|
テーマ:政治について(19810)
カテゴリ:アメリカ・日本の発見・比較
さっきアメリカ人の友達とメールしていて、一つ指摘されたことがあります。
個人と政府の関係は、欧米より日本の方が遠い。 例えば、日本の方が間接的に、何か半官半民、民間もどきの団体が間に入る。例えば、農業。農協は戦後コメ生産確保のため、全農民が強制的に入らされた。今となってはその役目は終わったはずなのに、未だに農協は農家と農水省の間に入って、とてもではないが、農協がなければ農政が回らない状態になっている。 さらには、警察は民事には介入したがらない。例えば離婚時の慰謝料を払わない場合でも警察は払う側をしょっぴくこともないし、子供に会う権利を行使しようとして相手側に子供に会おうとして拒否された場合、警察は介入しない。欧米だと、こうした場合警察は介入する。 なるほど。 民間もどきの団体って、たくさんありそうだ。業界団体、経団連などの財界の団体、保険機構、各省庁の下請け的な各種団体とか。 この構造、基本的には双方に利益があるのだろう。社会の知恵か? 民間側にとっては、団体交渉権。役所的には、より少ない人員で済む。 個人、あるいは一団体が政府と掛け合っても、無視されたり、邪険に扱われたりする可能性大だ。けれど、みんなでいけば、政府としても全く無視するわけにはいかない。 それに、内々の相談の段階で政府に意見を言える場合もあるし。 一方、民主主義とかいわなくても、どんな政府でも全く人民の気持ちを無視するのは難しいので、民意をきく場があることは、民衆のガス抜きとなる。 また、ある法律や規則を作ったにせよ、100%政府が履行するとなると、恐ろしく人員が必要な場合もあるので、そういう団体が間に入ってくれると、ある程度団体が目を光らせてくれる。江戸時代の名主制度、町年寄制度、戦時下の隣組なんかは、まさにそうだ。役人がいちいちずっと見てなくても、名主のやその下の者たちがそのまた下を見てくれてた。 ので、その分役人の数は少なくていい。あるいは、面倒くさい? が、こうした制度は、民衆どうしが互いを見知っていないとできない。 名主なら村の人を全員知ってたというより、村人なら全員村人を知ってたし、町名主が持っていた長屋なんかは管理人が店子を全員知ってたし、子供のようにかわいがれともいわれてた。 ので、こうした半官半民の性質を持つことは可能だった。 ところが、欧米は違う。社会契約論から始まって、政治的人権が出来上がっていくにつれ、個人でも政府と戦え、という気風が根付いてるから、逆に政府も介入しやすいのか?そもそも日本だと役所は「お上」だが、欧米は「公僕」だからか?そもそも互いの権利を主張する以上、係争は当然であるから、間に入るツールとしての公的存在が浸透しているからか? ちょっと面白い比較だと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アメリカ・日本の発見・比較] カテゴリの最新記事
|