ニーハオ中国

2021/03/08(月)09:52

成都開催の研究会に参加➡仏教講座

日本語研究・日中対照研究(23)

昨年11月の中日応用翻訳学フォーラムに続いて、 3月中旬、成都で開催された 「中国語話者のための日本語教育研究会」に参加しました。 すでに第44回ということですが、 初回からずっと日本国内で開催されてきて、 中国での開催は、昨年春の西安に続いて2回目です。 つばめは、数年前にたまたま この研究会の発起人である張麟声先生の北京での講演を聞き、 何度かメールでやり取りさせていただいたことがきっかけで、 研究会のメーリングリストに入れていただきました。 そのメーリングリストで研究会が中国で行われることを知り、 昨年、西安での研究会に初参加しました。 昨年は興味津々の初参加で、 「せっかく時間とお金をかけて来たんだから、  疑問に思ったことは何でも質問しよう」 という変な?意欲満々でしたが、 今年のつばめは低調ぎみです。 というのも、昨夏に大連で開催された 「第二言語習得中日対照研究“学習型”国際シンポジウム」での 初の研究発表をきっかけに、つばめの心は長期低迷状態。 張麟声先生曰く、根幹となる研究者になるには、 研究に対する興味と、研究者としての高い資質が 揃ったうえで、10年の研鑽が必要とのこと。 今から10年の研鑽を重ねてまっとうな研究者を目指す 勇気と思い切りが持てないつばめは、 「研究者にもならないのに、なぜ研究をするのか」 という問いにぶつかった。 初の大連での発表は、研究の基礎知識もないまま、 手元に普段の仕事を抱えつつ発表準備をするのはかなり大変だった。 たいした研究発表をしたわけでもないのに、 家のことはほったらかし、子供のこともほったらかし。 それが「研究者としてやっていきたい」とかいう 明確な目的があってのことならまだしも、 ただの趣味にしては、相当に日常生活を 犠牲にするものだということを身をもって体験した。 「なぜ私は研究をするのか」 という答えが出ないまま、 「じゃあ、研究者は何のために研究するのか」 「そもそも人は食べるため以外に、何のために仕事をするのか」 「満足のいく人生とはどんなものなのか?」 「人生の目的はそもそも何か」 と、問いがどんどん広がっていって、考えれば考えるほど、 そこはかとない無常感にとりつかれてしまったつばめ。 ネットでふと見かけた仏教講座につい申し込むぐらい 悩みは深く、気持ちは沈みがち。 夫は私が仏教の勉強を始めたと知り、 出家するんじゃないかと心配して 今すぐ講座受講をやめろと止めたほどです(笑)。 その仏教ネット講座も10回ぐらい受けて バタバタと生活が乱れたのをきっかけに 受けなくなってしまいましたが、 仏教が教えていることは、「人は必ず死ぬ」ということです。 色々悩んで、どんな道を歩んだって、 最後の行きつく先は「死」です。 この世に生まれ出た瞬間から、 死へのカウントダウンが始まります。 だから、「死」の問題を解決することこそが 人がこの人間界に生まれてきた目的だ、 というようなことが説かれていました。 (以上はつばめが数回仏教講座を受講した段階での  個人の浅はかな理解です。) そんなところで仏教講座も止まっているので救いがなく、 ますますブルーの低空飛行が続いているつばめ。 あまり外出したり、どこかへ出かけて誰かに会うことを楽しめない、 ひとりじっくり自分の内面を見つめたい心境のわりに、 なぜかそんな心境に反するように あちこちに出かけるという矛盾した行動を繰り返しています。 そうすると、色々な人に出会ったり、色々なことを教えていただいたり、 ということが多いのですが、心境的に消化不良気味。 そんなこんなで、今回の研究会も行こうかどうかためらったのですが、 主催大学の先生とお知り合いだったこともあり、 ギリギリで行くことに決めました。 つづく。 成都へ1 posted by (C)つばめ 成都への電車の旅2 posted by (C)つばめ

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