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清多夢くらぶ

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エジプト紀行

2019年05月06日
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カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​ スラーム地区東部、モスク群の中心部にカイロ最大の大スーク(市場)がある。数百年の歴史を誇る屈指のスークだ。14世紀末にスークができ、周囲に広がる。現地では「ハン・ハリーリ」と呼ぶ。いまは、土産店が主体のようだ。旧市街の観光スポットのひとつ。​

 かつてこの一帯は、隊商宿が多くあったという。エル・ハリーリーという人物が建てた隊商宿を中心に発展してきた。「ハーン」とは交易、「ハリーリ」とは親しい友人という意味もある。ハン・ハリーリの広さは、半径100mほどであるが、その中を縦横無尽に横路・斜路が通り迷路化している。ガイドの案内でバデスタン通りからムッイッズ通り、ムスキ通りと周回して店を見て歩く。​

 ホセイン・モスクの前がフセイン広場。その広場を眺める一画に、カフェが並ぶ。公衆トイレがないので、集合場所を兼ねて用を足す。ミントティーを飲みながら、水煙草を楽しむ人々を眺めた。​
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 ​10日間の旅ではあったが、ブログ期間は4ケ月以上に及んだ。パンレットや入場券を見ながら写真整理するのは楽しい作業だ。「エジプト紀行」もそろそろ終わりたいと思います。​​
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写真-1 イスラーム地区のフセイン広場とホセイン・モスク。


写真-2 フセイン広場は人で溢れていた。


写真-3 広場に面するカフェ通り。


写真-4 ムスキ通りとバデスタン通り。


写真-5 バデスタン門と聳えるミナレット。


写真-6 水タバコ用品とお土産品が並ぶ。






Last updated  2019年05月06日 06時00分20秒
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2019年05月04日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​ シタデルの中核にムハンマド・アリ・モスクがある。内部の壮麗さは、イスラーム地区で抜きん出ている。このモスク(ガーマとも呼ぶ)は、名前のごとくムハンマド・アリが建設した。1824年に着工して1857年に完成した。約27年の歳月を要した。​

 ムハンマド・アリ・モスクの外観は、トルコ風の佇まい。トルコ・イスタンブールのアヤスフィア大聖堂をモデルに建築された。52mの大ドームと2本の84mのミナレット(尖塔)を持つ。カイロのランドマーク的な存在だ。日が暮れると、ガーマのシルエット姿が美しく浮かび上がる。​

 寺院の中庭中央には、身を清める八角形の水場がある。精巧な彫刻が施されている。また、中庭北端には、ルクソール神殿のオベリスクを贈ったお返しに、フランス政府から贈られた時計が飾れている。時計台に足場が組まれ、補修しているようだった。​​​
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写真-1 シタデル内に建つ「ムハンマド・アリ・モスク」。


写真-2 カイロのランドマーク的な建物で世界遺産。


写真-3 モスク中庭の水場と時計台。


写真-4 天井のアラビア模様とシャンデリア。


写真-5 モスク内部の装飾類。


写真-6 モスクの夕暮れ・シルエット。異国情緒漂う風景。






Last updated  2019年05月04日 06時00分14秒
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2019年05月02日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​ シタデルは、「​カイロ歴史地区​」のムカッタムの丘にある。シタデルとは城塞または要塞の意味。1170年代、十字軍の侵攻に備えた建設された。高さ10m×暑さ3mほどの城壁に囲まれている。1218年に王宮が造られて、エジプトの中心となった地区。​

 カイロ東南部にあるカイロ歴史地区。​イスラーム地区​とオールド・カイロ地区に分けられている。そのうちのイスラーム地区を観光する。イスラーム地区は、1000のミナレットの町とも呼ばれ、約南北4km×東西2km、寺院(ガーマ)、城壁・門、廟墓など600もの世界遺産がある。​

 シタデルは、高台にあるので城壁からカイロ全景を見渡せる。西の方には、スルタン・ハサン・モスク、カイロタワーが見える。よく晴れた日にはキザのピラミッドを望むことができる。東側に​石切場跡​​があるが、ここからピラミッドの化粧石を切り出したとされる。​​​
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写真-1 強固な城壁に囲まれたシタデル要塞。


