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清多夢くらぶ

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利根川水系

2018年12月17日
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カテゴリ:利根川水系
​​​​​​​​ 下今市駅と新藤原駅とを結ぶ全長16.7kmの東武鬼怒川線。下今市駅を出発すると、直に列車は急カーブして、大谷川を横断する。大谷川には、長さ322.8mゴツイ鉄橋が架かっている。​

 大谷川橋梁は、下野鉄道時代の大正8年に架けられた。現在の橋は3代目で、プレートガーダー10連の橋。初代の橋は、トラス橋が2径間あった。平成8年に老朽化したトラス橋をプレートガーダーに取り替えた。​

 昨年(2017年)28月からSL列車「大樹」が、土日祝日に3往復している。駅待合室に、SL大樹の撮影スポットにおける時刻を記したチラシが置いている。列車編成は、C11207(蒸気機関車)+車掌車+3台×客車+ディーゼル機関車となっている。​

 東武鬼怒川線は、線形的に急カーブが連続するので、速度も遅くなる。また、車輪のきしむ音も大きい。これらの欠点を弱めて、SL列車が走行している・・。​​​​​
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写真-1 大谷川に架かる大谷川橋梁。


写真-2 大谷川橋梁と下今市駅を見る。


写真-3 プレートガーター上を走るSL列車大樹。


写真-4 東武鬼怒川線を渡すプレートガーター橋。


写真-5 大谷川橋梁の直上流の大谷橋を望む。国道121号を通す。






Last updated  2018年12月17日 06時00分15秒
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2018年11月28日
カテゴリ:利根川水系
​​​​​​ 大谷川(だいやがわ)から見る日光連山は荒々しく感じる。激流・大谷川がそう感じさせるのかもしれない。河床に堆積している転石や玉石がその急流を物語っている。山地から絶えず、土石が大量に供給される川だ。しかし平時は、厚い砂礫層が水をろ過して、清らかな水を流す。​

 大谷川は、華厳の滝に源を発し、支流を集めて鬼怒川に合流する。流路延長約30km、平均勾配1/33の暴れ坊の川。いまは床固め工が数多く建設され、激流は緩和されている。​

  稲荷川合流点から下今市・大谷橋まで、約7.5km区間を大谷川中流床固群と称し、床固工・段差工が35基建設された。まさに階段状の川である。大谷川全体では、このような工作物が130基あるとも云われる。多大な費用と時間がダイヤ川に費やされて今日がある。次世代への財産とも言える・・。​​​​
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写真-1 大谷川と日光連山。左から男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山。


写真-2 階段状の川と日光男体山(標高2486m)。


写真-3 女峰山(標高2483m)をズームアップ。


写真-4 瀬尾地区昭和56年に造られた第8床固工。


写真-5 大谷川グリーンパーク。






Last updated  2018年11月28日 06時00分10秒
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2018年04月27日
カテゴリ:利根川水系
​​​​​​ 柏あけぼの山公園の北側、小丘陵の先端に紅龍山東海寺がある。朱塗りの布施弁天本堂だ。三宝破風造りの華麗な佇まい。本堂外陣は、極彩色の彫刻類で護られている。​
 布施弁天は、公園や広大な田園風景に囲まれた風光明媚な場所。境内からは、利根川越しに筑波山を望むことが出来る。しかし、ひと昔前までは、大洪水に遭うと周辺の田畑は、一面冠水した。​

 洪水対策が進んだ現在、柏市側に田中調整地、取手市側に稲戸井調整地が整備された。そのため利根川を渡る橋が長大になる。県道47号を通す「新大利根橋」は、長さが2.4kmにも及ぶ。これらの調整地内では、普通に米づくりが行われている。​​​​
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写真-1 龍宮城のような布施弁天の楼門「最勝門」。


