2012/05/05(土)09:36
セノ―テ 神秘な異次元への入り口と出口
今日はついにセノ―テでのダイビング。 万全の状態で潜りたかったのでホンジュラスのインストラクターに勧めてもらったお店で予約し、セノ―テセキスパートとも呼ばれるスタッフにすべてを託した
噂では透明度100Mを越すとてつもなく透明な水の中に潜り、鍾乳洞を抜けて行くので冒険的なダイビングが味わうことができるとあったが実際に潜ってみるのと人の話を聞くのでは特にこのセノ―テにおいては感覚的なことも加わってくるのでまったく違った印象を持った。
一言で言ってしまうと、通常のダイビングでも異次元への冒険ではあるが、セノ―テはそれよりさらに別の異次元に行ってしまう感覚がある。2Dから3Dへさらにそれを飛び越え4Dの世界へと言ったところだろうか。
セノ―テは淡水でしかも上に障害物がある環境で、閉鎖空間でのダイビングになるので通常の海のダイビングとは方法がいろいろ異なる。
まず淡水なので水自体の浮力が低く、そんなに違うの?と少し心配ではあったが、ここでは通常の海の状態のウェイトの数より2KGもウェイトを減らした。
(ただここのセノ―テは最大水深が7Mなのでそれを考慮にいれるとマイナス1KGの方が浮力がコントロールしやすいともいえる)
次に頭上にわりとずっと鍾乳洞の壁がありどんなに上に上がりたくても浮上できない環境なので、精神的な安定やある程度のダイビング経験が必要になってくる。
また、閉鎖空間でナイトダイビング並みに真っ暗なのであらかじめ設置してあるロープの上をたどるように進まないと行けない、もちろん暗いのでライトを照らしながら進んで行く。
まあある程度の経験があり、ナイトダイビングをやったことがある精神的に安定しているダイバー(パニックやストレスを多く感じない)ならまったく問題はない。
ガイドのニコ(可愛い名前に似合わず大男で見た目はいかついが、実は心優しい気のきく良い奴なので許そう)が鍾乳洞の中の注意点やたどるコースなどの説明をしてくれいざ出発! そうそう、セノ―テの中を泳いで行く時の順番もあらかじめ決めておく。
今回はガイドのニコが先頭でフランス人のカップルがその後ろ二人、母が三番目、僕が最後尾という順番。
さあ出発! この階段からエントリーしていくがもうすでに何とも言えない素晴らしい色。
この中に入っていくとどうなってしまうのか?早くもテンションは上がり、これからは神の領域へと入りこんでいく。
まさに天使が舞い降りる時の光の中に入っていくようなそんな不思議な感覚におそわれながら、そこが水の下なのか上なのかはたまたもっと上の世界などではという錯覚にも陥りそうな水の中とは思えないほどの透明感そして明るさ。
海とは違い水がしょっぱくないのでそのことでもすんなりこの異次元の世界に溶け込んでいける。
実際に潜った人にしかここの真の美しさは伝わらないと思うが、一瞬の美しい時を切り取る写真でさえもこの刻一刻と変化し続ける光のカーテンの色彩までは表現できないし、
一寸先は闇、ものすごい光量の光のシャワーを浴びているところもあれば鍾乳洞の内部に入り込んで行くともうそこは闇が支配する世界。
暗闇の中をライトの光を頼りに進んで行く。
光と闇が混在する世界、ありとあらゆる光と色が存在し、まったくの無も存在する世界。
数千、数万種類の生物が共存する海とは違いたった数種類の生物しか存在しない神秘の世界。
中から地上を見上げるとものすごく近くも感じ、またものすごく遠くも感じる。
このままこの完璧な世界にいられたら、、、、と考えてしまう。
地上のわずらわしい現実はすでに遠くの世界へ、ここにあるのは静寂と
圧倒的な美しい光と圧倒的な闇。 このままこの世界の住人になれれば
途中で鍾乳洞の中で水中から地上へと上がれる場所があり地上に顔を出してみたが妙な違和感があり、すぐに元の世界へ戻った。
現実という名の虚像は、この美しい世界を味わった今の繊細な僕には地上に出てきたばかりのもぐらのようにまだ僕には強烈すぎる。
だからと言ってずっと闇の世界で生き続けられるわけでもない。
闇あるところに必ず光は現れ、人は光に向かって歩み続ける。
闇は光あるところで影すなわち自分自身をはっきりと自覚させてくれその先にある光へと導いてくれる。
その先にある光輝く世界へと昇り、自分自身と真に一体化できればその先の世界へも行くことができる。こうしてもぐらはわずらわしい虚像の世界、現実世界でも自分自身を見失わずに真の幸せを感じ生き続けることができる。
セノ―テに潜っていると、この今自分達が目で見ている地上の世界とは別の世界が実は存在するのではないかと思える。
自分達が今まで思っていた光とは違った光が存在し、色が存在し、感覚が存在することを感じる。 この世界が実は本当の世界で地上の世界が偽りの世界ではないかと妙な気もちにもさせられる。
古代マヤの人々が神として拝んでいたというのも納得がいける、そんな不思議でやけに現実的な世界それが僕が感じたセノ―テだった。