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清多夢くらぶ

清多夢くらぶ

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いわて三陸の旅

2022年08月02日
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カテゴリ:いわて三陸の旅
​​​​ 東日本大震災の被災地の一部を見て回った。主な見学地点は、以下の3市町。(1)岩手県田野畑村、(2)岩手県陸前高田市、(3)宮城県三陸町。目に見える復興事業として、防潮提や水門の建設、高台盛土および震災遺構の整備だろうか。印象に残る復興風景等をアップします。​

 未曾有の大震災から立ち直るために、復興事業が続いている。政府は、更なる2021年からの5年間を、第2期復興創生期間と位置付けている。質的に異なる大災害を同時に進めて来た。つまり、地震津波被災地と原子力災害被災地とを。復興費用は、14年間で33兆円とも言われている。​

 一方、ロシアの侵攻により焦土となったウクライナの復興費は、7500億ドル(約100兆円)とも(7月4日報道)。東日本大震災の約3倍規模だ。ウクライナの小麦畑まで爆撃して、収穫と輸出を妨害・・。弱者を蹂躙するロシア。すこし前まで沖縄では、不発弾調査とその処理に多くの時間を費やした。​​

 ロシアの為政者は、エネルギーと情報統制、そして穀物でも人間を服従させようとしている。ロシアの穀倉地に「デメテルの怒り」が及ぶかも知れない・・。デメテルは、ギリシア神話の「穀物の女神」。ゼウスの姉であり妻。​​​​
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写真-1 三階まで津波に襲われたが、1年8か月後に営業再開。


写真-2 防潮提の上を走るリアス線電車を思わせる平井賀漁港。


写真-3 奇跡の一本松と遺構のユースホテル。


写真-4 高田松原再生地と防潮堤。


写真-5 南三陸さんさん商店街とモアイ像。


写真-6 震災遺構の三陸町防災庁舎と遠方の高野会館。






Last updated  2022年08月02日 06時00分09秒
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2022年07月29日
カテゴリ:いわて三陸の旅
 ​​主に岩手県の三陸地方を旅した旅景色をセレクトした。2011年の東日本大震災から復興した、いやまだ復興中の景色、および魅力的な海岸風景を2回に分けてアップします。​

 三陸海岸とは青森県八戸市から宮城県牡鹿半島まで、3県にまたがる延長600kmの長大な海岸線。陸奥、陸中、陸前の3国に跨るので、「三陸」とも呼ぶ。これらの沿岸沖では、寒流と暖流がぶつかり、プランクトンが豊富。そのため海の幸に恵まれる沖合と海岸だ。​

 ​​​国内で屈指の景観といわれる三陸海岸。北と南ではその様相が異なる。北三陸は壮大な断崖絶壁が、南三陸は美しいリアス式海岸が特徴。北三陸の代表的な海岸として、北山崎、鴻の巣断崖、小袖海岸など。南三陸の代表的な海岸として、浄土ヶ浜、千畳敷、碁石海岸などある。​​​
 限られた旅行行程だったが、心に残ったもの選定した。
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写真-1 北三陸の海岸風景を代表する北山崎の断崖と奇岩。


写真-2 安家川河口と遠望の三崎半島。


写真-3 明戸浜から鵜の巣断崖を望む。


写真-4 弁天崎の日の出(田野畑村)。


写真-5 南三陸を代表する海岸風景。


写真-6 養殖が盛んで、豊潤な志津川湾。






Last updated  2022年07月29日 06時00分09秒
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2022年07月26日
カテゴリ:いわて三陸の旅
​​​​​​ 雨模様のなか、松島湾内に浮かぶ島々を船で眺める周覧に参加。ツアー旅行なので、時間の変更はできない。団体2グループだけの乗船なので、ゆったりとした船旅になる。風が弱かったので、時折デッキに出て、代表的な奇岩を撮影する。​

 松島は、日本三景のひとつ。仙台駅から車で40分の距離。松尾芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだ景勝地。松島湾内には、大小260あまりの島と奇岩が浮かぶ。リアス式海岸が更に進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み、山頂が島として残っている。凝灰岩・砂岩・礫岩からなる岩は、侵食されやすく奇岩を形成する。​

