる。札幌駅に近く、緑が多い庭があるので・・。2年前からリニューアル工事が始まりっており、赤煉瓦建物は、バリケードで囲まれていた。2024年まで閉館される旨、案内板があった。​

 朝7時に正門は開門となる。前庭などを散歩することができる。また通り抜けも可能。正面玄関には、3つの花壇がある。中央の花壇前に「 KOKKAIDO LOVE」の横看板があった。オリンピックを意識したようだ。​

 赤れんが庁舎は、かつて北海道庁本庁舎して建築された西洋館。ネオ・バロック様式として、明治21年(1888年)に完成。その後火災に遭い、数回の復元工事が成され今日に至る。昭和43年に重要文化財となり、「​北海道立文書館​」として一般公開されていた。​​​​​
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写真-1 「アカプラ」のイチョウ並木と赤れんが庁本庁舎。


写真-2 赤れんが庁舎の記念写真スポット(東面)。


写真-3 花壇と赤れんが庁舎。


写真-4 史跡碑と赤煉瓦正面玄関。


写真-5 赤れんが庁舎の南面と西面(裏側)。


写真-6 道路横断するマガモと昔の庁舎写真パネル。






Last updated  2021年09月16日 06時00分07秒
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2021年05月25日
​​​​​ 渡良瀬橋の下流500mに、緑色のトラス橋・中橋が架かっている。この中橋は、戦前の昭和11年に架僑された。以来補修などを経て、85歳となる。河川敷の整備と相まってこの3連アーチ橋は、足利市を代表する景観となっている。昨年来から、「中橋掛替事業」が動き出した。早ければ2022年から工事が始まる。​

 力強いフォルムの3連アーチは、「下路ブレースドリブタイドアーチ」と呼ばれる橋形式。ドイツで考案。実用化されたもの。昔の多摩川・六郷橋がこの形式。現在、隅田川に架かる千住大橋(シングルアーチ)がこのタイプ。長良川中橋は、規模として大きい。栃木県の土木遺産に登録されている。​

 古い橋であるため、中橋がある堤防付近は、他より2mから3m低い。昨今の豪雨を考えれば、いつ堤防越水するかは時間の問題と思われる。荒川と京成本線荒川橋梁も同じ治水課題を抱えている。土木遺産の現中橋は、下流に移動して歩行者・自転車専用道路とて保存し、新たな新橋を建設するようだ。しかし、一部地元民が計画の撤回を訴えている・・。​​​
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写真-1 足利の3連アーチの中橋。栃木県の土木遺産。


写真-2 広い河川敷と緑色の中橋。


写真-3 下路フレースドリブタイドアーチ橋。


写真-4 渡良瀬橋側から中橋を望む。


写真-5 足利市駅前広場の女性像と東武鉄道線。


写真-6 中橋の掛替概略図と隅田川千住大橋。






Last updated  2021年05月25日 06時00分07秒
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2021年05月22日
 ​​銀色に輝くトラス橋・​渡良瀬橋​は、渡良瀬川に架かる橋のなかでは最古とされる。渡良瀬川によって南北に分断されている足利市。足利市内流れる17km区間に12箇所橋が架けられている。隅田川に架かる橋群のようだ。東武足利市駅で下車して河川敷を歩き、南から北へ渡良瀬橋を渡る。​
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 渡良瀬橋は、下路平行6連​ワーレンストラス橋​。橋長243.3m×幅員5.5m。1902年頃に木橋があったが、1934年(昭和9年)現在の鋼製トラス橋に架け替えられた。遠くから眺めると、鉄道の橋梁のように見える。橋の上流側に側道(歩行者・自転車)が設置されている。側道から夕陽などを安全に見ることができる。​

 橋の北詰・下流に「渡瀬橋の歌碑」がある。1993年、森高千里氏がこの橋をモデルにした楽曲を発表して、全国的に名が知られた橋。夕日の名所なったのは、歌詞の内容による。「・・夕日がきれいな街」との言葉で歌詞が終わっている。​​
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写真-1 渡良瀬川と渡良瀬橋を下流から望む。


