2008/05/05(月)00:50
義母の半生
しばらくアパートの1階で義父母と同居していたので、
お昼ごはんを食べた後などに、
よくお義母さんとおしゃべりして過ごした。
お義父さんもお義母さんも、
河北省の田舎で生まれ育った。
ふたりは小さい頃からの幼なじみだったそう。
お義父さんは村で有名な秀才で、
熾烈な試験を突破して北京の大学に進学し、
卒業後は北京の国営会社に就職。
戸籍も北京に移った。
お義母さんは高校卒業後、
現地の医科専門学校に進み、
卒業後は現地の病院に採用され、
産婦人科の医者になった。
たくさんの実習生の中から、
お義母さんだけが病院に残ることができたそう。
きっと優秀だったのだろう。
「もともとお医者さんになりたかったの?」
と聞くと、両親を早くなくし、
兄弟姉妹を食べさせていかなければならなかったので、
現地では収入の多い医者を目指したという。
そして、義父と義母は近所の人の仲立ちで
結婚することに。
幼なじみとはいっても、小学校以来
口もきいたことがなく、お見合いだったそうだ。
こうして義父母は結婚したが、
結婚したからといって、義母が戸籍を
田舎から北京に移せるわけでなく、
新婚当初から、義父は北京、義母は河北省の別居婚で、
一年に何回か会えたらいいという生活だったそう。
それでもまもなく、子供に恵まれた。
義父は相変わらず北京で独身のような生活をしていたが、
義母の生活は一変。医師としての仕事に忙殺されながら、
姑を手伝って畑も耕し、子供の世話に追われる日々。
頼りにできる夫もいない。
そんな生活が10年以上も続いたという。
そんな忙しい生活の中、義母は医療の幹部国家試験に
チャレンジすることに。
この試験は、医療現場に10年以上携わった人のみ
受験資格が与えられるもので、義母はこのチャンスを
待っていた。医師は戸籍上「工人」であり、
田舎の戸籍を他に移すことはできないが、
幹部になれば、戸籍を北京に移すことができる。
義母は子供の将来のため、この狭き関門に挑むことにした。
一日の仕事を追え、疲れた体に鞭打って勉強し、
見事この試験に合格。
上の子供(うちの夫)が中学校に上がる年に、
北京に引っ越してきた。
義母は義父の勤める国営企業に幹部として入社。
子供たちは北京になじんでいった。
夫に、
「もしお義母さんががんばって北京に
戸籍を移さなかったら、あなたも
田舎で畑を耕していたかもしれないね。」
と言ったら、夫、
「つばめが中国旅行に来て汽車で河北省を通るときには、
畑のそばで、子供の手を引いて汽車を眺めていただろう。
田舎の人は結婚も早いからね」
だって。
苦労している義母を見てきた夫は、
義母にやさしく、義父には厳しい。
義母びいきなその理由が
ちょっと分かったような気がした。