写真-2 シタデルの入口付近の円形城塞。


写真-3 城壁の展望広場。カイロ市内を一望。


写真-4 スルタン・ハサン・モスクとカイロタワー。


写真-5 石切場山と遠方のピラミッドシルエット。


写真-6 シタデルの入場チケット。






Last updated  2019年05月02日 06時00分14秒
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2019年04月30日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​​​ カイロへ向けて出発する前に、ルクソール市内のお土産店に寄る。お土産の定番として、パピルス、アラバスター細工、エジプトコットンなどがある。パピルス紙作りの実演する店で、芸術的な絵画を鑑賞する。​

 ペーパーの語源になったというパピルス。上エジプト(ナイル上流)の象徴がパピルスで、下エジプトの象徴がハス。 紀元前3000年頃エジプトでは、パピルスの茎を使用した紙作りが始まったとされる。三角形をした茎を薄く剥いで、水に浸し格子状に並べたシートを圧密脱水すると出来上がる。丈夫で長持ち・・。​

 パピルス絵画には蛍光塗料を施しているものある。大きいサイズは、魅力的な作品ばかり、但し高額・・。小さなパピルス画を一枚お土産購入する。丸めるとコンパクトになる。仲睦ましい一枚の絵「ツタンカーメン夫妻と黄金の椅子」。一組のサンダルを二人で片方ずつ履いている。​

 アラバスターとは、大理石の一種、和名で「雪花石膏」と呼ばれる石。この石を加工・細工したものが土産店に並ぶ。定番ピラミッド・アラバスターやコップ、花瓶、ブローチなどある。光を透過する性質があるため、ホテルなどでキャンドルカバーとして置いている。​​​​​
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写真-1 ルクソール市内のパピルス店。


写真-2 パピルス紙の作り方を実演。剥いで、叩いて、伸して、圧密脱水すれば作業完了。

写真-3 「古代エジプト暦」と「生命の木」。


写真-4 お土産にしたパピルス絵。(20USドル)。


写真-5 アラバスター(雪花石膏)の加工細工。






Last updated  2019年04月30日 06時00分16秒
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2019年04月15日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​​​ ルクソール東岸のナイル河畔に連泊する。クルーズ船が水上ホテルになる。2重列から4重列に船が片寄せ合う姿は、マンションが立ち並ぶ雰囲気がある。​

 ジャズ・ジャビリー号が停泊した場所は、ルクソール大橋から約1.5km上流。川岸と船とを結ぶ簡易桟橋は、歩くと上下左右に揺れる。日が暮れて暗くなっての帰還だったのでゆっくり渡る。​

 ルクソール神殿から約6.5km上流に位置するルクソール大橋。長さ460mのPC橋が架けられたのは1997年だという。橋脚にはエジプトらしいパピルスなどの絵画が描かれている。​

 早朝、空路でカイロに戻る。古代エジプトの遺跡巡りを堪能してルクソールに別れを告げた・・。​​​​​
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写真-1 停泊中のクルーズ船よりルクソール大橋を望む。


写真-2 ルクソール大橋より連泊したか河畔を望む。


写真-3 ルクソール大橋を渡る。


写真-4 停泊中の船とデッキの様子。


写真-5 ジャズ・ジュビリー号のネグラへ戻る。






Last updated  2019年04月15日 06時00分10秒
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2019年04月11日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​ナイルの西岸に夕日が沈むと、東岸の古代神殿に明りが灯る。3500年前の巨大建物が発掘され、そして甦ったルクソール神殿。ライトアップされると徐々に黄金色を帯びる。古代エジプトの王たちの「夢の跡」を歩いた。光を得て、ラムセス2世像が動きだしそうだ。​

