|
カテゴリ:アメリカ・日本の発見・比較
今日は映画「夕凪の街 桜の国」鑑賞のブログからいただいたコメントから。
「過去の過ちから何も学ばない国、アメリカ・・・なんでしょうか。(中略)いろんな面で恵まれた素晴らしい国家であるのに何かが狂っている感じ。」 過去から何も学ばないのは、アメリカというよりは。。。人間全般だと思います。ジェノサイド(大量虐殺)しかり、戦争しかり、各種犯罪然り。。。 けれど、もう少しフェアにいうならば、思考の癖・視点の違いというのも考慮してあげるべきかとも、また思います。 どういうことかというと、原爆一つにしても、日本はいかに落とされると悲惨かを語りつぐ。この間も書いたけれど、なぜ原爆を落とされる前に降伏しなかったのか?という疑問はでてこない。 けれど、アメリカにいわせれば、資源のない日本本土を資源豊かな東南アジアから制空権、制海権を奪って孤立させたはずなのに、東京大空襲までしたのに、まだ降参しないのが不可解。かたやソ連に参戦を誘っておいて、もうドイツが降参して日本だけになったときに、もういいよ、といえなかったので、対日戦を一刻も早く終わらせたかったトルーマン政権にすればなおさらの疑問。で、切り札だ、というわけで原爆がでてきた。 原爆のアメリカ側の言い訳はいくつか読んだけれど、早く戦争終結させたかったからOKした、というのはまあ許そう。ついでに日本人のためでもあるというのは、大きなお世話以外何物でもない、と思う。センシティビティのかけらもない発言だと心底思う。まあ、そうでもないと、沖縄の基地に沖縄戦で日本人を大量に殺した軍人の名前を称えて基地名とする、なんて考えられませんや。 また、アメリカは原爆投下から何も学ばなかったか?というと、ものすごく原爆の殺戮効果を研究してるのは有名な話。もともと初めて投下するものだから、わざわざ地形も起伏の激しい(坂が多い)長崎市と平地の広島市を選んである。 さらに、原爆の原理をさらに発展させて、水爆、核爆弾にまで高め、ソ連に核技術を盗まれるまで唯一の原爆保有国として世界に君臨しようとしてた。マンハッタン計画(原爆製造計画)成功の知らせがヤルタ会談の途中できたルーズベルト大統領はいきなり、強気の態度をとって、他のメンバーである、チャーチルやスターリンが???だったのは有名な話。 そして、その殺戮力を目の当たりにして、アメリカ、その他大国は核保有国へは無闇に戦争しないということで合意が取れている。(小難しい言葉で言うなら相互破壊確証(MAD))その代わり、弱小国が核を持つインセンティブにもなっているが。 これが、世界が長崎・広島から学んだ最も重要なポイントである。 だが、日本にいる限り、この点はほとんど語られない。少なくても核戦略と広島はつながってはいない。 また、日本人が「ノーモア広島」というときは、基本的に世界中から核をなくしたいという願いになるが、それほど世界に大乗仏教が広まっているわけでもないから、「日本はもう二度と原爆、核爆弾を落とされたくないよね」、だから広島を覚えてるのよね、だから(核抑止効果を求めて)日本は核を持ちたいのよね?、あら持っていないのは日米同盟があるからなのかしら?という思考回路もまた成り立つのである。(おかげで、日本はいつ何時核をもつのか?という思考の呪縛からアメリカなどは解放されないのだが) これがいわば、アメリカの思考の癖と言っておこう。 こうした思考の呪縛は、英語でいうと、ミラーイメージングともいう。自分たちならどう考える?という思考方法で突き詰めていくと、知らず知らず自分たちの思考の癖をそのまま相手に当てはめちゃうので、相手の次の一手を読み違える。 私のようなリサーチャーは厳に慎むべき過ちの一つである。 なぜ日本人の思考回路はそうなっているの?といわれると、考えるより感じることの方が先だから、と前回書いたことを繰り返さざるを得ないが、原爆を落とされたのは、日本であり、日本を守るのは日本以外ありえないので、(アメリカは別に日本に同情して同盟を結んでいるわけではかけらもない)現代の技術レベルでは、核兵器から身を守るには、核兵器しかない。(そして、日本は核の傘の下にいる) なんで、守備範囲がいつの間に世界にまで拡大するの?日本は世界をすべて防衛する気ですか?それほど日本人の意識は世界中に起こったことに対して高かったっけ?という質問は、日本の中には決して生まれてこない。(これのロジカルな答えは、苦しいけれど、核そのものを地球から全廃すれば、核が落とされる心配はないからなんだろうけど、これを現実解と世界を説得するだけの言葉を知らない。現に一応そういうような趣旨でもともとできた、NPT(核不拡散条約)体制。これは、核を持っていない国にこれ以上核を持たせないという大義名分とともに、もう一つ、核保有国は核軍縮を行うことが謳われているのもまた事実。が、こっちの方をやっているという話は。。。ないな。) これもまた、日本の思考の癖である。 こうした思考の癖は消すことは無理だし、ずっとずっと意思の疎通が必ずしもうまくいかないものだろう。 だが、それもまた、「みんな違ってみんないい」(By 金子みすず)。だから、異文化コミュニケーションは面白いのではないでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アメリカ・日本の発見・比較] カテゴリの最新記事
|