写真-2 朱塗りの布施弁天の本堂。


写真-3 境内の鐘楼と三重塔。


写真-4 布施観音像と筑波山。


写真-5 調整地と利根川に架かる新大利根橋。






Last updated  2018年04月27日 06時00分23秒
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2017年02月28日
カテゴリ:利根川水系
 中川と綾瀬川との合流部を近くで見ると、一風変わった光景だ。二つの川を守るように大きな水門があり、その上空にはS字状の橋が架かっている。上平井水門と葛飾ハープ橋である。見上げると妙な感覚になる。

 首都高速中央環状線が綾瀬川の左岸沿いに下って来ると上平井水門にぶつかるため、S字に曲げたもの。その後、首都高は中川を渡って、荒川の背割堤を南下する。河口で首都高湾岸道路に合流する。

 上平井水門は、中川と綾瀬川への高潮遡上を防ぐために造られている。径間30mのローラゲートが4門設置されている。昨年秋から耐震補強工事が行われている。浚渫をしている様子。

 この辺りは、墨田区、葛飾区、江戸川区の区境である。水門の維持管理は東京都建設局。設置して50年近くが経過。大きな水門の改修工事は、コストと時間を多く要する。


写真-1 中川と綾瀬川との合流部に水門がある。


写真-2 耐震補強工事の上平井水門。


写真-3 中川から葛飾ハープ橋を見る。


写真-4 綾瀬川をまたぐ葛飾ハープ橋。


写真-5 荒川堤防からスカイツリーを望む。






Last updated  2017年02月28日 18時07分13秒
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2017年02月21日
カテゴリ:利根川水系
 葛飾区を蛇行して、荒川と併走して東京湾に注ぐ中川。綾瀬川との合流点から上流1.5kmの中川左岸護岸堤上に展望デッキ(奥戸1丁目)がある。スカイツリーや葛飾ハープ橋を展望できるビュースポットである。

 護岸の水辺には幅4mのテラスがある。中川の護岸耐震補強工事に併せて造られた。「中川テラス」と呼ばれ、隅田川のテラスをイメージしている。護岸耐震工事は、数年前から行われて、整備された護岸とテラスの延長はかなりのものだ。

 中川テラスは、異常時以外は一般に開放されている。釣りもできるようだ。より水辺の散歩ができるので、住民の健康づくりにも役立っているようだ。夜景スポットにもなる奥戸展望デッキ。夏の夕涼み用なのか、テラスに照明が設置してある。

 中川は、全長81kmの利根川水系の1級河川。「七曲りの川」と知られ、治水が難しかった川。加えて、海からの高潮・津波にも対処しなければならない。カスリーン台風で甚大な水害を被った葛飾区。多様な水防施設を持つが、管理・運営への人材が追いついているのだろうか・・。


写真-1 中川左岸奥戸展望デッキから「七曲り川」の下流を望む。


写真-2 葛飾ハープ橋とスカイツリーのツーショット。良く見ると東京タワーも見える。

写真-3 富士山の白い頭が見える。


写真-4 蛇行する中川の上流・本奥戸橋のトラスを望む。


写真-5 中川テラスと下流合流点を望む。






Last updated  2017年02月21日 18時30分03秒
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2017年02月11日
カテゴリ:利根川水系
 平将門の終焉の地とされる國王神社。岩井の中心街から結城街道(県道20号)を北に1.2Km進むと、杉木立に覆われた國王神社にいたる。将門の岩井営所の直ぐ近く。
 
 神社の祭主は、当然ながら平将門命である。この地は、将門の三女にあたる如蔵尼が三十三回忌に戻り、弔った場所。その際父を偲んで、高さ76cm寄木造りの木造坐像を彫り、「国王大明神」の神号を奉ったのが由来。

 本殿向拝の蟇股(かえるまた)に「つなぎ馬」が彫られているという。外廻りからは見る事ができない。将門は、騎馬戦が得意だったとされ、同時に馬を大切にした。「つなぎ馬」の紋所を受け継いだのは相馬氏。神田明神の随神門にも、つなぎ馬の彫刻がある。

 境内には市の天然記念物「アラカシ(粗樫)」の古木が聳えている。創建時に植えられたものなのか、自生していたのか、随分古そうな大木だ。これまでにドングリの実をどれほど付けたのだろうか。生き物に恵みを与えた大樹・・。