 スフィンクス参道は工事中のため、灯りの参道を見ることができなかった。参道の両脇に松明を灯すと、荘厳な夜景になるものと思われる。灯の続く参道を想像すると、映画「1000年女王」のラストシーンを想い出す。新竹取物語「1000年女王」は、西暦1999年を舞台に、宇宙人よる地球支配と戦うスペースバトル。地球を救うが、女王は死す。女王の棺を乗せた船が、緑色の松明に沿って夜空に消えて行く。​

 1000年女王、ラ・プロメシューム(雪野弥生)の容姿は、エジプト新王国に生きた、ハトシェプスト女王と王妃ネフェルタリに重なる。または後世のクレオパトラ7世を意識したものだろうか。ナイルの夜空を見上げて、悠久の地を離れる。明日は、空路カイロへ向かう・・。​​​​
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写真-1 ナイルの空に輝くルクソール神殿第1塔門。


写真-2 光を得たラムセス2世の巨像。


写真-3 ラムセス2世の中庭と紫に染まるナイルの空


写真-4 荘厳な大列柱廊とラムセス2世座像。


写真-5 アメンヘテプ3世の中庭。


写真-6 第1塔門とスフィンクス参道。


写真-7 映画「1000女王」のラストシーン。






Last updated  2019年04月11日 10時12分45秒
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2019年04月04日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​ ​ラムセス2世座像の後ろに、巨大な列柱が立っている。高さ19mの開花式パピルス柱2列14本が並ぶ大列柱廊だ。ラムセス2世の中庭とアメンヘテプ3世の中庭とを結ぶ廊下にあたる。まさにザ・神殿だ。左右の壁には、オペと祭りなどレリーフがある。​

 大列柱廊を抜けると、アメンヘテプ3世の中庭。合計64本の閉花式パピルス柱が立ち並ぶ。1本の柱は、パピルス8本を束ねデザイン。アメンヘテプ3世は、 第18王朝の第9代ファラオ(在位:前1386年-前1349)。ラムセス2世より約60年前の王のようだ。​

 列柱広間を通って奥へ進むと、ローマによって皇帝崇拝所に改築されたホールがある。ローマ風の円形ドームとコリント式柱が異色。更に奥にはアレキサンダー大王の間がある。ローマ軍やマケドニア軍などは、地中海からナイル川を上り、古代都市テーベで宿営したのだろう。​​​​
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​写真-1 ルクソール神殿大列柱廊のレリーフを観て進む。​

写真-2 大列柱廊の帰り道。


写真-3 アメンヘテプ3世の中庭。


写真-4 アメンヘテプ3世列柱から大列柱廊を望む。


写真-5 神に捧げ物をするレリーフ類。


写真-6 皇帝崇拝所と発掘前の列柱状況。






Last updated  2019年04月04日 19時11分06秒
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2019年03月31日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​​​ ルクソール神殿は、ローマ帝国支配後中世までイスラム教徒の人々が暮らしていた。塔門のラムセス2世像は肩まで埋まり、列柱は半分以上が地面の中にあったという。1884年から発掘が始まり、1960年まで断続的に調査が行われた。今は観光客が訪れるナイル川の河畔だ。​

 第1塔門を抜けると数多くの列柱が並ぶ。ラムセス2世の中庭は、閉花式パピルス柱に囲まれた広場。柱の間にラムセス2世立像など立っている。この広場の上方にモスク(アブ・ハッジャージ)が建っているのが印象的だ。中庭から見上げる珍しいモスクだ。​

 中庭にはトトメス3世の小神殿がある。アモン・ムート・コンスの3神に捧げられた礼拝殿でもあった。第2塔門の近くにツタンカーメン王の像がポツンとある。アンケセナーメン王妃が寄り添った座像だ。後ろを見ると腰に手を回す姿が仲睦まじい・・。​

 砂と瓦礫に埋まった、この中庭を掘りだして整備するために、多大な労力を要した。発掘から95年後、1979年に世界遺産「古代都市テーベとそのネクロポリス」に登録される。多くの人々を惹き付ける遺跡に、足を踏み入れることができた。​​​​​
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写真-1 ラムセス2世の中庭と大列柱廊。


