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相談員を始めて1ヶ月。週に2日だから、日数にすればまだ9日。この1ヶ月、読むつもりだった本はつん読で、新聞もまともに読んでいない日が増えた。たまたま親業の講座が二つ入ってはいるけれど、CAPはまだ年度始めでほとんど入っていない。この先、CAPが忙しくなってくるとどうなるのかなあ、と少々不安。
1学期中には中学生ワークの練習をたくさんして、今年度は自力でできるようにしたいと思って、メンバーにもはっぱをかけていたけれど、自分があやしいなあ。 役所なのでお休みは暦どおりなんだけど、「週に2日」という契約なので、その分を月の中で振り替えてとります。だから、5月は行かない日が少ない! 4月の最後に初めて、相談員として家庭訪問と、面接相談をしました。 家庭訪問をした家は、精神障害や生活保護等もからんでいるので、これまでに他のスタッフが対応しているのですが、とにかく大変な家族で、誰と誰がどう絡んでいて、どこに真実があるのか、なかなか見えない大変なケースという感じでした。 覚悟しなよ、とさんざん脅されて、でも保健師さんと一緒だから大丈夫と自分に言い聞かせて出かけました。でも私、前から思っていたんだけど、自分は”人としてこうあらねばならない””これが普通だ”という基準がとてもゆるい。というか、これだけの人がいれば、そりゃあ、いろいろいるでしょう。こんな事全く気にしない人がいても、不思議はないでしょう。という感覚が強いのかなあ。 だから、正直なところ、そんなに驚くとか異常に感じることはありませんでした。 これは、ある意味では私の長所だと思います。現状を評価なしに受け止めて、そこからスタートする事はそれほど大変なことではありません。 その人なりの幸せや、その人なりの自立というのを認めていくこともしやすいと思います。 でも、ある意味では短所です。”相談員やカウンセラーには健全な常識的な感覚が必要だ”と何かで読んだ事がありましたが、やっぱり多くの場合、ごくノーマルな常識のラインにゆるやかに戻していく事が、その人にとって一番生きやすい可能性は高い。そこを、あまり意識しないところはあります。 ”まあ、いいじゃん。本人がこれでいいんだから、このままでも。困って言ってきたらできることをしていけば・・・。”みたいな感じがどうも私にはあって、そのあたりがとても健全でサポート上手の保健師さんといると違いに驚きます。 面接に来た人も、長い事重いものを抱えていて、でも行政からしてもらえるサービスはもれなく受け取ろう、としているような人でした。それもまたいいんじゃないか、と思ってしまう私。重い荷物はそんなに簡単におろせるものではない。覚悟を決めて、それをしょっていこうとしている姿は立派です。そのために、あれこれ策を練って、引き出せるお金を引き出そうとする生命力も立派だと思うのです。引き出せるんなら引き出せばいい。制度の許すギリギリのラインでかすめとっていくのは、あっぱれだと思ってしまう。 つくづく私には行政マンは向かないのでしょうね。でも、自分の人生をかかえていく一人の人として、トータルなあり方を尊重していきたいと思っています。 現場にどっぷりつかり始めると、また変わるのかなあ。 今はそう思っているおかちです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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