写真-1 坂東市岩井にある国王神社。茅葺屋根の拝殿。


写真-2 本殿には彫刻の様子。つなぎ馬の蟇股があるという。


写真-3 鳥居と参道。


写真-4 境内に立つアラカシの大木。


写真-5 平将門の絵にお酒を奉納してある。


写真-6 神田明神随神門のつなぎ馬の彫刻。






Last updated  2017年02月11日 10時45分57秒
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2016年12月30日
カテゴリ:利根川水系
 稲敷市阿波の大杉神社は、「あんば日光」と呼ばれていた。地元では、「あんばさま」。江戸享保期に火災で焼失する以前の社殿群は、いまのそれを凌駕する豪華絢爛なものであったという。「あんば参れば、日光見るに及ばず」と言われたほど。

 大杉神社へは牛久沼の墓掃除の帰路に回り道して寄った。相棒が正月は道が混むから、年内に行きたいといいだしたもの。阿波(あば)地区は、霞ヶ浦の南岸に広がる丘陵地。大きな杉の存在が、船乗りの目印になったという。いまはゴルフ場が多く、「ゴルフ銀座」丘である。

 日光東照宮にどこか似ている大杉神社。境内の南西端に、見事な装飾の楼門(麒麟門)がある。江戸の鬼門に建てられた麒麟門は、平穏を願う門。この門の扉は開かれることはない。開けると多くの魔物が江戸・東京に侵入するそうだ。

 境内には多くの神様が祀られている、大国神社、五十瀬神社、白山神社、四柱神社、そして天満宮が五つ整然と並んでいる。社殿には多様な彫刻で彩られている。特に、瑞垣欄間二十四孝彫刻は、力作揃いだ。


写真-1 1250年の歴史を持つ阿波の大杉神社は、「あんば日光」として親しまれている。

写真-2 江戸の鬼門に建つ「開かずの麒麟門」。


写真-3 豪華絢爛の社殿群。


写真-4 境内の左側に五社が並ぶ。


写真-5 本殿を取り囲む「瑞垣欄間二十四孝彫刻」。


写真-6 霞ヶ浦に注ぐ小野川河口より筑波山を望む。






Last updated  2016年12月30日 13時00分04秒
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2016年11月14日
カテゴリ:利根川水系
 ダム建設により分断された2地区、右岸の川原湯と左岸の川原畑地区を結ぶ大橋が、河原の頭上に架かっている。将来、すこぶる景色の良い場所となる。ダム堤体の直上流に位置するため八ッ場大橋と命名された。

 八ッ場大橋は、ダム湖内に造られた4つ橋の中でもっと高い73.5m。橋長494mとして2014年に開通している。橋の種類は、5径間連続PCエクストラドーズド橋。支間長さが200m以下なればコスト的有利な形式という。日本では小田原ブルーウェイ橋が最初とされる。

 八ッ場大橋の下流側を覗くと吾妻渓谷の一部が見える。上流側を観ると、円柱状の岩山が目に入る。昔、山頂に城が築かれたという丸岩山(標高1124m)だ。八ッ場大橋のひとつ上流の不動大橋から見ると、より存在感がある。国道145号と吾妻川を睨む岩峰だ。

 丸岩城の築城時期は1560年頃とされる。1582年甲斐武田氏が滅亡した後、真田昌幸がこの城を一時支配して、小田原北条勢に備えた。砦の感があり、他の城と連携して守りを固めのだろう。登山道を登り、山頂からダム湖を望む景色がもうすぐ見られる。


写真-1 八ッ場大橋と不動大橋。近い将来、湖面橋となる。


写真-2 紅葉に映える八ッ場大橋を左岸下流から望む。


写真-3 八ッ場大橋を上流の王湯会館から見る。


写真-4 2、3年後には湖底となる秋景色。


写真-5 丸岩山と不動大橋。雲が流れ去る瞬間。






Last updated  2016年11月14日 06時02分06秒
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2016年06月10日
カテゴリ:利根川水系