写真-2 銀色トラス橋とその側道(歩行者・自転車専用レーン)。


写真-3 渡良瀬橋を上流と下流から観る。


写真-4 森高千里の「渡良瀬橋の歌碑(2007年に設置)」。


写真-5 橋の南詰近くの足利浅間神社。


写真-6 織姫神社から渡良瀬橋を望む。麓の八雲神社。






Last updated  2021年05月22日 06時00分06秒
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2019年09月02日
​ ​明治維新後、遷都で荒廃した京都をいち早く蘇らせたのは、琵琶湖疎水事業か・・。水を治める者は、国を治めるとの、古くて新しい格言がある。京都の東8kmに巨大な水ガメ・琵琶湖がある。この水を都に引くことは長年の夢。灌漑・水道・発電・水運の目的を持って、琵琶湖第1疎水が完成したのは明治23年。​
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 史跡・蹴上インクラインを汗だくになって上から歩く。熱中症対策として「琵琶湖疎水記念館」で、見学休憩する。この建物は、琵琶湖疎水竣功百周年を記念して、平成元年に開館した施設。館内展示物を見終えるころには汗もひいた。​

 この事業には、若い技術者が初めから設計監理を担当していた。田辺朔朗24歳(東京出身・岩倉遣欧使節団の一員)で、途中銅像を見かけた。第一疎水は、明治18年から明治23年に完成。大津と京都鴨川間の疎水約20kmである。5本のトンネル延長は4km。大津-伏見間の船運が5時間となった。​

 記念館の疎水に面するテラス横に、扇ダム放水路トンネル出口がある。扁額の「夢之年百楽」が見える。百年の夢を楽しむとの意味か・・。130年間水を届ける水路群が京都にある。​​​
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写真-1 琵琶湖疏水記念館前の南禅寺船溜まり。


写真-2 記念館と扇ダム放水トンネル出口。「夢之年百楽」の扁額。


写真-3 記念館1階の疎水の計画と建設コーナー。


​写真-4 記念館前の水路と模型。​

写真-5 田辺朔郎の銅像と初期に使用されたペルトン水車。






Last updated  2019年09月02日 10時15分37秒
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2019年08月29日
​​​​​ ​南禅寺境内を跨ぐ水路がある。琵琶湖疎水の分線にあたる「南禅寺水路閣」である。蹴上付近から疎水本線から分岐して、枝水路となって南禅寺院前を横切る。そして第5トンネル(105m)を経て、哲学の道沿を流下し、今出川通りを併走する。​

 長さ93mの水路閣は、古代ローマの水道橋を摸している。橋幅4m(水路幅は2.5m)×高9mの橋脚が並ぶ。レンガと花崗岩で作られた13連続アーチ橋は、風格が漂う。明治21年に出来た水路橋は、近代産業遺産とともに国の史跡だ。​

 京都の近代遺産のなかでも南禅寺水路閣は、明治初期の土木技術を今に伝える建造物。今なお現役で、京都市内へ疎水している。現役が故に、映画やドラマに度々使用される場所だ。紅葉のシーズン撮影スポットは、順番待ちができる・・。​​​​
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写真-1 南禅寺水路閣の撮影スポットで・・。


写真-2 現役で京都市内に水を流している琵琶湖疎水支川。


写真-3 南禅院前を横切り水路閣と方丈庭園。


写真-4 連続するアーチがコンセプト。


写真-5 水路閣脇散策路と5号トンネル吞口。


写真-6 琵琶湖疎水模型における水路閣。






Last updated  2019年08月29日 06時00分08秒
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2019年05月29日
​​​​​​​​​ 魚見崎から旧道135号、蘇我浦大橋を経て、アカオ・ハーブ園まで歩く(往復2.4km)。崖に沿って、赤レンガ舗装の遊歩道(パノラマロード)が整備されている。眼下は岩壁と紺碧の海だ。五月の風は、汗を乾かしてくれる。​

