我思う、ゆえに我あり

2009/06/07(日)16:20

ポール室山著「ワシントン政治を見る眼」読了

雑考あれこれ(84)

今日は謙虚にワシントン政治の勉強です。著者本人は存じ上げないのですが、ワシントンのロビー会社でワシントン政治を見つめている御仁です。 出版年は2001年とちょっと古いですが、時事的な部分を除けば、大統領選だけでなく、アメリカの三権分立から始まって、ワシントン政治を見るうえでの基本的な事項をコンサイスに教えてくれます。 ワシントンを政治の観点から何かしらの形でかかわる人にとっては、入門書として必読書なのではないだろうか。大体知っているつもりでも、知らないところなどもあり、面白いです。例えば、ロビー会社の内情を話している部分などは、とても参考になりました。 やはり、日本の報道は違う、というところから始まります。何が足りないか。私は、アメリカ人的には当たり前、基礎的すぎて書かない部分を本来は補わないと日本の読者は分からないのに、そのまま訳すから、その部分が足りないから、という説明をするのですが、著者の場合は、ダイナミズムが足りない、文脈が見えない、といいます。(著者は日本語で書いたのか怪しい、誰かが訳したか、著者が英語で考えて日本語に置き換えて書いているのか?) そういう説明もあるのね、と納得。どちらかというと、そもそもどういうプレーヤーがアメリカ国内にいるのか?が分からない、といった方が正確なのかもしれないが。例えば、今度のオバマのカイロ大学演説があった、とすると、アメリカ国内の場合、すぐに知りたい反応としては、議会のユダヤ系議員やユダヤ擁護団体はどこまで怒っているのか?という疑問が当然知っている人間ならわいてくるが、そもそもアメリカの三権分立制度やイスラエルロビーの威力の理解があやふやで、日本のイメージにあわせてしまうと、こうした疑問はわかないし、昨日書いた内容に考えが行き着くこと自体が分からない? ので、読み手側には、どういう文脈の中での動きなのか?が分かりづらい。で、難しいな、と敬遠しがちになる。 日本人の場合、国内政治では記者が書けない部分が多々あり、書いてない情報は何か?という方向に思考がすぐにいくらしい。そりゃ、国家機密に類するものは一応、情報源がこういった、とかストレートに書けないけれど、どこかには政府内部の人間から聞かなくても、状況証拠を拾い上げて書いている人はいるし、インターネットのおかげで簡単にそういう情報は拾える。 むしろ、著者がいうように、情報がありすぎて、どの情報を信じるべきか?が本当は悩ましい。 ゆえに、「ワシントンの情報は情報であって、情報ではない」。含蓄のある言葉ですねえ。 真実を言う人と、事実を自分の都合のいいように解釈して言う人と、バイアスがかかったものの言い方をする人と、様々な人がいて、芥川龍之介の小説「藪の中」的な、殺人事件の証言者だけの話では矛盾だらけで何が本当なんだか、ちっともわからん、という状態になる。芥川自身、小説の中で真実を絵解きしていない。映画「羅生門」でようやく絵解きされて、納得な話。 そんなのばっかりなので、誰かが絵解きする必要が出てくる。その仕事をするのが、いわゆる、「専門家」の仕事。のはずが、これも、結構胡散臭い。彼らも彼らなりに、利害関係が絡んでいるから、世論操作を試みる。本当はメディアが専門家を呼ぶ際に、どういうバイアスを持つ人なのかを説明する必要があるんだけど、メディアにはメディアのバイアスがかかっているし、言ったり言わなかったり。 本来民主主義がうまく機能するには、「藪の中」を絵解きするだけの知性を国民が身につけるしかないのだが、それにはあまりに世の中が複雑すぎるし、何でも正直にいえば角が立つ。とかくこの世は住みにくい。と、夏目漱石になる。 この本の結論部分で日本とアメリカの政治の大きな違いとして、「言論の自由」のレベルの違いを取り上げている。これもまた、言いえて妙だ。 要は、日本社会は意見の多様性が嫌い。意見を言う前に、上司が気に入るかとか、だれそれさんを怒らせないかとか、場の雰囲気に合うかとか、配慮していいんだか、無視した方がいいんだか、微妙なところまで配慮し尽くした結果、意見を呑みこむ。で、何だか変な意見がなぜかまかり通っちゃったり。 大体、国会答弁でも、どうしてそんな重箱の隅っこの隅っこを延々議論してるわけ?もっと、議論すべき、根本のところが抜けてるやろ!とつっこみどころ満載だ。 みんな、好き勝手に意見を言わせたら、それこそパンドラの箱を開けてしまったようなもので、永遠に収拾がつかないと思ってるからか。 ある人が他の人に自分の意見に賛同してもらおうと思ったら、それは筋が通っていないと、基本的に無理だ。洗脳や場の雰囲気でごまかすとかでもしないかぎり。 その訓練がイマイチ公の場でできていない。互いの意見を尊重するという仕組みが、欠けている。異なる意見をいえば、個人攻撃のように受け取る傾向が見られる。そういうところが、幼稚。多分マッカーサーが日本人の知能は小学生程度、というのは、そういうところではないのか。 で、真っ当に部下に論理だてて、この仕事をしないといけない理由とか、自分の流儀がなぜ部下の考えるものよりもいいのか、がうまく説明できなくて、搦め手とか、縁談を紹介したり、仲人になったりと、仕事では関係のない部分で部下を従わせようとするとか、する。(今は大分その技は消えてきたが) こうしたことが、みんな部下の意見を封じ込める。もし健全な議論ができていれば、仕事はよりうまくいくかもしれないのに。三人寄れば文殊の知恵のはずなのに、10人会議で雁首そろえてみたって、何の意味もない。 それじゃ、世の中がどんどん速く動いて、どんどんダイナミックに、大きく変わろうとしているのに、ついていけないじゃないか。

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