 小生らは、大型観光船「あすか」に乗船して、「政宗コース」を遊覧する。沖合5kmの「仁王島」を大きく回り、引き返す約50分コース。「あすか」は、総トン数99トン×旅客定員210名の船舶。安全運航に感謝して下船する。すると雨が止み、空が明るくなってきた・・。​​​​
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写真-1 松島湾の周覧と五大堂。


写真-2 「雄島」と「二子島」。


写真-3 政宗お気に入りの「千貫島」と「鎧島」。


写真-4 「伊勢島・小野島」と「在城島」。


写真-5 仁王像が葉巻をくわえるような「仁王島」
と4つの洞門を持つ「鐘島」。



写真-6 観光船あすかと島めぐり政宗コース(50分)。






Last updated  2022年07月26日 05時22分34秒
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2022年07月25日
カテゴリ:いわて三陸の旅
 ​​瑞巌寺の南側に隣接する円通院を訪れる。雨降るなか、庭園を散策する。山門を潜ると縁結び観音と石庭が目に入る。石庭は、天の庭と地の庭で構成されている。天の庭は、須弥山を中心に松島湾に実在する七福神の島を表しているという。​
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 円通院は、伊達政宗の嫡孫にあたる光宗の菩提寺。19才という若さで死去した光宗。その死を悼んだ二代藩主忠宗が霊屋「三慧殿(さんけいでん)」を建立する(1646年)。厨子の中に、白馬に跨る衣冠束帯の像を祀っている。厨子にはバラ、水仙、アカンサスなどの西洋的な模様が描かれている。西洋帰りの支倉常長の影響か・・。​

 本堂の大悲亭は、光宗の江戸納涼の亭を解体移築したもの。禅寺らしい落ち着いた寄棟造萱葺の建物。この本堂広間では、数珠作りの体験ができる。本尊の聖観音像もと、色とりどりの天然石やプラスチックまたはガラス玉でオリジナルの数珠を作ることができる。​​
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写真-1 円通院三渓殿と苔参道。


写真-2 円通院石庭「天の庭」。


写真-3 入園受付の山門と縁結び観音。


写真-4 三慧殿の厨子と案内パネル。


写真-5 聖観音像を安置する本堂広間で数珠作り体験ができる。​​​​






Last updated  2022年07月25日 06時00分08秒
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2022年07月22日
カテゴリ:いわて三陸の旅
​​​​​​​ ​日本三景の「松島」。一方、古来松島は霊場として、人々の崇敬を集めていた。松島の景観と極楽浄土を重ねて、多くの人々がこの地を訪れた。9世紀初期、瑞巌寺の前身に天台宗延福寺が創建される。奥州藤原氏が滅んだ鎌倉期に、臨済州へ改宗して円福寺となる。戦国乱世の中、寺は荒廃の一途をたどる。​

 関ケ原の戦の後、伊達政宗が仙台に居城を移すと同時に、この古刹の再建に力を入れる。「松島青瀧山瑞巌禅寺」の名称に表れている。先の大戦で焼失を免れたため、桃山様式を今に残す貴重な建築物が残っている。本堂、庫裡、御成門などが国宝に指定されている。​

 政宗は、伊達家の菩提寺として、強い想いと夢を抱いて瑞巌寺を造り上げた。瑞巌寺の繁栄と存続は、伊達家の繁栄に繫がる。戦乱で亡くなった家臣・領民を弔うための寺院で、領内の平和を実現せさるための精神の拠り所となる。過酷な戦国時代を智力で生き抜いた伊達政宗。「永遠の繁栄と安寧」を強く願う宰相だった。​

 訪れた日、石斛(セッコク)のピンク色の花が見られた。中門(ちゅうもん)まえの杉の枝に、着生したもの。日本蘭の一種で、松島周辺では「イワタケ」とも呼ぶようだ。絶滅の危機にある貴重種、松島町の「町花」となっている。​​​​​
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写真-1 ツインの大杉-中門-本堂と直列配置。