写真-2 ラムセス2世の座像。


写真-3 列柱の間にもラムセス像がいた。


写真-4 中庭の様子とツタンカーメン夫妻像。


写真-5 埋もれていた遺跡の上に建てたモスク。


写真-6 ルクソール神殿平面図。






Last updated  2019年03月31日 06時00分13秒
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2019年03月28日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​​ ​ルクソール神殿は、カルナック神殿のアメン大神殿の付属神殿として造られた。両神殿は、かつて​スフィンクス参道​で繋がっていた。現在、この参道を復原中で、完成すれば約2km以上の参道になる。近い将来、両神殿を徒歩で行き来する日が来そうだ。​

 第1塔門はラムセス2世門とも呼ばれる。高さ24m×幅65mの壁面には、不鮮明ながら浅浮彫りが施されている。ヒッタイト軍と交戦するラムセス2世の姿。王の武勇を刻んでいる。そして入口に花崗岩のラムセス座像(高さ16m)が見張っている。​

 荘厳なラムセス門には、かつて4体の巨像があった。向かって右側に女王と娘の立像が残っているが、破損している。徐々に修復・復原作業を進めているようだ。夕方に訪れたので夕陽が眩しかった。朝日に染まり赤くなる東面の壁である。​

 塔門の前に、かつてラムセス2世のオベリスク(高25m)が2本あった。現在無、無[左側の方だけが残っている。片方は、1833年出国し、その3年後にパリ・コンコルド広場に立つ。数年前にパリのコンコルド広場で見かけた。オベリスクは、立て込むもの大事業だが、倒して海洋を運搬するのも大事業だ・・。​​​​​
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写真-1 ラムセス2世の門と呼ばれるルクソール神殿第1塔門。


写真-2 ルクソール神殿門から延びるスフィンクス参道。修復作業中。


写真-3 夕日のルクソール第1門と入場チケット。


写真-4 ラムセス2世門の巨像たち。


写真-5 高さ25mのラムセス2世のオベリスク。


写真-6 パリ・コンコルド広場に立つルクソールのオベリスク。






Last updated  2019年03月28日 06時00分14秒
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2019年03月18日
カテゴリ:エジプト紀行
​​​​​​​ ​カルナック大列柱室を抜けて崩れた第4塔門付近。2本の古代オベリスクが立っている。父と娘の親子のオベリスクだという。通路右側(南)に立つのは、トトメス1世の高さ22mオベリスク。第5塔門の前に立つのが、エジプト内では最大級のハトシェプスト女王のオベリスク(高さ約30m)。​

 古代エジプト時代、アメン神殿には20本ものオベリスクがあったという。持ち出されたり、壊われたりして現在2本が立っている。ハトシェプストのオベリスクは、2本対で造られたが、そのうちの1本は折れて、聖なる池の傍に横たわっている。先端を近くで観ることができた。​

 列柱とは異なり、オベリスクは一本もの。30m級ともなれば重量は300トンを超える。この細くて重い石の「串」をどのようにして建て込んだのだろうか。解明されておらず諸説あるようだ。そのなかのひとつに、盛土した土を下から除いて、自重で自立させたとある。写真-6を参照。​

 世界各地に散った古代オベリスクで最大のものは、ローマ・サンジョンンニ広場にあるトトメス3世の高さ32.2m。カルナックのトトメス3世の片方のオベリスクは、現在トルコ・イスタンブールのヒッポドロームに立っている・・。​​​​​
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写真-1 大列柱室を抜け、2本の親子オベリスクを望む。左側がトトメス1世のオベリス。

写真-2 第5塔門から中央通路とオベリスクを見る。右側がハトシェプストのオベリスク。

写真-3 トトメスのオベリスクのアップと台座。


写真-4 折れたハトシェプストのオベリスクとスカラベの彫刻。


写真-5 第7塔門・8塔門の西側にある「聖なる池」。


写真-6 古代オベリスク立て込み方法の一例。 


写真-7 イスタンブール・ヒッポドロームのオベリスク。






Last updated  2019年03月18日 06時00分11秒
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