2008/04/02(水)23:04
野見宿禰から菅原道真へ(5)・・そして道真
古人の四男清公きよとも(~842年)は父の期待に応え二十歳で文章生試もんじょうしょうしに合格、三十四歳で従五位下・大学助に任ぜられました。その後、文章博士、式部大輔、弾正大弼、左京大夫を歴任、従三位にまで登りました。この間に「令義解」などの編集にも参画しています。
清公の子是善これよし(812~880年)もまた儒家の道を歩みました。彼は参議・従三位にまで進んでいます。長年にわたって文章博士をつとめ「貞観格式じょうがんかくしき」や「文徳実録」の編纂にも加わった人物です。
是善の子菅原道真(845~903年)は古人から数えて四代目にあたります。
平安前期の律令官人として、父是善を越えて899年従二位・右大臣にまで登りました。
藤原時平の左大臣に対して、道真の右大臣就任は藤原王権による他氏排斥に大手を広げて立ちはだかる姿に映ったであろうことは容易に想像できます。
王権を作り上げていった装置。王権を正統にした一族。この国の歴史を書いた人々。
それは藤原氏です。
鎌足が中大兄皇子を選んだときから歴史は変わり始めていたと思います。