写真-2 国宝指定の庫裡と本堂(桃山文化を今に伝える)。


写真-3 杉に着生した石斛(せっこく)のピンクの花。


写真-4 中門前の苔床と白衣観音像、登竜門。


写真-5 海岸から続く参道。本堂中庭と法身窟。


写真-6 本堂室中の孔雀の間と松孔雀図[パンフレットより]。






Last updated  2022年07月22日 06時00分08秒
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2022年07月20日
カテゴリ:いわて三陸の旅
 ​​仙石線・松島海岸駅の裏手(西へ約500m)に、西行法師の言い伝えが残る松の公園がある。松島湾を箱庭のように観ることができる。春には桜の名所となる展望台だ。​
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 平安時代、西行法師が諸国行脚の折り、松の下で出会った童子と禅問答して敗れて松島行を諦めたという由来の地。松島海浜公園のエリアで、カフェからも眼前の「松島」を望める。訪れた日は、生憎の雨模様となった。​

 高台に白衣観音(びゃくいかんのん)堂が建っている。昭和43年に建立されたお堂の中に、白衣観音と千手観音が安置されている。毎年4月下旬に、過去の大戦で散った多くの戦没精霊の冥福を祈るようだ。宮城県では、仙台市泉区に建つ、巨大な「白衣大観音」が有名・・。​​
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写真-1 日本三景の松島湾を望む。


写真-2 松島海岸の船着場と朱色の福浦橋。


写真-3 西行戻しの松公園。


写真-4 白衣観音展望台からの眺め。


写真-5 桜の時期に訪れたい高台。


写真-6 松島白衣観音堂と仙台白衣大観音像。






Last updated  2022年07月20日 18時25分34秒
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2022年07月17日
カテゴリ:いわて三陸の旅
​​​​​​ ​雨の降るなか、南三陸さんさん商店街を訪れた。先ず、モアイ像そして宝船モニュメントが出迎えてくれる。当地のモアイは、チリ地震以来友好関係を結んでいたチリ(イースター島)から再度贈呈されたもの。地元志津川高校生徒の想いが、チリの人々を動かして実現したという。今や町の復興と絆のシンボルになっている。​

 現在の商店街は、建築家・隈研吾氏が監修したもので、地産の杉をふんだんに使用。平屋6棟に約30店舗が入居している。震災翌年の2012年に開催した「福興市」が出発点。仮設店舗で地元産物を観光客などに販売して復興の火を灯し続け、2017年3月に本設の商店街がオープン。今後、隣に道の駅「さんさん南三陸」がこの10月に完成するという。​

 当該商店街は、かつての町の中心地を、8.3m嵩上げした盛土部。すぐ傍を流れる八幡川は、志津川湾に注ぐ。目の前の海は、ラムサール条約に登録されるほどの「海藻の森」。多種多様の海洋生物を育む。商店街名物の「南三陸キラキラ丼」は、豊かに志津川湾が造る逸品と言える。​​​​​


写真-1 南三陸さんさん商店街のモアイ像。


写真-2 震災後8.2m嵩上げした盛土版に木造りの平屋が並ぶ商店街。


写真-3 南三陸の杉が多く使用した地産地用の建物。


写真-4 当該商店街は、モアイとオクトパスがイメージ・キャラクター。


写真-5 八幡川(志津川)に架かる木製の「中橋」。


写真-6 震災遺構と復興まちづくりパノラマ図。







Last updated  2022年07月17日 06時00分07秒
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2022年07月14日
カテゴリ:いわて三陸の旅
​ ​ホテル観洋から北へ700m行った高台に、「海の見える命の森」がある。国道45号から山側に少し登る。その「命の森」に、地元有志とボランティアが切開き広場がある。土地の提供は、ホテル関係者。ホテルから徒歩15分ほどなので、朝食前の散歩に丁度良い。​
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 志津川湾を見渡たせるこの展望広場に、白い大仏が鎮座している。縁があってミャンマーの方が寄贈したもので、南三陸大仏と呼ばれる。ミャンマーで産出する大理石の彫刻像。白い大仏さまは、異国の顔立ち。2019年、ミャンマーと日本それぞれの僧侶によって、大仏開眼の儀式を執り行われた。​

 大仏の台座に、3つの願い「鎮魂」、「施無畏」、「興願」が刻まれている。東日本大震災による犠牲者の慰霊と安寧を願う場であり、震災を伝承する丘になってゆくようだ。「伝えよ、千年百年 津波てんでんこ」の石碑を見かけた。誤解されやすい言葉であるが、一刻を争う避難の要諦が込められている。​