 蘇我浦にはみ出した「蘇我浦大橋」は、平成2年(1990年)に完成した。橋長225mのトラス橋。この橋が開通するまでは、山側の旧道が幹線道路だった。その名残の洞門が保存されている。​

 洞門(半トンネル)は、1号から5号まであったようだ。そのうちの4号と5号が土木学会推奨土木遺産として登録(2008年)された。土木遺産「曽我浦片隧道5号」は、昭和14年に造られた、アールデコ様式のシェルター型片トンネル。長さ33.5m×高さ4.9m×幅員5.5mの規模。​

 この時期、錦ケ浦・パノラマロードを歩く人はあまりいない。アカオ・ハーブ園前にバス停があり、多くの人は車を利用するようだ。しかし、雄大な景色を見ながらの断崖散歩も良いものだ・・。​​​​​​
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写真-1 曽我浦と「曽我浦大橋」。


写真-2 平成2年完成の大橋と昭和14年完成の「蘇我浦片隧道五号」。


写真-3 赤レンガ舗装の錦ケ浦パノラマロードを歩く。


写真-4 錦ケ浦海岸線とアカオ・ハーブ園。


写真-5 海岸線に点在する岩に波が打ち寄せる。






Last updated  2019年05月29日 06時00分16秒
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2018年12月06日
​ ​日光・杉並木公園に水が湧き出す「円筒分水井(えんとうぶんすいせい)」がある。直径10m程のコンクリート造りの円柱だ。昭和28年に造られたもの。枯れ葉掃除している管理人さんに断って、少し覗かせてもらった。清水が湧き水のように噴出していた。​
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 上今市駅から東武日光線の南側に伸びる杉並木公園。日光杉並街道との間に造られた延長約1km散策路だ。公園の上流端に古民家と食事処がある。大きな古民家は、移築した旧江連家(1830年築)。この屋敷の庭の下に、円筒分水井がある。​

 今市用水は、大谷川左岸に建設された水力発電所の排水を利用している。ヒューム管製のサイホン(延長約1km)により、大谷川を横断して分水井に出る。この分水施設からの配水は、下流の農業用水や水道用水に分配される。円筒の円周に沿って24のゲートがあり、合理的に配分されるという。​

 二宮尊徳の報徳仕法により建てられた古民家「報徳庵」は、手打ち蕎麦が名物。行列ができる店だ。訪れた時刻10名以上が並んでいた。昼食は蕎麦としていたが、断念して「大水車」を観て散策を続けた。​​​
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写真-1 古民家庭園から見た「今市用水円筒分水井」。


写真-2 直径10mの円周に沿って24のゲートがある。


写真-3 所野第三発電所の使用した水が円筒分水井に湧き出す。


写真-4 今市用水を利用した直径10mの大水車。


​写真-5 旧江連家の古民家と食事処「報徳庵」。






Last updated  2018年12月06日 09時55分57秒
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2018年11月08日
​​​​​​​ ​旧手宮駅は、北海道の「​鉄道の発祥の地​」とされる。手宮から札幌間(35Km)は、日本で3番目に開通した鉄道線(明治13年11月)。明治5年新橋-横浜間、明治7年大阪-神戸間に次いでの・・。港に近く、国策で鉄道の起点となったことで、「鉄道の街」として発展した港町・小樽。​

 野外展示の一画に、蒸気機関車時代を物語る貴重な建造物がある。明治18年に竣工した「機関車庫3号」。国内に現存するレンガ造り機関車庫としては最も古い。国の重要文財である。日本人の手による国産2号機となった「大勝号」も納まっていた。​