 関東4(群馬・栃木・茨城・埼玉)にまたがる日本最大の遊水地は、ハート形だ。利根川の中流域に位置し、渡良瀬川に思川、巴波(うずま)川の二つの川が合流する湿地帯を堤で囲んで造られた。堤の総延長が9200mにも及ぶ。この土手を2000年フルマラソン(4時間4)した記憶がある。

 三つの調整池からなる「わたらせ遊水地」は、面積が33km2×貯水量1.7億トン。霞ヶ浦の北浦に匹敵する規模だ。第1調整池に、わたらせ貯水池ができたのは28年前。現在、水没した村の名前をとった「谷中湖」、ハートレイクとして親しまれている。

 現在、渡良瀬遊水地は治水と湿地保全として利用されている。しかし、90年間に及ぶ苦闘の歴史がある。当初、洪水防止の遊水地との名目で事業が始まったが、主目的は足尾銅山の鉱毒事件の尻拭いである。つまり、流出する鉱毒を沈殿させて除去することであった。

 旧谷中村一帯を遊水地にすることを決定したのは明治政府。明治43年に遊水地建設が始まる。当然地元の反対運動と反公害運動が続く。大戦を挟み84年間かけて現在の姿となる。廃村の憂き目にあった人々の犠牲でハートができた。日本近代化の影を映し出す水面でもある・・。

1.野木町煉瓦窯方面.JPG

 写真-1  谷中湖から野木煉瓦窯方面を望む。筑波山の姿が薄かった。

2.谷中湖と西橋.JPG

 写真-2  中之島へ渡る西橋。その遠方に日光男体山が淡く見えた。

3.中之島の柳.JPG

 写真-3  中之島の柳並木。

りたつう士。

4.新三国橋と窯煙突.JPG

写真-4  新三国橋と第1排水門を望む。

5.池内水路.JPG

 写真-5 東谷中橋から内水路上流を見る。







Last updated  2016年06月10日 17時55分00秒
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2016年06月09日
カテゴリ:利根川水系

 野木煉瓦窯から東へ800mほど離れて野木(のぎ)神社がある。この辺りでは最古の社で、1200年前に建立されたという。坂上田村麻呂が植えたとされるイチョウが、境内を覆っている。

 野木神社は、フクロウ神社とも呼ばれる。今年五月に2羽のヒナが巣立った。境内のケヤキの老木に巣穴があり、代々住み続けているらしい。フクロウは、「福来郎」、「不苦労」と語呂合わせながら、縁起の良い鳥とされる。境内にはフクロウの写真や彫刻・モニュメントが設置してあった。

 渡良瀬川を見下ろす丘陵地に建つ野木神社。昔、源頼朝が鎌倉幕府を興すに当って、鍵となる「野木宮合戦(1183)があった場所近く。頼朝方の小山朝政が志田義弘(源為義の三男)を破った戦い。これにより頼朝は、平氏との戦いに集中できた。2年後の1185年で壇ノ浦の戦で平氏が滅亡する。

 水戸街道・野木交差点付近から枝分かれした直線道路が800m北に伸びる。終点が野木神社である。その先が渡良瀬川である。そして渡良瀬遊水地が広がっている。野木町は、栃木県の南端にあり玄関口であった。茨城と埼玉と3県が絡み合う土地である。

1.野木神社境内.JPG

写真-1  野木神社の境内。狛犬ならぬフクロウが本堂を見守っている。

2.拝殿の彫刻.JPG

 写真-2  拝殿上梁部に立派な竜の彫物がある。

3.社殿の彫刻.JPG 

 写真-3  奥社殿の見事な彫刻。

りたつう士。

4.ふくろう神社.JPG 

 写真-4  フクロウのモニュメントと紫陽花。

5.フクロウの彫刻.JPG 

 写真-5  福来れ・・と呼びかけているようだ。







Last updated  2016年06月09日 23時11分01秒
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