 あの日、南三陸町で起きた被害の一例として、「高野会館(震災遺構)」では年寄り300名ほどが屋上に逃れて無事。一方、公立志津川病院では、病人の避難が間に合わなくて75人が犠牲。明暗を分けた事例・・。​​​​
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写真-1 ホテル観洋近くの「海の見える命の森」。


写真-2 志津川湾を一望できる高台。


写真-3 志津川漁港と荒島。


写真-4 高野会館(震災遺構)と震災直後の公立志津川病院。


写真-5 南三陸大仏と震災の伝承石碑。


写真-6 ホテル館内の展示テーブル(カリンの木)と出入口のモアイ木像。






Last updated  2022年07月14日 06時00分09秒
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2022年07月12日
カテゴリ:いわて三陸の旅
​​​​​​ 宮城県志津川漁港から太平洋に突き出ている神割崎まで、奥行き約4kmの志津川湾。この湾には、八幡川、水尻川など6つ以上の川が流れ込む。三方を北上高地・分水嶺に囲まれ、流れ出る水は里を潤し、豊穣な志津川湾を注ぐ。​

 沖合では暖流(黒潮)と寒流(親潮)がぶつかりあう。豊かな漁場と穏やかな湾内とで、ギンザケやワカメ、カキなどの養殖が盛に行われている。海の幸の宝庫と言われる南三陸。しかし東大震災では、沿岸漁業と藻場の施設が壊滅的被害に遭う。養殖業の復活まで約5年を要したという。​

 太平洋につながる志津川湾を一望できるホテル観洋に泊る。海に抱かれるように建つ白いホテルの特徴は、全室オーシャンビューと水平線を眺めながら露天風呂に浸かることができること。ホテル東館の屋上は、一般開放されている。「潮風の空」と呼ばれ、日の出、星空を観ることが可能。ホテルは、定期的に「スターパーティ」を企画して、星座観測会を実施しているようだ。​​​​
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写真-1 眼下の志津川湾と水平線。


写真-2 椿島と神割崎方面を望む。


写真-3 志津川漁港近くの荒島と豊穣な海。


写真-4 オーシャンビューのホテルロビー。


写真-5 ホテル屋上の「汐風の空」。


写真-6 夕食と展望露天風呂(ポスター)。






Last updated  2022年07月21日 11時37分14秒
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2022年07月10日
カテゴリ:いわて三陸の旅
​​​​​ ​広田湾を望む陸前高田市。大津波により壊滅した沿岸の町・集落は、「高田松原津波復興祈念公園」(略して祈念公園)に生まれ変わった。その中核施設として、「津波伝承館」と「道の駅高田松原」がツインで建っている。施設エントランスから、防潮堤上の「海を臨む場(献花台)」まで一直線に伸びている。​

 防潮堤天端に設けられた「展望台からは、津波が押し寄せて来た海と復興してゆく高田市街、そして震災遺構が望める。眼下に(高田松原再生地)が広がっている。大津波を阻止するために、3段備えの「防塁」が完成。最前線は第一線堤(鋼矢板+捨て石)、次に高田松原で波力を削ぐ。抑えとして海抜12.5mに第二線堤を構築した。​

 震災遺構としては、「旧道の駅タピック45」と一本松、そしてユースホテルが見える。また復興遺構として、「希望の架け橋基礎」が残っている。大量の土砂を短期間に、運搬するために架設された「ベルコン専用吊り橋」の基礎コン部分。時間当り6000トンの運搬能力で、延べ500万m3の土砂を運搬したという。復興の立役者である。​​​​
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写真-1 高田松原津波復興祈念公園の祈りの軸。


写真-2 防潮堤天端の「海を望む場」と祈りの軸。


写真-3 防潮堤と高田松原と説明図。


写真-4 復興遺構「希望の架け橋基礎」と活躍したベルコン吊り橋。


写真-5 祈念公園と震災遺構と旧道の駅「タピック45」。


写真-6 犠牲者と記念公園マップ。






Last updated  2022年07月10日 06時00分09秒
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