 小樽市総合博物館の特色は、ひとつに鉄道車両の豊富さだろうか。各種機関車(蒸気、電気、ディーゼル)をはじめ、除雪車を含めると40車両に及ぶ。往年の手宮駅構内を偲ぶ野外展示場だ。​

 明治の石炭輸送は、港を介して鉄道と船が主体。当時、手宮高架桟橋は、人々を驚かせた。明治44年に突如現れた。海上からの高さ19m、海上延長約300mという巨大なもの。すべて木材を使用して組み上げられていたという。当時の写真と模型が展示されていた。​​​​​
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写真-1 手宮公園麓から小樽総合博物館を望む。


写真-2 転車台と機関車庫3号。


写真-3 8両が繋がるプラットホーム。


写真-4 野外に展示されている機関車など。


写真-5 手宮高架桟橋模型と近代産業遺産の説明パネル。






Last updated  2018年11月09日 20時19分17秒
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2018年10月12日
​​​​​​​​戦いに勝ったときにあげる、あの「かちどき」を象徴する橋がある。晴海通りを通す勝鬨橋だ。競技大会などで競い合い勝ったとき、思わずとるはガッツポーズだ。​

 勝鬨橋は、国の重文、土木遺産に登録されている可動橋。貨物輸送を船に頼っていた頃、国内でも多く架けられた型式。可動部52mをハネ上げる道路橋は、国内で最大規模を誇った。10年の歳月をかけて、昭和10年(1940年)に竣工した。シカゴ型双葉跳開橋が正式な型式。​

 戦後、交通渋滞を起こす原因となり、昭和45年に跳開が停止。開かずの橋となる。米国シカゴ川には、現役で跳開している橋が多くあるという。不便であっても、何かあった場合の船輸送を念頭に維持管理、そして観光に活用している。​

 日本でも「勝どき橋をあげる会」があった。実現はかなり難しい・・。東京オリパラ大会を記念して、八の字に「勝どき」を上げるイベントがあると面白いのだが・・。​​​​​
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写真-1 隅田川に架かる勝鬨橋を上流から観る。


写真-2 下流側面の橋景色。


写真-3 可動部と八の字に跳開した様子。


写真-4 橋の歩道・自転車道。


写真-5 力強いアーチ梁が連続する。






Last updated  2018年10月12日 11時31分33秒
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2018年09月28日
​​​​​​​​ 京葉線八丁堀駅の東流する亀島川に、「高橋」が架かっている。この橋から下流南側に「南高橋(みなみたかばし)」という​レトロな橋​がある。亀島川は、日本橋川から分流して、5つの橋を潜り隅田川に注ぐ。​

 河口に設置された亀島川水門に並ぶように架る南高橋。橋長63m×幅員11mの鋼製トラス橋。縦梁に細かいトラス材が使われ、「​プラットトラス橋​」とも呼ばれる。また、四隅の柱頭に、ローマ建築のような冠を頂いている。明治の気風が残る門構えである。 ​

 南高橋は、昭和7年(1932年)に架けられたが、橋の主要部が明治37年の旧両国橋の材料を使用している。このため、都内に現存する道路橋としては最も古い橋とされる。平成28年度土木学会推奨​土木遺産​に認定された。​

 橋の東端(新川)に小さな祠がある。御神体が徳川家の遊船の舳を切って彫ったものと伝えられる「​徳船稲荷神社​」である。この辺りは江戸期、京橋川も合流し、河口に浪よけ稲荷があったされる。小舟の積み替え場所だったのだろう・・。​​​​​
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写真-1 「高橋」の上から「南高橋」を望む。


写真-2 明治の気風が漂う南高橋。


写真-3 旧両国橋の部材を使用しているプラットトラス橋。


写真-4 四隅の柱頭装飾と土木遺産認定プレート。


写真-5 橋の東詰に祀られている「徳船稲荷神社」。


写真-6 橋の西側・湊地区の「鉄砲洲稲荷神社」。






Last updated  2018年09月28日 12時00分13秒
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